ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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遊んでばかりゐて老いし……

8月18日(水)   旧暦7月11日


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久しぶりの青空だ。

しかし、暑い。


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ご近所の畑に咲くこのゆりは、「高砂百合」と教えていただいた。
鉄砲百合にまちがえられやすいが、おなじものではなく、晩夏から初秋にかけて咲く百合であるらしい。
繁殖力があるのかもしれない。
いろんなところで最近眼にするようになった。


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連日の大雨にもかかわらず健気に咲いている。


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百合も久しぶりの青空を喜んでいるだろう。


ここ数日寒いほどであったのに、ふたたび猛暑がやってきて、調子が狂ってしまう。

わたしは今日は地球儀のように両袖がふくらんだ白の綿のブラウスを着て、出社。
まだ一度しか手を通したことのないブラウスであるが、たっぷりと生地をつかってあり、ゆったりと着られる。
クローゼットと呼ぶが実は押入れを(何を着ようかな?)って物色していて、手に触れたもの。
(いま、着なくちゃ、今年は着る機会を逸してしまうな)って思って手にしたのだった。
開けた胸元や袖から風が入ってきて、たいへん涼しい。
商店街を歩いていて、(このブラウスで正解!)って思った。
今日は暑い日であるが、風があるのでそれが救いだ。
わたしのブラウスも風と光を喜んでいるようだった。






新刊紹介をしたい。


大関靖博句集『大蔵』(だいぞう)。


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四六判クータ―バインディング製本ソフトカバー装帯あり 160頁 五句組。


俳人・大関靖博(おおぜきやすひろ 1948年生)氏の第7句集である。本集には、句集だけでなく「附録」と称して評論「芭蕉と華厳経」が収録されている。160頁のうちの50頁をしめるもので「附録」というより、一つの完結した評論である。句集名は「太蔵(たいぞう)」4章の項目はそれぞれ「法華」「大日」「維摩」「華厳」とあり、仏教色の濃い一冊である、いや、であろう、と、いうのは、わたしは仏教に詳しくないので。また、句集名については本書では触れられていないので、確定はできないが、「太蔵」とは「大蔵経=仏教聖典の総称」のことであると思う。
本句集は、読みはじめるとわかるのだが、同じ季語を詠んだ句がつづく頁が出てくる。たとえば、「櫻15句」「祇園祭50句」「「湯西川のかまくら50句」などのように。これは著者である大関氏のあえて意図したものであり、このことは「あとがき」にも触れられていないので、ちょっと面食らう読者もおられるかもしれない。このことについて、担当のPさんへ大関氏より句集刊行後にメールをいただいている。
そのメールの内容を紹介しておきたい。本句集をよむ指針(?)あるいは手がかりとなると思う。


今回の句集はエロス(地上的愛)・タナトス(死生観)・トポス(場所)のテーマから考えるとタナトスとトポスが中心となりました。仏教的死生観と場所へのこだわりです。
ちなみに京都(50句)と湯西川(50句)は場所のこだわりです。最初の考えがもっと沢山日本の各所の行事の連作を企画しましたが、コロナのため二つとなりました。
タナトスでは3年連続して桜の句を15句ずつ作りました。俳句人生60年の総集編としての句集で、これまでの全てが入っております。恐らく本人は時代に
応じた伝統俳句の継承者を念じておりますが、あらゆる意味で良くも悪くも自由奔放と読者の目に映じるかもしれません。私のポリシーとしては世界全体と日本の社会で私が生きた実感がにじみ出ていればと願っております。


つまり、 「仏教的死生観と場所へのこだわり」によるものであるという。
そのような作者の意図を思って読んでいくべきなのか、しかし、本書そのものではその意図は明かされていないので、まずは作品にぶつかることによって、作者の意図を感じ取って欲しいということであるのかもしれない。


 桜吹雪風雲急を告げにけり
 鳥がまづ起きあかときの合歓の花
 浮寝鳥哲学に空忘れをり
 花冷や天麩羅捌く銀の箸
 飛び跳ねて御手玉ほどの初雀

本句集より、担当のPさんが好きな句を紹介した。

この5句を見て思うのは、鳥と花(桜にかぎらず)を詠んだ句である。そしてそれぞれが季語である。仏教的思想の裏打ちが背後にあるとしても、詠まれた句は具体的な鳥や花であり、それは読者の目の前にいきいきと蘇る。思想は背後にやられ、それぞれの命の躍動が詠まれている。「浮寝鳥」の句の「浮寝鳥」は大関氏自身のことか。わたしは本句集を拝読して、大関靖博という人は骨の髄まで俳人なんだなあって思ったのだ。俳句をとおして自身の思想を語る試みもさることながら、観念の世界に流れずに具体な景を読み手の心に呼び起こし、結果自身の思想感へと導くのである。だから、読者は本書を著者の意図を汲み取りながら詠むのではなく、やはり一冊の句集のようにまず読む、ということが求められているのだ。きっと。

 花冷や天麩羅捌く銀の箸

Pさんの好きな句。花冷えのときに天麩羅を食したことを一句にしたのであるが、あるいは目の前で職人さんが天麩羅を揚げている様子か、美しい一句である。「銀の箸」がいい。花冷えの冷たさとひびきあう。「天麩羅」がいかにも俗世の範疇のこととなり、人間も見えてきて、動きもある。人の世のことがいろいろと詰まっている、時間も欲望も美しさもここに凝縮されている、そんなことがみえてくる一句かもしれない。

 生きることそこそこ好きで心太

わたしはこの句が好きかな。きっと大関氏の本音であろう。「大蔵」という句集名をかかげてちょっとハードルを高く見せながら、実はこんな風に気取りのない句がたくさん収録されているのが本書である。「そこそこ好き」という措辞に大関氏の大乗的な心情が吐露されているのか、といっても大方の人間が、「生きることそこそこ好き」なんじゃないかと思う。やはり「心太」の季題がいいと思う。生きることへの思索に力を入れすぎず適当に力を抜いた感があり、心の涼しさが心太によって伝わってくる。今の時代、辛いことも多いし、腹の立つことも多いけれど、また呆れちゃうことも多々あり、しかし、わたしも「生きることそこそこ好き」だから、なんとか日々をやりくりしているのである。そう思いません?

 バッタ飛ぶ飛ぶたび羽根に夕日透け

この句もバッタが飛んでいる様を一句にしただけなのだが、美しい一句にわたしには思える。夕日がつよく差し込んでいる目の前をバッタがよぎった、大きく飛びながら。羽根をひろげると何枚かの羽根が夕日に薄く透きとおるようにひろがる。バッタの躍動感、うすみどり色の柔らかな透明な羽根、赤い夕日、一瞬の景であるが、スローモーションのように目の前に展開する。

本句集には冒頭にも書いたが、「芭蕉と華厳経」と題した評論が収録されている。句集の附録としてあるが、著者としては思いのはいった評論である。「奥の細道」のたくさんの引用もあり、著者の博識にも触れるものであり読み応えの十分にあるものだ。ここでは、冒頭の部分を引用して、読者の興味を喚起したいと思う。

本稿は芭蕉と華厳経との関連を考察するものである。芭蕉が亡くなったのは一六九四年で華厳経が成立したのは四百年頃といわれる。従ってこの間に千三百年の時間が存在するわけであるが、本稿を支持するならば芭蕉は華厳経との千三百年を埋めてしまったといえるのだ。又天平勝宝四年(七五二)の東大寺大仏開眼供養会厳修の時を文字に残された日本のグローバリゼーションの第一期とするならば、九百五十年後にその痕跡を芭蕉の中に発見できるであろうという推理が成立するのである。
本稿の骨子は華厳経と芭蕉の間に謡曲の『江口』をかけ橋として双方の関連を認めるというスキームである。そしてその三者に共通するキーワードを〈遊女〉に置くというものである。華厳経と『江口』との関係は大和猿楽が大寺院の神事の時に演じられた源流を思えば、仏教を題材にした能の作品が残っていても不自然ではなかろう。芭蕉と『江口』との関連は『江口』が西行と深い関連があり、既に多くの芭蕉学者が二者の深い連関を指摘するところである。
 

「華厳経と芭蕉の間に謡曲の『江口』をかけ橋として双方の関連を認めるというスキームである。そしてその三者に共通するキーワードを〈遊女〉に置くというものである。」とあり、遊女「江口」をキイワードとして読み解いていく、というのだから面白い。

興味をもたれた方は是非、一読をおすすめしたい。
本書には著者によるやや長い「あとがき」もある。この「あとがき」において、大関氏は、自らの俳句観を懇切に述べられている。ここでは帯にも引用された一文のみの紹介にとどめたい。

俳句はささやかなものなので世間の紆余曲折でどうにでもころがってゆくものである。そこのところをひたすら一直線に進む志が大切なのである。

ひたすら一直線に進む志、なのですね。
大関さん。



本句集の装釘は和兎さん。

大関氏は装画にこだわられた。
江口が象に乗っている装画を、ということだった。


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やっと見つけたいくつかの候補のうち、これに決定。



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表紙にも銀刷りで。


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クータ―バインディング製本により開きがいい。


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シェークスピアは「一千万の心を持ったとシェークスピア」と呼ばれましたが、私はこの言葉にひどく共鳴しております。変な話しですが、この年になってこの世に言葉を残してゆくのだ、という気持ちを俳句の中で実現できていれば心の底から満足しております。


刊行後に大関氏から寄せられた言葉である。


 蝶蝶や遊んでばかりゐて老いし

本句集の最後から二番目におかれた一句である。好きな一句だ。
これは作者のいまの感慨だろうか。作者である大関靖博氏は、60年間俳句をやすむことなく作りつづけそのかたわら大学で教鞭をとり、ずっと働きつづけて来られた方である。「遊んでばかりゐ」た訳では決してない、が、働くことも学ぶことも生きることの営みすべてをこの「遊ぶ」ということばに総括したところが、なんとも素敵である。「蝶蝶」の季語もいい。「蝶蝶」と漢字をふたつ重ねたことによって、ひらひらと舞う二頭の蝶がみえてくる。梁塵秘抄の有名な一節「遊びをせんとや生まれけむ」などもふいと思い起こされるが、なんとものどかな空気があたりを支配している。
日々老いていく身ではあるけれど、その老いにさからわず天意に身をゆだねる、そんな作者が見えて来る句集である。











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空飛ぶきつね。





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by fragie777 | 2021-08-18 20:07 | Comments(0)


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