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10月26日(火) 旧暦9月21日
洋梨の第3弾が「大地の会」よりやってきた。 大きさが随分ちがうとおもったら、今回は二種類である。 右のやや小さな目なのが「グランドチャンピオン」というアメリカ産の洋梨。「肉質は緻密で甘みと酸味のバランスが良く、濃い味が特徴」と生産者の宮沢さん。 左は「ゼネラルレクラーク」という名で、フランス産。比較的新しい品種であるということ。「果肉はきめ細かで果汁も多く、香りもいいので食べた人を魅了することでしょう」と。 大きい方が「グランドチャンピオン」だと思ったら、そうではなかった。しかし、命名はいかにもアメリカ的。どっちから食べようかなあ。。。 今思ったのだけど、わたしどうしてこの洋梨たちのお尻を写したんだろうって。 洋梨たちとしては不本意かもしれない。 もっとあの独特な形を紹介しなければいけなかった。。 ごめん、、、洋梨たち。 仕事場に行くべく歩き始めた。 というのは、今日やらなくてはならないことを思い出しちょっと焦り、車で出勤することにしたのである。 (歩きたかったのだが、、、、) 新刊紹介をしたい。 ![]() 本句集は、「馬醉木」創刊百周年を記念しての合同句集である。 まずは、德田千鶴子主宰の「序に代えて」を紹介しておきたい。 創刊百周年を迎える本年、馬醉木俳句集を出版することが出来ました。これもひとえに、ご参加下さった皆様、準備から校正発送まで心を配って下さった方々の御蔭と、感謝申し上げます。 思いもかけぬ、一年半前からのコロナ禍に、生活の自粛を余儀なくされる日々、俳句を詠むという事を、改めて考える機会となりました。 この五年間には、前主宰水原春郎の死去を始め、多くの会員の方々を見送りましたが、抒情と革新の精神を守って、これからも進みたいと思います。 この一冊が、皆様の記念のよすがになりましたら、何よりも嬉しく存じます。 参加者563名、一人十句、一頁二段組、五十音順で配列してある。 ![]() まず頁をひらくと創始者水原秋櫻子の句にであう。 馬醉木咲く金堂の扉にわがふれぬ 秋櫻子 そして、 水原秋櫻子(右頁)、水原春郎、德田千鶴子(左頁)のそれぞれの主宰者の写真。 德田千鶴子主宰は、秋櫻子の孫にあたる。祖父から父へ、父から孫へと継承された「馬醉木」である。 そして百年が経過したのである。 参加者全員の句を一句ずつ紹介したいところであるが、それは無理なので、あるいは同人の方だけでもと思ったが、それもかなりの数となるので、ここでは、春郎前主宰と千鶴子主宰の句を一句ずつのみ紹介するにとどめたい。 愛される為の命や糸とんぼ 德田千鶴子 昭和遠し菠薐草のみどり濃く 水原春郎 存知上げている方も多く、そういう俳人の方の句を紹介いたしたい気持ちが抑えがたくあるのだが、公平を期さないといけないので、それはあえて致しません。ご諒承いただきたく。。。 本句集の巻末には「馬醉木略年譜」が収録してある。初期の頃の年譜をみていくと錚々たる俳人が参加して、そして去っていく。その辺のところを紹介しておきたい。 大正十一年(一九二二)四月「ホトトギス」系僚誌として「破魔弓」創刊。主宰 佐々木綾華、選者 長谷川かな女。水原秋櫻子、第二号より同人として参加 大正十二年(一九二三)池内たけし、選者となる 大正十三年(一九二四)秋櫻子、選者となる 大正十五年(一九二六)十二月秋櫻子句文集『南風』刊 昭和二年(一九二七)三月選集『破魔弓俳句集』刊 昭和三年(一九二八)七月「馬醉木」と改題 昭和五年(一九三〇)四月秋櫻子第一句集『葛飾』刊 昭和六年(一九三一)四月十周年記念号 昭和六年(一九三一)七月第一回馬醉木俳句会開催(紀伊國屋書店講堂) 昭和六年(一九三一)十月秋櫻子、「自然の真と文芸上の真」を誌上に発表、「ホトトギス」と訣別 昭和七年(一九三二)一月馬醉木賞制定 昭和八年(一九三三)四月軽部烏頭子、百合山羽公、瀧春一、篠田春蝉(悌二郎)、塚原夜潮、佐野まもる、高屋窓秋、石橋竹秋子(辰之助)、五十崎古郷、石田波郷、相生垣瓜人、佐々木綾華の十二名自選欄へ移る。 昭和九年(一九三四)五月石田波郷、編集に加わる 昭和九年(一九三四)七月秋櫻子、主宰となる 昭和十年(一九三五)五月山口誓子加盟 昭和十年(一九三五)十二月最初の『馬醉木年刊句集』刊 昭和十二年(一九三七)四月加藤楸邨上京、発行所勤務となる 昭和十三年(一九三八)十月秋櫻子第一句碑「水漬きつゝ新樹の楊ましろなり」が五色沼畔に建立される 昭和十七年(一九四二)五月石田波郷、加藤楸邨、馬醉木を去る この後、山口誓子が去り、石田波郷が復帰し、石塚友二や石川桂郎らが参加する。秋櫻子の「馬醉木」にいかなる俳人が関わりそして去って行ったか、俳句史の一面を見るようなおもいがある。 編集担当の丹羽啓子さんは、何度もふらんす堂に足を運んでくださってご労力を惜しまなかった。丹羽さんの「後記」を抜粋して紹介したい。 令和三年、「馬醉木」は創刊百周年を迎えました。記念行事の一環として『馬醉木俳句集』刊行を企画し、多くの皆様のご参加を頂く事が出来ました。 今回の俳句集は、平成二十八年一月号から令和二年十二月号までの「馬醉木」掲載作品の中から、会員の自選十句を収録致しました。この句集が更なる研鑽の一助となりましたら幸いに存じます。 思っていた以上に好評で本が足らず、嬉しい悲鳴をあげておられた丹羽啓子さんだった。 本句集の装釘は和兎さん。 何種類がラフイメージを用意したところ、優しい風合いのパステルカラーものを選ばれたのだった。 「馬醉木」創刊百周年、まことにおめでとうございます。 ますますのご充実をお祈り申し上げます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本句集の担当は文己さん。 文己さんからの一言を紹介したい。 丹羽さんが初めていらしてくださったのが昨年7月22日、50音順、10句組、計563名のボリュームのある合同句集になりました。 お原稿の時点で非常にきれいに整えてくださっていたので、最後までスムーズにお進めすることができました。馬醉木俳句会でずっと使われてきている漢字(表現)をどうするか、正字の問題や表記の統一など頭を悩ませる問題も多々ありましたが、装丁のデザインも含め、良い意味で前までの合同句集とはまた違う新しい1冊になったのではと思っています。 口絵についても、候補がいくつかある中で、丹羽さんと相談して決めさせて頂きましたが、中でも晩年の水原春郎先生と徳田千鶴子先生のお二人の写真が自然体でお人柄も出ていてとても良いなと思いました。 来年1月には記念大会が予定されているとのこと、無事開催されることを心よりお祈りしています。 今日、俳人協会より「第五回新鋭俳句賞」の受賞決定のお知らせをもらった。 正賞に選ばれたのは、「馬醉木」の伊藤幹哲さんの作品「落葉松霧氷」であるということ。 今年の野中亮介さんの句集『つむぎうた』の俳人協会賞受賞といい、吉報がつづく「馬醉木」である。 伊藤幹哲さんはもちろんこの『馬醉木俳句集』にご参加くださっている。 お祝いをかねて、野中亮介さんと伊藤幹哲さんの本句集の作品を一句ずつのみ紹介したい。 兜太亡き風の辛夷となりにけり 野中亮介 蛇笏忌の甲斐は一山づづ暮るる 伊藤幹哲 おふたりのご受賞は、「馬醉木」の皆さまの喜びでもあると思います。 心よりお祝いを申し上げます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 今朝の愛猫・日向子。 そしてしっぽ。 今日はちょっと嬉しいことがあって、出かける前に日向子にそっと耳打ちをしたのだった。
by fragie777
| 2021-10-26 18:34
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