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9月29日(水) 旧暦8月23日
今日の仙川。 軽鴨。 あきらかに軽鴨とはちがう二羽の番い。 小鴨なのだろうか。。。 27日づけの毎日新聞の岩岡中正さんによる時評「俳句のまなざし」は、「深悼・深見けん二」である。 抜粋して紹介したい。 (略)先生の何よりの幸運は学生時代の10代から直接虚子に学んだことで、戦後はその客観写生・花鳥諷詠を生きた真理として倦むことなく語られた。それも、虚子へのたんなる信心ではなく、その理念をより深く新しく追求し続けられた。 (略)私は第1句集へ懇切な「序」を賜り、時にお会いしたり、電話で長い議論をしたりと思い出と感謝は尽きない。晩年に及ぶ旺盛な活動は『深見けん二俳句集成』(ふらんす堂)を参照。今日の俳壇に輝く知性と良心が失われた気がする。 病葉の遠くの水に落ちし音 人はみななにかにはげみ初桜 俳諧の他力を信じ親鸞忌 深見けん二先生の最後の句集となる『もみの木』の見本が出来上がってくる。 (手にとっていただきたかったな……) 出来上がりは12日予定である。 27日づけの日本農業新聞の「おはよう 名歌と名句」に、大辻隆弘さんが、川野里子歌集『天窓紀行』より一首、紹介をしておられる。抜粋して紹介したい。 秋空はくまなく晴れて亡き人は綱渡りしをりはろばろとひとり 川野里子 雲一つない秋晴れの空は、どこか悲しい。あまりにも澄み切っていて、ふっと魂が吸われてしまうような気分になる。 と大辻さん。そして「この歌には「竹内結子さん急逝」という詞書がつけられている」とあり、この日が、一年目となるということだ。 そうか、竹内結子って亡くなっていたのだ、いまだ信じられない思いがある。 新刊紹介したい。 四六判ハードカバー装帯あり 208頁 二句組 著者の一色正次(いっしき・しょうじ)さんの第1句集である。昭和20年(1945)長野県生まれ、現在は長野県須坂市在住。平成18年(2006)早稲田オープンカレッジ「俳句の出発」(講師・井上弘美)の受講より俳句をはじめ、平成21(2009)「屋根」入会、斎藤夏風に師事、平成25年(2013)「屋根」新人賞、平成29年(2017)「屋根」終刊に伴い、後継誌「秀」入会、染谷秀雄に師事。現在「秀」同人。俳人協会会員、須坂俳句連盟会長、須坂新聞俳壇選者。 本句集は、平成19年(2017)夏より平成30年(2018)までの11年間の作品を収録。序文を染谷秀雄主宰が寄せている。抜粋して紹介したい。 本集は初学時代の平成十九年以降「秀」での平成三十年までの十一年間の作品で構成されている。お父様は昭和六十二年に、お母様は平成十五年に亡くなられたため、ご両親が健在であったときの作品は無いが、その温もりは以後の作品に遺憾なく表白されている。ふるさとの山河、父母への思い、郷愁は捨てがたく強く、毎年のように詠んだ。 墓山は目の前にあり盆支度 ふるさとの畦の燃え立つ曼珠沙華 母逝きて一本残る蠅叩 産土の闇の深さや除夜詣 父のあと蹤いて歩きし夜店かな 「屋根」の特徴である日帰り吟行はもちろんのこと遠い白神山地、淡路島と泊まりがけの吟行会にも一人で積極的に参加して、確実に作品をものにしていった。 津軽野の果へとつづく青田原 からくりもありて涼しき人形座 渦潮の海の島影みどり濃し 染谷秀雄主宰は、一色正次さんの俳句へ出会うまでからその後の精進ぶり、そして「ふるさと」の山河をはじめとする父母への思いにふれ、またいかに俳句にひたむきに熱心であったかを親しみを込めて語っておられる。 タイトルとなった「日向水」は、〈日向水母に遣ひて余りけり〉による。「平成十五年七月二十二日に歿した母を追悼した」一句であると「あとがき」に書かれている。 天井の滑車涼しき能舞台 春灯にかざし手紙の封を切る六月の闇より水の匂ひ来る ふるさとへ草矢まつすぐ飛ばしけり 母に未だ吹く力ありしやぼん玉 父祖の地に佇ちて一礼初茜 担当の文己さんの好きな句である。一色様も思い入れのある句が多かったようで「響き合うものがあるのかもしれないね」と仰って頂いたことが嬉しかったです。 と文己さん。 春灯にかざし手紙の封を切る 手紙を受け取った。これはきっと大切な人からの手紙だろう。メールやラインでの伝言ではなくて、したためてある手紙である。もしかしたら、宛名は達筆な毛筆で書かれ、封筒は手触りのよい和紙。そう、鳩居堂などで売っていそうな上質なもの。そういう手紙をもらったら、すこし心があらたまるような感じになって、鋏をとりだして中の手紙をそこねないようにきっちりと封を切って開封していく。すでにあたりは夕暮れとなっている、手紙をきちんと開封するために作者は灯りの下に行って、それをかざしながら封を切るのである。その灯りが「春の灯」であることが、きっと良き知らせのような気がする。すこしはやる心を抑え、ドキドキしながら大切な手紙を開封する。手紙を手にした作者の丁寧な所作を明るく春灯が照らし出す。いいなあ、わたしもそんな手紙が欲しくなった。来るのは、請求書だったり明細書だったり、もうそういうやつは、こう、手でぐいっと破ってバッとひらいてぽいと捨てる。そんな動作しかしてないかもしれない、わが家のポストにやってくるものには。。 母に未だ吹く力ありしやぼん玉 父祖の地に佇ちて一礼初茜 なにしろご両親思いの一色さんである。亡くなってからもその思いは変わることがない。ご両親のみならず、自身を育んでくれた自然、土地、生活等々すべてへの思いの深い方である。「しゃぼん玉」の句、すでに老いた母とともにシャボン玉を吹いてひとときを和んだのだろうか、「ほら、母さん、しゃぼん玉だよ」と言ってまず自分が吹いてみせ、「ああ、そうかい、しゃぼん玉かね」と母がそれを見る。「母さんも吹いてみる?」と渡し、「どれどれ」と母も吹いてみせる。(ああ、良かった、母さんまだ大丈夫だ)って、母の肺活量の力強さにホッとする。しゃぼん玉を子どもに渡すのではなくて、母に渡してその健康を気遣う、なんともよく出来た息子である。さきほどの「手紙」の句といい、人間やものへの関わり方がとりわけ丁寧な方である、一色さんは。 二度三度振つて鍬買ふ農具市 一色さんは、農業にも携わっておられるのだろうか。農家の暮らしに近いところにおられるのはこの句集を読めばわかる。この鍬を買ったのは作者か、それとも農具市で目にした風景か、それは判然としないが、二度三度振って、何かを確かめてから鍬を買うという風景が面白かった。振ってみて鍬の善し悪しがわかるのだろうか、耕したときの感触を想定して良い手応えのものを買うのか、しかし、農具市の風景がリアルに伝わってくる一句だ。 満天の星置き去りに山眠る この一句は好きな句である。良いところにお住まいだなあとつくづく思った。「置き去りに」の措辞がいい。冬の星空のきらめきの下でしんしんと眠りにつく山の静謐さが伝わってくる。星辰界の星々にはかまわずに眠りにつく山々。山は脈動を静めて長い眠りに入るのだ。自然界の摂理を大きな景でとらえた一句だ。 校正の幸香さんは、〈水烟る千曲川は北へ流れけり 〉が好きであると。 みおさんは、〈一瞬の黙が生まるる鳥の恋〉がどきどきして好きです。ということである。 私にとっての「不易流行」は俳句を詠みつづけること、季節の移ろいを掬いとること、と肝に銘じ、これからも歩んで参ります。 「あとがき」にある。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 タイトルはツヤ消しの金箔押し。 一色さんは、表紙のクロスの色にこだわられた。 扉。 花布は、濃紺。 栞紐は、白。 清潔な一冊となった。 威銃遠くにひとつまた鳴れり 正次さんの心に宿る「ふるさと」をいつでも身近に感じていられる幸せを持ち続け、今後も生涯に渡り、北信の折々の四季を丁寧に詠んでいって貰いたい。(序・染谷秀雄) 句集上梓後の所感をいただいた。 新しい人生の窓を開き、おもいも寄らない多くの方々との俳縁をいただき感謝しております。 人生百歳時代。健康寿命を保つため、「俳句」は何よりの杖になると信じております。記憶を耕し、新しい記憶を更に積み上げてゆく、この作句の楽しさは他のものに替え難いです。 作句は仏師の鑿のごときもの。一刀一刀祈りを籠め彫り進め、十数年かけ一体を完成させていく。そして、その像は完成してみなければ、観音像か、はたまた不動明王像なのかさえ判らない。 それが「句集」を編むということではないかと思う、この頃です。 一色正次さん。 最後は「楽しく句集を編むことができ、本当に感謝しています」と仰って頂けて 嬉しいです。」とは担当の文己さん。 良いところにお住まいのご様子、一度伺ってみたいなとyamaokaは思いました。 「満天の星」って長い間見たことがないのです。
by fragie777
| 2021-09-29 19:58
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