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9月9日(木) 重陽 旧暦8月3日
朝顔。 野の朝顔もわるくないが、こうして人家に咲いている朝顔は、その家の落ち着いた暮らしぶりも感じさせてよいものだ。 ということは、 わたしの家ではこんな風に朝顔を咲かせることはまずない。 今日も寝坊をした。 今日はわたしは朝早く出社する番となっているのに。 「どうして起きられないのかなあ」って歎いたら、 「あなたははやく寝ないからよ。」と友人に言われた。 そうか、早く寝ればいいのか、とその時おもい、はやく寝ようって心に決めた。 早く寝よう、早く寝ようっておもいながら、結局昨夜もベッドにはいったのは夜中の一時過ぎ、それから読んだり観たりで、寝ついたのは1時半をまわっていたとおもう。 そして早く起きようって念じて寝た。今朝は目覚ましで一度起こされ、起きるぞっておもい、そのままバタンと寝入ってしまったのだ。気づいた時は、その後2回鳴った目覚ましもどうやら止めていたらしい。 たぶんわたしには一生早起きというのは無理なのかもしれない。。 新刊紹介をしたい。 四六判ソフトカバー装帯あり 182頁 二句組 俳人・福井隆子(ふくい・たかこ)さんの第5句集である。 本書は、『ちぎり絵』『新調』『つぎつぎと』『手毬唄』に続く私の第五句集です。平成二十四年から令和二年までの、およそ九年間の句の中から三二二句を収めました。と「あとがき」にある。 福井隆子さんは、俳誌「沖」を経て、俳誌「対岸」の創刊同人として30年以上を「対岸」とともに歩んで来た方である。この度の句集に今瀨剛一主宰は、帯に言葉を寄せておられる。 俳人は自分の主張を持っていなければならない、作品と文章は車の両輪である。福井さんはその二つを兼ね備えた作家である。とりわけその静かな、そのうちに燃える叙情性に私は注目している。 今瀨主宰が書いておられるように、福井さんには『ある狂女の話』というすぐれたエッセイ集がある。福井隆子の原点ともいうべき戦争体験の話が収録されているものである。本句集を読んでいくと、少女期に味わった戦争体験が時として大きく影をおとしていることがわかる。 西瓜食ぶ戦を知らぬ人ばかり 句集の最後のほうにおかれた一句である。西瓜というどちらかというと昭和の匂いのする果物を食べながら、ふと世の中を見回してみると、なんとまあ、戦争を知らない人たちばかりなのだろうという深い感慨をもったのである。そして戦争体験のある自身を思ったのだ。 『ある狂女の話』を読むと、福井さんは、お父さまを戦後すぐに、その数年後にお母さまを亡くされている。福井さんは、まだその時は9歳の少女であった。姉がふたり、弟がふたりの五人兄弟姉妹が残されたのだった。これは強烈な体験だったと思う。若くして死んだご両親への思いは、人一倍こころふかくにありつづけたのだ。 紫陽花や雨にはじまる月曜日 更衣声のきれいな少女たち どの木にも空ひとつづつ夏休 清潔な爽やかな景ではじまる本句集である。ここに描かれている少女はまるで福井隆子さんのようである。句集を読んでいると少女性を失っていないまるで女学生のような福井隆子の顔にわたしたちは時として出会う。そしてその少女は若くして死んだ両親への追慕の思いをこころに宿している少女だ。その心に刻印された戦争体験とその後。その思いを核として今日まで生きてこられた作者をわたしはこの句集で見いだす。 八月の影濃く人の集ひけり 忘れてはならじ穂草の揺れつづけ 冬林檎祈りのごとく一つ置く 父母在す春の障子の向う側 その事を意識してかしていないかは別として、作品はおのずとその思いを詠出するのだ。季語によって呼び出される思いと言ってもいいのかもしれない。「忘れてはならじ」と「冬林檎」の句は、「東北大震災より一年半が過ぎて」という前書きによるものだが、福井隆子という人のその生の文脈で読むとき、この句もまた戦争体験の悲惨さを呼び起こすものとしてわたしは読んでしまうし、あるいは作者の潜在意識においてあるのではとも。 句集名の「雛箪笥」について、「あとがき」にはこう書かれている。 雛箪笥母の箪笥に似たるかな この九年間には義母(九十八歳)と伯母(百八歳)との永別がありました。二人とも決して丈夫な方ではなく、何度も大きな病気をしながらもその都度それを乗り越えてくれました。それは私達遺される者をどんなに励まし勇気づけてくれたことか、良い最期を見送らせてもらいました。長寿だった義母、伯母とは対照的に私の母は三十代の若さで戦後の混乱期にこの世を去りました。母の形見の簞笥は雛道具の簞笥によく似ていて、今も故郷の姉が大切に使っています。句集名を「雛簞笥」とした所以です。 古雛なれば遠くを見てゐたり この句は好きな一句だ。この古雛に福井さんご自身のことを重ねておられるのではないか。新しいお雛さまにはみえないものが古雛には見えている。それは遠く過ぎ去ったの日々の一刻一刻であり、そしてその生きて来た時間だけきっと未来をも見通せるものだ。過去と現在と未来を見渡している古雛。古雛なればこそ、そしてその目はどんなものをいま見ているのだろうか。やや悲しげな眼差しをわたしはおもう。 柿うまし柿美しと供へけり 人悼むコップに蛍袋挿し 人を悼む心や故人を思う心は日常生活のあらゆるところで大事にしている作者だ。死者は遠くにあるものではなく、つねに身近にいて、ある意味親しいものなのだ。日常の季節にふれたこころが、亡き人をおもうこころにふっとつながる。 万葉の妹のごと草摘みゐたり その思いは、現実の身近なひとのみならず、時間をはるかにさかのぼって著者に慣れ親しんだ物語や詩歌の登場人物たちをも呼び起こすのだ。 音一つ立てぬ目高を家族とす この句も好きな句である。家族となっても目高は相変わらず音一つ立てることなくありつづけるだろう。しかし、立派な家族の一員なのだ。いくつかの優しい眼差しが注意深く注がれ、声をかけられ、そして立ち去る気配。そんな繰り返しのなかで目高はただひっそりと生き続ける。しかし、家族なのである。飼われているのではない、それがいい。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 あまり派手にならずに、というのが福井隆子さんのご希望。 句集名にこめられたものを生かせるように、ややレトロな感覚の装釘となった。 君嶋さんに帯にもうっすらと模様を配してもらった。 懐かしい色合いと文様。 昭和の香りがする。 カバーをとった表紙。 見返し。 扉。 三十代半ばで出会った私の俳句は、何時の間にか四十四年余りがたち、句集も五冊目を迎える次第です。思えばその都度、これが私の最後の句集と自分に言い聞かせてきたように思います。ことにここ一年程はコロナ禍のこともあり、自分自身の体調を崩しがちでしたので、こうして一冊の句集としてまとめることが出来ますのは幸運としか言いようがありません。(「あとがき」) この句集のおしまいのほうに、若くして亡くなれたご両親を詠んだ句がおかれている。 二句とも春の句である。 父の鍬なり春の土匂ひけり 母が家へ続いてゐたり花の径 二句ともまるでまだご両親が健在であるかのような句だ。この春の二句を以て、いまは亡きご両親へ挨拶をしておられる。 そしてご夫君へは、 爽やかは健やか夫の良く笑ふ 福井隆子さん ご上梓後の感想をいただいた。 〇ご上梓後のお気持ちは。 今までにない心身の疲れを感じるのは、やはり年齢によるものでしょうか。末っ子の可愛い第5句集といった感じです。 〇この句集に籠めた思いはありますか。 拙くても、自分の思いを自分の言葉で表現したく思っていました。 〇今後の俳句へのおもいは、 今はまだそこまでは考えにくいのですが、「ペンが持てる間」「ものが見える間」は俳句を詠み続けていきたいと思っています。 さきほど福井隆子さんからお電話をいただいたのであるが、「あなたらしい可愛い装釘ね」って言ってくださる方が多いのよ、って笑っておられた。 わたし、すこし福井さんの戦争体験に引きつけすぎて句集を紹介してしまったかしらって思っているのだが、読みはじめたらそうなってしまった。 はじめから意図したことではないので、ちょっと不思議な思いがしています。
by fragie777
| 2021-09-09 18:57
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Comments(2)
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