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8月27日(金) 旧暦7月20日
今日の午後、仕事場の窓にはりついて鳴いていた油蝉。 裏側から撮るチャンスはなかなかないので、、、 うんと近づいてみた。 このあとすぐに飛んで行ってしまったのだが、飛んでいる様(さま)は、かの翡翠(川蝉)の飛び方とよく似ている。 たぶんこの飛び方で「川蝉」と名づけ、そのあとその美しさから「翡翠」と呼ばれるようになったのではないだろうか。 とyamaokaは思ったのであるが、いかがなものであろうか。。。。 この3日間、駅前の月替わりのお菓子屋さんで、パン生地のシュークリームを買ってスタッフたちにふるまうと同時に自分でもパクついていたら、見事体重がふえた。プレーン、ストロベリー、チョコレート、抹茶、胡麻、とりどりあってどれもおいしそう。 すべて制覇したいとおもっていたのだが、体重計をみて断念。 食欲に負けないわたしを褒めてあげたい。。。 新刊紹介をしたい。 A5判ペーパーバックスタイル 72頁 四句組 第1句集シリーズⅡ 著者の星河ひかる(ほしかわ・ひかる)さんは、1953年岐阜県益田群出身。闘病を機に俳句をつくるようになり細見綾子の俳句に傾倒する。朝日カルチュア―で坪内稔典氏の俳句の授業をうけて、「船団」に入会して「船団」のお仲間たちと交流をふかめる。本句集には坪内稔典氏が跋文を寄せている。タイトルは「つっつき甲斐」。最後の部分を紹介しておきたい。 首すじに伸ばす乳液春浅し ペディキュアを塗るよ日焼の膝立てて 秋を言う家族の箸を洗いつつ 冬の膝しなやかに組みブックカフェ この句集は作品が四季に分けられている。各季の私の愛唱句を一つずつ挙げてみた。どの句も、句の主人公の動作(しぐさ)に魅力がある。それはひかるさんの魅力だ。 春の鳥光散らして枝移る ペディキュアを塗るよ日焼の膝立てて春愁紅茶のレモンまた沈め 秋を言う家族の箸を洗いつつ 冬の膝しなやかに組みブックカフェ 遠き日のメンソレータム置き炬燵 担当のPさんの好きな句をあげさせてもらった。 ペディキュアを塗るよ日焼の膝立てて この句は、跋文にもとりあげられ、著者の自選句にもとりあげられている。ペディキュアを塗っているさまがあかるい開放感とともに読者に伝わってくる。「日焼けの膝立てて」で、健康的に焼かれた肢体が見え、すこし浮き立つような心持ちも感じる。「塗るよ」という口語的な表現だからか。日焼けした足の爪はどんな色で塗られたのだろうか。明るい派手な色、赤、黄色、緑、そんな色であっても楽しいと思う。 秋を言う家族の箸を洗いつつ 面白い一句だ。「秋を言う」。こんな叙法もあるのかとまずおもった。「もう秋ね」と箸を洗いながら家族にはなしかける。箸を洗いながらふっと秋をおもったのだけれど、どうしてかなと。そうか、箸を洗う水の冷たさを感じたのかもしれない。これは一人暮らしではできないことである。「もう秋ね」と猫につぶやくことはできるが、この場面はそうなのではない、ここにはれっきとした家族の共同体がある。季節をつげる相手があって、しかも寝食をともにする家族だ。日常の些細な出来事であるかもしれないが、こういう共同体はもやは失われつつある。夫につげるのではなく「家族」に季節の到来を言う。夫以外の顔がある。家族というものへの信頼も感じさせる。こんなさりげないことを言い合う家族が、どれほどいまの日本にあるだろうか。と思ってしまうのはオーバーかしら。。 もめん縞織る白梅のあかるさに この風景もほっとする感情をもたらす。単に白梅が咲いているのではなく、白梅が咲いている明るい陽ざしの庭、その庭に面して機織り機がおかれている、そこで木綿糸で縞模様の布を織っているのだ。木綿というのだから日常着かなにか、気取ったものではない。わたしは紺色の木綿生地を思い浮かべた、そこに梅の白さは清冽だ。こんな風景も都市生活者には無縁である。縁先で木綿縞を織っているこの家の女主人に、「梅がきれいねえ」などと庭をはさんで通りかかった人が話しかけていきそうだ。木綿も白梅もあたたかである。 子が父となりたる朝の白芙蓉 本句集には、父母や子どもを呼んだ句が多い。この一句も息子さんを詠んだ句である。つまり、家族のむすびつきをとても大切にする星河ひかるさんなのだ。「白芙蓉」の季語で作者の気持ちが推し測られる。とりわけこの日は、白芙蓉がまぶしく美しくあでやかに咲いていたのだろう。父となった息子に見せたいとおもったかもしれない。作者の気持ちの新たな嬉しさ、朝の白芙蓉、まだ手垢のつかない開いたばかりの瑞々しい白芙蓉だ。それは新しい命への未来を予測させるような一花である。祝祭の一花である。 冬の膝しなやかに組みブックカフェ 作者はいろんな膝をもつ、これは「冬の膝」。健康的で開放的な「日焼けの膝」とちがってちょっと気取った膝である。そして思考する膝でもある。珈琲を飲みながら膝を美しく組んで、本を読む。まことに上等じゃないですか。冬は寒いのでいろいろと着込んでしまうが、作者は、きっとおしゃれな人なんだろう、すっきりとした下半身をもち、ごてごてと着ぶくれず、まことにしなやかに脚を組む。文句なく上等! 俳句に入門したのは闘病と同時期だったが、四季折々の草花や風物を愛で、仲間たちと野山を歩き、詩を紡いでいくうちに四半世紀が過ぎ、今ではすっかり元気になった。私淑する細見綾子が逆境や宿痾から俳句をバネに立ち上がった姿が常に心の支えとなってきた。句集名は僭越ながら、綾子がいつか自分の句集に付けたいと考えていたという言葉を使わせて頂いた。仏教用語の「和顔愛語」が元になっている。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 句集名の「愛語」は細見綾子への思いからきているという。 装釘は和兎さん。 この句集をさらに自由な表現を求めての新たな旅立ちの出発点にしたいと願っている。(あとがき・著者) 句集上梓後に星河ひかるさんは、感想を送ってくださった。 完成した句集を初めて手に取った時はドキドキいたしました。 始終わかり易いご案内を頂けたお陰で、思ったよりスムーズに出版まで漕ぎ着け ることが叶いました。 そしてプロの校正というものを目の当たり同然に学ぶことが出来、感銘を受けま した。また、毎日のように届くお読み下さった方々からの便りを読んでいます と、人の受け取り方の多様性あるいは画一性という点に改めて思いを馳せる次第 です。 出版できて良かったです。一冊の本となった自身の作品は、今まで以上に客観視 が可能となっています。誠にありがとうございました。 本句集には、帯の裏側に著者の近影写真が掲載されている。 ご本人の希望で、このブログでは紹介できないのだが、素敵なセーターを召した星河ひかるさんがいる。 担当のPさんが、セーターのことを申し上げると、 私の写真を撮りました場所は、木曽川沿いの伊木山城跡(対 岸の国宝犬山城の砦山のようです)です。オーストラリア土産のセーターは現在 闘病中の姉からもらった物で、句集ができましたら、真っ先に姉に見てもらいた いと思いまして、あえて着て出かけました次第です。 とメールをくださった。 カラー写真のそれを見せてもらったのだが、赤や黄色や緑が配された明るい色彩の凝った模様のセーター。 周囲がぱっと明るくなるような素敵なセーターだった。 この句集を手にとられたお姉さまは、きっと大いに喜ばれたことだろう。 白芙蓉。
by fragie777
| 2021-08-27 20:03
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