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10月22日(金) 旧暦9月17日
背高泡立草。 大きな蜂が止まっている。 池に映った背高泡立草。 葦の花。 しみじみ深まる秋よね。。。 とうとう、『田中裕明全句集』品切れとなってしまった。。 今日ご注文をくださった方々、お応えできずごめんなさい。 あとは電子書籍をお待ちくださいませ。 ただ、何度かこのブログでも告げておりますように、古いデータを新しくしなくてはならず時間がかかります。こちらももう少し早く対応しておけば良かったのに、暢気しておりました。 1,2ヶ月ぐらいで出来ると良いなあって、思ってますけれど。 う~む。。。 新刊紹介をします。 四六判ハードカバー装帯あり。 136頁 一句組 英語、フランス語対訳句集 著者の大槻泰介(おおつき・たいすけ)さんの初めての句集であり、一句に対して、英語とフランス語の俳句を対訳として付しているもの。句集名からもわかるように大槻泰介さんは、脳外科医である。1952年のお生まれであり、さまざまな病院で脳外科医としてお仕事をされ、現在は、てんかん病院ベーテル院長をされている。俳句は「俳句武蔵野会」の同人。俳人の対馬康子氏が「序に代えて」を寄せている。 その経緯を対馬氏はこのように記している。すこし紹介しておきたい。 ふらんす堂を介して大槻氏より突然のお手紙をいただきました。有馬朗人先生が、昨年の10月から始められた「俳句武蔵会」という、武蔵高校の同窓会の俳句の会に参加しておられる方でした。厳選された作品に英訳、仏訳が付けられ、あとがきもあり、きちんとした草稿が添えられていました。有馬先生に最初の選句をいただいた直後に先生が急逝され困っておられるとのことでした。有馬先生とは学生時代に山口青邨の東大ホトトギス会などにてご指導を受けて以来、半世紀近くのご縁になります。この度は、亡くなられた有馬先生のお導きによるものと、襟を正していただいた草稿を繙いてみました。 このような書きだしではじまり、対馬康子氏は作品を丁寧によみ鑑賞をほどこしておられる。抜粋して紹介したい。 吹雪く夜脳止血して静まりぬ 冒頭の一句です。「吹雪の夜の怒れる脳との戦い」とあとがきに書かれています。夜の闇を白い雪が吹き荒れている中、開頭した脳からの出血を必死に止めようとする手と、そのあと安堵と共に訪れる静寂。これほどの厳しい医療現場を、詩的に、臨場感をもって俳句に詠み上げていることに感嘆しました。 (略) 面白いことに、表意文字でない英語で表記された作品は、論理が明快で日本語の作品の解説になっていて、両方を併せて読むと背景がよりよくわかります。英訳されたことで優れた作品として、独立の詩を形成しているものも多くありました。しかし、俳句はわからない大切なものを伝えることに価値があります。懇切な「あとがき」・自解をよめば、鑑賞が一層深まります。 特に内視鏡からみた外科手術の際の生きた脳の世界は、芭蕉をはじめ子規も虚子も思いもよらなかったものです。また、精神世界を俳句で哲学的に詠む多くの作品とは一線を画した、こころをリアリズムで写生するという、大胆な取り組みなのです。 これこそ実験を極めることを重視した、理論物理学者である有馬先生が指導された本質的な部分ではないかと思いました。作品「術中に師の声聞こゆ夏独り」の中にあるのとは別の意味で、師の声が響いてきました。 薄氷の脳室底を穿ちけり 朦朧の手の探りたる檸檬の香 いくつかに分かれる脳室の最も奥底にある薄い壁に慎重に穴を開ける手術。薄く透明な氷に対峙する張りつめた瞬間は、読者も息が止まるようです。そして、麻酔から覚め、朦朧とした意識下で手探りする檸檬。この檸檬は幻影のようでもありながら、清澄な香りに確かな生の瞬間が満たされます。 春夏秋冬48句の短くも深いストーリーです。脳外科医としていろいろな人生に立ち会い、いろいろな人との交流のドラマが描かれていますが、根底には中島斌雄や有馬朗人に共通する「ヒューマニズム」の思いに立った、生きようとする人々に対する全力の愛に満たされているのです。 掲出句でもわかるように、この句集は医療の現場を医師が俳句に詠んだものである。それも外科医という人間の肉体の内部の分け入ってその病巣と向き合う仕事である。およそ私たちには予想も付かない神秘的なる人間の内部構造との格闘であり、それを俳句によって記録したものと言っては過言であろうか。医学的専門用語も一句になり得る、そんなことを気づかせる句集でもある。 細雪佇みて待つ人のあり 梅ふふむ手術受けむと言ひし君 春風や見えぬ巨人の肩に乗り 脳底に珊瑚樹の海盛夏かな 夏銀河脳波流るる川のごと 脳室の水澄む底に海馬かな 担当の文己さんの挙げた句である。 脳底に珊瑚樹の海盛夏かな at the cranial base a sea of red coral, mid-summer L’artère basilaire Ressemble à un corail rouge L’été bat son plein 英語、フランス語もともに紹介してみた。 本句集には、著者による懇切な「あとがき」が日本語、英語、フランス語で記されている。そこに掲句についてもその状況を記している。紹介したい。 この句集では術者が手術中に見た光景がいくつか出てくる。多くは顕微鏡で見た景色だが内視鏡の光景もある。内視鏡を使って第3脳室底という脳の最も奥底にある薄い膜に慎重に穴を開ける手術があるが、これはまるで薄氷を穿つような手術である。穿った穴の先は頭蓋底に至り、そこには珊瑚樹のように赤い動脈の枝が髄液の海に漂っている。また内視鏡を後方に転ずれば、そこには中脳水道という直径3 ミリほどの穴の入り口を見ることができる。この水道の先は第4 脳室という小脳側の脳室に通じる。 なんと言っていいか、わたしは決して生涯みることのない脳内の風景である。命の脈動のなかに入り込んでいく銀色のメス、いやキリのようなものか、おお、コワイ。。しかし、不謹慎ではあるがかなり美しい景なのかもしれない。著者の大槻さんはご自身の脳外科医として仕事を愛するあまり、人間の脳に魅せられている、そんな思いもする。本句集はいままで誰も詠んだことのない人間の領域が詠まれている。俳句を通してわたしたちも肉体の未踏の領域(へんな言い方)に触れ得ている。その極めてミクロな世界に季語が配されることによって、そのミクロな世界が一挙に鳥瞰図における一点となる。あるいは娑婆の世界の感触をもたらす。本句集のおいて「季語」はそのような働きをしているようにわたしには思えるのだ。 夏銀河脳波流るる川のごと milky way in summer, the electroencephalogram flows like a river to space L’encéphalogramme Coule comme une rivière Lit du Gange d’été この一句も川のように流れている脳波に夏の銀河が応答している。夏の一夜、患者の脳波計を覗き込む医師、よどみなく脳波は流れ病室はひっそりとして患者は横になり医師は静かに立ちすくんでいる。その遙か天空を銀河は流れている。脳波計の脳波と天空の銀河、時空をこえてともにその波動を通い合わす。 脳室の水澄む底に海馬かな bottom of the ventricle through lucid water the hippocampus lurking Au fond de l’eau limpide Des ventricules cérébraux Gît l’hippocampe ふたたび「あとがき」を紹介したい。 方顕微鏡で見るてんかん外科の術野もまた、まるでユカタン半島のセノーテに潜ったかのような、素晴らしい神秘の世界である(但し現役の時はその美しさに気付く余裕はなかったが)。大脳半球離断術という手術は、てんかんの原因となっている障害された片方の大脳半球全体を、正常の脳から切り離すという大変大掛かりな手術であるが、その手術の際、拡大した側脳室の底に、透明な髄液を通して海馬をみることができる。海馬は、その名がギリシャ神話の海の怪物に由来しヒトの記憶の中枢とされるが、この手術中の光景は、美しさとまた一瞬の気の緩みがもたらす危険性において、ヒマラヤや月などの前人未到の地の光景に匹敵するように思える。 脳外科医ならではの、脳の体験(?)である。そしてかなりの緊迫した状況のなかで手術はおこなわれるのである。命の危機を踏まえての手術である。手術が成功し、一息ついたところで再び鮮やかに脳内の風景が蘇ってくるのだ。手術中の緊張感のなかで見た鮮やかにして甘美なまでに美しい脳の風景。それは誰もが体験することのできない景であり脳外科医に与えられたものだ。ところで、わたしも自分の頭の中がどうなっているのかと一瞬に知りたいときがあるが、いやいや知ると怖そうである。とくにわたしはこの手のものはからっきし駄目。 まさに脳外科医の現場から生まれた一句一句なのである。 最後に、脳外科医としての私を信頼して手術に命を預けてくださった、患者さんとそのご家族に深く感謝申し上げます。また私をこれまで支えて頂き、共に外科治療という戦場を戦って下さったスタッフの皆様、そして勿論私の家族、特に四十年前細雪の中で待っていた人(妻 多惠子)、にこの句集を捧げます。 「あとがき」の上記の言葉によって結ばれている。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 装画にドラゴンを用いて欲しい、というのが大槻さんのご希望だった。 タイトルは金箔。 クロスの色は、紫紺、品格のある色である。 龍を箔押しに。 金箔がよく映える。 いのちということ、人が人であるということに真正面から取り組んできた作者の思いが、しみじみと湧き上がってきます。世界に届いて欲しい一書です。 泉下の有馬先生もお喜びのことでしょう。(対馬康子・序に代えて) 英語とフランス語の対訳を付したのは、英語圏やフランス語圏にご友人やお知り合いが多く、そういう方たちにも読んで欲しいという大槻泰介さんの強いご希望があったのである。 句集を上梓されたあとのお気持ちをうかがってみた。 私は、この句集が私の子供や孫たちの家の本棚の隅にひっそり残り、何時か彼ら がふとこの句集を見つける事があればと思って作りました。この句集を開けば、 その時彼らは自分のルーツを知ることでしょう。或る男がどう生きたのか、それ は何百編もの医学論文を残したとしても、到底伝えることはできないことと思い ます。 私はこの句集を作ることで、自分の人生に一つの区切りができたように思いま す。更に対馬康子先生との貴重な出会いもありました。句作においては自由にイ マジネーションを膨らませて良いのだという事を教えていただき、私の中で詩と しての俳句の世界がとても広がった様に思います。 現在を生きているという事実、それを俳句という形で焼き付けることが、句作の 醍醐味ではないでしょうか。俳句を通して、これから更に様々な方との出会いが あることを願っています。 大槻泰介氏。 私が脳外科医となったのは昭和五十四年の春である。その六年後、私はまだ三十代の初めであったが、東北地方のある県境近くの病院に一人医長として赴任した。以来数十年の月日が流れたが、脳外科医として過ごした日々の記憶は今もその鮮明さを失うことなく、何故か今回、つい三年前に出会った俳句という形をとって、言葉として溢れ出てきた。 「あとがき」の最初の一文である。 脳外科医としての著書も多くある氏である。 ご多忙の日々のなかで俳句に出会った大槻さまですが、あるいは俳句に呼び止められたのかもしれませんね。この詩形とのこれからの日々がさらに充実した日々でありますように。そしてまた「俳句」を通してさらなる良き出会いがありますように。
by fragie777
| 2021-10-22 19:42
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