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10月5日(火) 旧暦8月29日
「大地の会」より、洋梨の定期便というを注文してみた。 これはその二回目の洋梨で「コンファレンス」という名前のもの。イギリス生まれで1885年にイギリスで西洋梨協議会が開催された時、最優秀品種に選ばれたのを記念して「会議(コンファレンス)」と名づけられたということである。 果肉はややザラザラして、「香りよく甘い!」ということ。日本ではラ・フランスが有名であるが、ヨーロッパではコンファレンスこそ、洋梨の代名詞的存在なのだそうだ。 常温において、皮が黄色になって軸のあたりがやわらかくなったら食べ頃。 日本の梨は、すぐに食べられるが、どうも洋梨は熟し方によってそのおいしさが違ってくるらしい。 ちょっと厄介なのだが、食べ頃を心待ちにする、というのも悪くない。 3個はとても食べきれないので、貰ってもらう人をもう決めている。 1回目は「マルゲリット・マリーラ」という洋梨だった。かなり大きめのもの。あまり考えずにムシャムシャと食べてしまった。 昨夜だったか、撮っておいたBSプレミアムの「映像の世紀」の録画ビデオを見た。「独裁者 三人の狂気」と題して、ムッソリーニ、ヒットラー、スターリンについて、その映像によって彼らがやったことを映し出していくものだ。見始めたらやめられなくなってしまった。一人の人間が独裁者になっていく次第のドキュメントである。たった一人の人間によって何千万もの人間が虐殺されたことの驚きもさることながら、それが過去の悲惨な歴史上の出来事ではなくこれからも起こりうるものとして、映像をとおして語られていく。山田孝之のナレーションが気迫があってなかなかいい。見終わったあとはそんな危うい時代をわたしたちはいきているのだということを実感しそれが怖かった。最後のほうで、スターリンを尊敬し会いにいきその傍らで微笑む毛沢東が映しだされる。。。 「目を覚ましていなさい」というイエスの言葉がよみがえる。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 194頁 二句組 著者の石﨑薫(いしざき・かおる)さんの第1句集である。石﨑薫さんは、昭和18年(1943)東京・中央区生まれ、現在は東京の文京区にお住まいの東京人である。平成元年(1989)に俳句をはじめ、「風花」を経て、平成10年(1999)「杉」入会、平成14年(2002)「杉」同人、平成20年(2008)「梓」同人として参加。現在は「杉」「梓」同人。俳人協会会員。共著書に『森澄雄の107句』がある。句集『小日向』は、31年間の俳句より精選収録した第一句集である。本句集には、「梓」代表の上野一孝氏が帯と跋文を寄せている。 山ざくら命惜しめと師の声す 作者は、先師・森澄雄の、生命を運ぶように生きよという教えを真摯に学び、実践した。 価値観の多様な今の時代、作者の一貫した態度こそ、現代の風狂とも言えるだろう。 上野一孝代表の帯のことばである。 石﨑薫さんが、杉に入会したのは、平成10年。 「杉」主宰の森澄雄先生は、当時、既にお体が十全ではなく、車椅子を使われていました。また、発語も不自由ななかで、俳句とは何かについて熱意をもって語られ、ご指導くださいました。「俳句は命を運ぶもの」と先生が繰り返しておっしゃるのに対して、私の心も、動かされ通しでした。先生は、季語の持つ世界観を心に留め、言葉からにじみ出るような音楽性を帯びた句を作ることを求めていらっしゃいました。 と入会当時のことを「あとがき」に書かれている。晩年の森澄雄の指導を直接受けたのである。 蒲公英や気球ゆつくり上昇す 小児病棟あるだけ飾れ紙雛 たのしくてたしなむ酒や鉦叩 ふらここを漕ぐ子に雲の美しき 娘の祈り我より長し芽木の風 春の猫銀座の昼をはばからず 担当の文己さんの好きな句である。 たのしくてたしなむ酒や鉦叩 ビールがおいしい夏がおわり、秋になると日本酒が俄然美味くなる。石﨑さん、いいお酒ですねえ。「たしなむ」のだから、バカ飲みはなさらないのであって、しかもたのしいから飲む、のである。悲しかったりやりきれなかったり、この世の憂さを忘れるためだったりではないのだ。よき人生であると思います。静かな秋の夜、虫が鳴いている。この「鉦叩」の季語がまたいい。「チン、チン、チン」と鳴く。なぜかこの季語によって、わたしはすでに若くない人を思う。楽しい酒であるが、そのたのしさが手放しのたのしさではなくて、ある人生を生きてきた人間の悲しみや寂しさを十分経験したうえでのたのしさである、そんな風に思えるのだ。たのしいけれどちょっとしんみりとする。そんなお酒である。わかるなあ。。。 娘の祈り我より長し芽木の風 この一句はわたしも気になったもの。芽木の風の季語がいいってすぐに思った。新芽をふく早春の風。すこし冷たいきりっとした春先の風だ。そんな風のふく季節に母娘でこれは神社であろうか、その神さまの前で祈りをささげているのだ。母はやや習慣的に祈り、そして娘の方へ目を遣るとまだ祈っている。ちょっと予想外である。なにかそれほど祈らなくてならないことがあるのだろうか、そんな思いをもって祈る娘を見つめている。ひんやりとした風、そして母の心もちょっとひやっとする。「芽木の風」で、そのかすかな心の緊張がみえる。校正の幸香さんもこの句に魅かれたということ、人気の句である。 榾をつぎ言の葉をつぎ夫婦たる 本句集ではご夫君を詠んだ句がときどきあるが、これは夫婦であることの認識を詠んだ句である。囲炉裏の前にいるのだろうか。静かな時間だ。ときどき榾をつぐ、その間にぼつりぽつりとお互いに会話をかわす。もう長い間連れ添ってきたのでそんなにたくさん会話をする必要もない。しかし、ふっと言葉が口をついて出て来る。相手も軽くうなずいたりして、こんな間を気まずいとも思わない気が置けない夫婦だからだ。上五中七から「夫婦たる」と言い切るところが巧みだと思う。〈夫の影吾の影燈火親しめる〉という句もあって、夫のいるところには妻がいるという仲の良いご夫婦であることがよくわかる。 マスクして夫のいよいよ無頼なる という句が後半にでてきて、笑った。いよいよ無頼なご夫君におめにかかりたくなった。ほんと、いいご夫婦である。こういう句にふれると森澄雄門下であることをあらためて思う。 涅槃図や阿難のそばに坐りたく 著者が自選十句に選ばれた句であるが、わたしも気になった。先日府中美術館にて大きな涅槃図をみてきたのであるが、涅槃図はどうしても釈迦のまわりにいる動物たちに目がいってしまう。しかし、たくさんの人間というか弟子たちがいろんな表情をして涅槃の釈迦をとりまいているのだ。その弟子たちもそれぞれ固有の名前をもっているのだろう、詳しい人は全部しっているんだと思う。この「阿難」とはいったい如何なる人物なるやって興味をもった。石﨑さんがそのそばに坐りたいほどの釈迦の弟子だ。 釈尊の徒弟で、十大弟子の一人。多聞第一と称せられた。釈尊に奉侍すること二十余年。釈尊滅後、第一回仏典結集の中心。と広辞苑にあって、つまり弟子のなかの弟子ということか。涅槃の釈迦をとりまく弟子が多くいるが一体誰が誰なのかはとんとわたしには分からないが、石﨑薫さんにはすぐにわかるのだろう。今度涅槃図をみたときに動物ばかり見ないで弟子たちにも注目することにしよう。せめては阿難はどの人か、くらいは知って、ははん、このお方のそばに坐りたかったのですね、石﨑さん。確認したいと思う。 俳句を始めて三十一年、初めて句集を出します。この『小日向』には、平成の三十一年間に詠んだ作品のなかから三〇八句を選び、概ね時系列にしたがって配列しました。そもそも、句集を出すことにためらいはありましたが、昨年、喜寿を迎えたことを区切りに、決心しました。(略) 句集を出すにあたり全作品を読み返してみて、自作の貧しさを思い知るばかりです。立派な師の教えを受けながら、生れ出る作品の未熟さは否めませんが、俳句の恩恵は身に沁みて感じております。 この第一句集の上梓を機に、今後、これから、どのように俳句を詠んでゆくか、それが即ち、私が私になっていく過程に当たるのだろうと、つくづく思ったことです。しかし、それをお見せすることもかなわぬまま、森澄雄先生は平成二十二年八月、彼世に旅立たれました。 句集名「小日向」は、「こひなた」と読みます。私が、長年住んでいる土地の名から戴きました。 「あとがき」を抜粋して紹介。 装釘は君嶋真理子さん。 あまり派手にならないように、というのがご希望だった。 いろいろな色が使われているのだが、全体は落ち着いた雰囲気である。 布クロスもすこし渋めな紬風。 扉。 花布は金。 栞紐は白。 白梅の明るさのこし暮れんとす 巻頭句として提示した作品には、作者の意図やメッセージが、より強力に託されていると考えたい。即ち、特に第一句集の第一句目の作には、一集を構成する約三百句のなかの一ピースという意義を超越して、その作者の、俳句創作に至るまでの生きる姿勢から、将来の作品の動機や作風をも示唆する、そういう何ものかを包括しているのだ。それは作者自身が意識して託したものもあろうし、ときには、選んだ作者本人の気付かないところであっても、結果として予言的に何かが秘められた一句となる場合もあるだろう。いずれにせよ、句集『小日向』は、この一句から始まった。(跋より・上野一孝) 著者の石﨑薫さんが、句集上梓ごの所感をくださった。以下に紹介したい。 第一句集『小日向』を上梓して 句集を編みながらつくづく感じたことがある。一句、一句と向き合う作業は、自分自身と向き合う作業であり、セルフカウンセリングそのものである。十七音に纏わる物語や景を再確認したり、悲しみや喜びが蘇ったり、助詞一つに考えこんだり、気持ちが忙しい。そんな時、句集のカバーの装丁に決まっていたふらんす堂さんデザインの燕(子どもの頃から好きな鳥)を眺めると、楽しくなってくる。色味、躍動感が素晴らしい。 完成した句集を目の前にすると、臆病な自分を曝す覚悟が決まったせいか、爽やかな気持ちを味わった。俳句の恩恵である。 句集上梓により、自分の内なる枠も視界も広がり、対象の捉え方にも変化があるはずと期待している。生きとし生けるものの「命」を感じながら、人間が、本来持っている寂しさをふんわり詠めるといいなあと・・。寂しさは人間の感情のなかで一番柔らかな感情である。 雪ぼたる追ふは夢追ふにも似たり 掉尾の一句である。
by fragie777
| 2021-10-05 19:33
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