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10月13日(水) 菊花開(きくのはなひらく) 旧暦9月7日
先日行った水生植物園では烏瓜がいちだんと赤みをましていた。 つい手をのばしてたぐりよせたくなる。 一つ貰って玄関に飾ろうかとおもったが、やめる。 落ちているのだったらいいけど、もぎ取ってもってかえるのは、駄目かなと。 近くでは茶の花が蕊を充実させて咲いていた。 このところ仕事場のパソコンの動きが鈍くなった。 アプリケーションを立ち上げて何かを打ち込もうとしても、打ち込めず時間がかかる。 立ち上がりもおそいし、立ち上がらないこともあって、難儀をしていた。 スタッフが言うには「メモリが不足しているので、メモリを足す必要がある」と。 で、出入りのキャノンさんに来て貰って、メモリを足してもらった。 お昼に出社して、パソコンに向かっていると、スタッフのPさんが、 「どうです、パソコン、早くなりました?」って聞く。 「ああ、どうかしら。気づかなかった……」とわたし。 「だってメモリを大幅に増やしたんですよ」と。 「ああ、そうだよね。う~む。そう言われれば、立ち上がりも早いような気がする。打ちこみも楽になったかも」と答えたのであが、実はあまり実感がなく、目先の仕事をこなすことに追われていたのだった。 そう、このブログの文字を打ち込んでいても、随分違うような気がする。 そんなこんなで困るとまわりのスタッフに助けてもらっているのだけれど、どうもいまいちそのことに鈍感なyamaokaなのである。 すべてがこんな感じで「よきにはからえ」状態で、よきにはからってもらってもとんとそのことに気づかないという幸せなヤツ(いや、許しがたいヤツ)なのよね。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー帯有り 204頁 二句組 田中清司(たなか・きよし)さんの第1句集『清明』につぐ第2句集となる。昭和13年(1938)大阪生まれ、現在も大阪・河内長野市在住。俳誌「狩」同人をへて、現在「香雨」創刊同人。「朱雀」同人会長。俳人協会会員。本句集には「香雨」の片山由美子主宰が帯文を寄せている。 初冬や軋みて上る高野線 魞挿して四方の嶺々整ひぬ 嘶きの鳥居をくぐるおん祭 どの句からも、俳句を心の支えとして真摯に生きる著者の姿が浮かび上がってくる。とりわけ、大阪に生まれ育った作者らしい関西の景物を詠んだ作品は生き生きしている。これからも俳句は八十代の作者の豊かな人生と共にあるだろう。 父の日の父の背中を見てゐたる この句は、帯の片山由美子抄出の一句である。「父の背中」は「母の背中」より多弁であるかもしれない。これは一方的な思い込みかもしれながい、「父の背中」は「母の背中」より寂しさをまとう。どうしてなんだろう。男性という産まない性が本来的にもっている寂しさなのだろうか。そういう観念もあるいは刷り込みによるものと言われてしまえば、返す言葉はないが。そんな父の背中も普段はそう改めて見ることもないが、「父の日」のこの日、あらためてつくづくと「父の背中」に見入ったのである。この句、父の背中を見ていると言うこと以外に何も言っていないのだが、その背中が語ってくるものに作者は立ち止まっているのだ。あるいはその背中を見ることによって見る側の胸のうちにわき起こるなにか、ある感慨のようなものを作者は確かめているのだ。「父の日」に目の前に父がいるということ、それだけでも感慨深いものがあるのかもしれない。 新聞の切り抜きの嵩春立ちぬ 余り苗色を尽くしてそよぎけり 長き夜やていねいに抜く躾糸 暮れ残る谷間明るく花大根 形あるものを運びて蟻の列 初霜や色を沈めて池の鯉 担当のPさんの好きな句をあげた。 形あるものを運びて蟻の列 この一句、「形あるもの」とだけ詠み、具体的になにも言っていないのがいい。虫なのだろうか、すでに死んで命はなく形だけがそこにある。それを懸命に運んでいるのだ。「形あるもの」ということで読者にそれがなんだろうかと推測させる。そこに想像の余白が生まれる。作者にはこの形あるものが何であるか分かっていたのかもしれないが、それを直裁に言ってしまえば、そのことだけの詠出となるが、「形あるもの」ということで世界が広がるのだ。わたしも心にとまった一句である。 木犀や父亡き後の父の部屋 この句も父を詠んだ一句である。しかし、目の前の父ではなくすでにこの世にいない父だ。父は亡くなってすでにいないが、父の部屋は残されている。その父の部屋へとはいっていくと、木犀の香りで満たされてる。ああ、きっと父もこの金木犀の香りを嗅いだことだろうと、その香りを通して父をしのび、すでに主のいないがらんとした父の部屋に父の非在を確かめるのだ。この一句も現実を詠んでいるだけであるが、作者の感情がよく見えてくる一句だ。父を失った空虚さ、ただただ木犀がつよく匂う。 水仙や空の重たき日本海 本句集の掉尾の句である。好きな一句だ。日本海の深い青に水仙のきっぱりとした凜々しい姿が立ち上がってくる。「空の重たき」という措辞によって、どんよりとした冬の日本海がよく見えてくる。そんななかで水仙が一際印象的だ。一輪でも群生でもいいが、上五におくことによって一輪の水仙がまず大きくクローズアップされ、その向こうに暗さをともなった濃紺の荒れている日本海が広がる。一本の水仙の空へのびる縦の線と空の重たさに耐えながらも波の運動をくりかえす日本海の横の動き、緊密な水仙と海との緊張感が見えてくる一句だとおもった。水仙へのオマージュとも。 『草の花』は平成二十三年から令和二年までの作品三二八句をおさめた第二句集です。鷹羽狩行主宰の「狩」は平成三十年十二月で終刊となり、その後継誌として片山由美子主宰の「香雨」が平成三十一年一月に創刊されました。私は創刊同人として「香雨」に参加し、片山由美子主宰のお世話になることになりました。 この度、片山由美子主宰にはご多忙の中、選句を引き受けていただいた上に、御心のこもった帯文を賜りました。(略) 日頃ご指導いただいている田中春生主宰はじめ、朱雀俳句会の皆様、そして「香雨」の西宮舞白雨集同人、香雨大阪支部の皆様にお礼申し上げます。 第一句集刊行後、七十の手習いで入門段階から書道を始め、会社の近くのカルチャーセンターに五年間、毎週通いました。また、資格試験に挑戦し、若い人と机を並べ勉強しましたが挑戦は一年で止めました。六十歳定年退職後の第二の会社の勤めは四年ほど前に辞め、今は俳句だけの生活ですが、由美子主宰の教えを守り、苦吟しながらも、俳句作りを続けたいと考えています。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 タイトルの文字が美しい。 タイトルはツヤあり金箔。 表紙のクロスは材質感をいかしたもの。 見返し。 扉。 花布は金。 栞紐は、深緑。 句集名の「草の花」は句集の中の一句「母あらば母を背負はむ草の花」によるものです。懸命に働き、家計を支え、四十代半ばで病死した母への感謝の気持をこめました。 母あらば母を背負はむ草の花 すでにたくさんの俳人の方や学者の方から御本贈呈のお返事が来ていらっしゃるご様子。 「草の花」の句に「この句に尽きる」とみなさん仰っているようです。とPさん。 上梓後のお気持ちをうかがってみた。 〇本が出来上がってお手元に届いた時のお気持ちはいかがでしたか。 立派な装丁、ボリュウム感のある仕上がりを見た時、いよいよ出来たかと嬉しさがこみ上げて来ました。同時に由美子主宰に選句していただいたこと、出稿から完成までに由美子主宰とふらんす堂の皆様に大変お世話になったことに対して感謝の気持ちが湧いてきました。また、80代に入った年齢で第二句集を刊行でき、今まで健康であったことの幸せを嚙みしめていました。 〇第二句集となります。『清明』を上梓された時とはまた違ったお気持ちだったと思いますがこの句集にはどんな思いを籠められましたか。 「草の花」の句集名について由美子主宰にご意見を伺いましたところ、それでいいだろうとの返事を貰いました。80歳の高齢まで社会人としてどうにかやってこられたことへの母への感謝の気持ちを籠めました。 〇句集上梓後の今後の俳句への思いをお聞かせください。 高齢になりましたが、健康の許す限り、今までと同じように俳句を心の支えとして、こつこつと俳句作りを続けたいと思っています。 「草の花」は秋の季語であるが、わたしは好きな季語である。 今年83歳となられる田中清司さんであるが、俳句と共にある充実した80代でありますようにお祈りもうしあげております。
by fragie777
| 2021-10-13 18:24
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