カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
8月10日(火) 旧暦7月3日
台風が去ってふたたび猛暑が。。。 仙川商店街を出勤途上のわたしのまえを行くひとたち。 日陰もなく皆小さな影をつれて歩いている。 止まっていた自転車もさわると火傷しそう。 顔のむくみは相変わらずひかず、仕事場に行って、 「いい、、すごい顔みせるわよ!」ってチラッとマスクをはずしてスタッフたちに見せた。 「本当、なんだか、ヘン、肌も変わってしまっている」とスタッフ。 さっきトイレの鏡で確認したところ、やっぱり私ではないみたい。 あーあ。 治るのかなあ。 もう人前に出られなくなってしまうかも。。。 さあ、 気分をかえて、 新刊紹介をしたい。 A6判(文庫サイズ)フランス装グラシン巻帯あり 80頁 小さな本である。「ふらんす堂文庫」の大きさである。 どのくらい小さな本かといえば、 インク壺と並べてみた。 瀟洒かつ小さな一冊を、著者である五六歩(ごろっぽ)さんは、望まれたのだった。 著者の五六歩さんは、1949年名古屋市生まれ。2011年「卯波俳句会(現「俳句集団縷縷」)入会。2012年「船団の会」に入会し、2020年の散会まで会員。五六歩さんは、2005年にパーキンソン病を発症し、現在も闘病をつづけておられる方である。今回句集をお作りするにあたって、担当の文己さんとの連絡がすこしたいへんな部分もあった。 しかし、こうして無事に一冊になったことを喜びたいと思う。 本句集は、すこし変わっている句集であるかもしれない。内容は「ミシマをめぐる断想」と「『む』で眠る」の二つの章からなり、作家の三田誠広氏が跋文「暑い夏の日々と冬の到来」を寄せ、「或る一日」の短文は、闘病の一日について記している。本句集を通して見られる作者のこだわりのようなものは、三田氏の文章を紹介することによって見えて来るものがあるかもしれない。 伊藤友貞くん(五六歩さん)とは大学の教養課程で同級だった。いまから半世紀前の一九六八年の早稲田の文学部、第二外国語でフランス語を選択しているクラスだった。同級にのちに『遠い国からの殺人者』で直木賞を受賞する笹倉明がいた。同学年のドイツ語のクラスには『青春デンデケデケデケ』で直木賞の芦原すなおと、いまや大文豪となった村上春樹がいた。ぼくも含めて同学年に小説家が四人いる。それが早稲田の文学部だ。 二年生になった時は、早稲田にも全共闘運動の波が押し寄せてきて、ぼくたちのクラスも大隈講堂の向かいにある第二学生会館の一室を占拠していた。ぼくは夜中に自宅で小説を書いていたので「日帰りの全共闘」だったが、伊藤くんは学生会館に泊まり込んでいたと思う。向かいの講堂には敵対するセクトのバリケードがあって、夜中にはコンクリート片を投げ合う「戦闘」があった。学生会館の前には戦闘用の瓦礫が積み上げてあった。 暑い夏の日々だった。バリケードの中では熱い論争があった。その熱気のせいかスプリンクラーが誤作動してぼくたちの部屋が水びたしになったこともあった。そして機動隊が導入され、熱い夏の日々はあっけなく終わってしまった。ぼくたちは行き場を失って、いきなり冬が始まったように感じていた。その一年後の冬の初めに、三島由紀夫が市谷の自衛隊駐屯地に乗り込んで割腹自殺した。政治の季節が終わり、文学が少しずつ勢いを盛り返していた。 少し長くなってしまったが、ここに書かれているような時間を若き日に通過してきた著者がいるということである。不肖わたしもこういう青春の日々の近くにいたものの一人だからこの熱情と惑乱と論争の洗礼を浴びざるを得なかったし、それはある若者たちにとっては身心に押された強烈な刻印を引きずりながら生きてきた、といっても過言ではないかもしれない。 言ってみれば、本句集はその青春性を色濃く宿した句集なのだと思った。タイトルの「ミシマをめぐる断想」の「ミシマ」は三島由紀夫のことであり、それは五六歩さんの青春時代に割腹自殺をした三島であり、五六歩さんの青春の象徴のようにある三島由紀夫なのかもしれない。 無花果の果肉で瀆すサド一巻 週三日斬首の如く髪洗ふ 三島忌や中二階だけ焼け残る 春の雪昭和は長きわだちかな 「ミシマをめぐる断想」の章は、20句のみの一句立ての収録である。その内より数句紹介したが、どの句も三島由紀夫への挨拶句である。あるいは挨拶句と言ってよいのかどうか、、、三島由紀夫の世界に触れていると言った方がいいのか、あるいは三島由紀夫の世界と交感していると言ったほうかいいのか。三島由紀夫に精通している人が読めば、一句一句にいかに三島がいるか、それを楽しむことのできる作品群である。 たとえば、担当の文己さんが好きな(わたしも好き)、 サイダーにむせて新宿東口 これは、三島由紀夫の俳句〈ワイシャツは白くサイダー溢るゝ卓〉への一句である。三島由紀夫が俳句をつくっているとは、、、、そして、 七たびは生れ変つてかきつばた この句はいったい三島由紀夫とのつながりは。って思っていた。担当の文己さんによると、(文己さんは大学の卒論は、「三島由紀夫」ということもあり)、さすが、調べて知っていた。なんと、小説『金閣寺』のなかに登場し、金閣寺のそばに生えていたかきつばたを主人公がとってきて、友人がその花を生ける、という風な描写があったという。(わたしも読んでいるがすっかり忘れた)。 葉隠やさやさやさやと秋の風 これは分かる方にはすぐわかると思う。三島由紀夫著『葉隠入門』。本著について、「「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」の一句があまりに有名な「葉隠」。過激思想の書と誤解されやすいが、その真髄は「死という劇薬」こそが自由や情熱、生きる力を与えるという逆説的な「生の哲学」である――。「葉隠」の処世訓の精髄を読み解きながら、凝縮された三島の思想に触れられる。時を超えて現代人の心に強く訴え続ける名著。」と新潮社では解説をしている。そういう書物であることを踏まえると、中七下五の措辞が生きてくる。 こんな風に一句一句が、三島由紀夫への五六歩さんの俳句によるオマージュによって構成されているという面白い句集である。 五六歩さんが自解してくださった句もある。 勝鬨橋開閉の間の夏休み 「みんな欠伸をしていた。」というミシマの『鏡子の家』冒頭の一文が思い出されます。 橋の開閉のための交通渋滞に巻き込まれて退屈する青年たちを一行で喝破しています。 そして、この句は〈春の雪昭和は長きわだちかな〉に通底しているとも。 「「む」で眠る」の章は、二句組仕立て。 冬すみれむかしむかしの「む」で眠る をいう一句がある。文己さんの好きな句である。この「む」は、「無」であると同時に「夢」でもあると五六歩さん。「冬すみれ」の季語がやさしい。 風入れや六腑まばゆき人体図 逝きしもの書に風入れてまた会はむ これは私の好きな句である。「風入れ」が季語。しまい込まれたものを土用の晴れた日に取り出して、日陰で風を通すことであるが、人体図も風入れで生き返ったのだろう。また、おおくの書の作者はすでに故人となってしまっている、風をとおしてふたたびその書に目を通してその著者に会おうというのだ。五六歩さんは、現在パーキンソン病で闘病されている。本書に収められた「或る一日」と題した一日のメモ書きで、その闘病の過酷さがわかる。しかし、その五六歩さんをささえるのは、輝かしい過去の日々だ。それは青春の光をまとっている日々と言ってもいい。まさに「むかしむかしのむ(夢)で」眠っておられるのだ。 伊藤くんの短い言葉の中には、熱い血がたぎっている。そんなふうに感じるのはぼくだけだろうか。クラスの同窓会があって、伊藤くんとは年に一度は会っているのだが、面と向かって話したことがない。もっと話したいなと思う。けれども、ここにある伊藤くんの言葉を何度も読み返しているうちに、伊藤くんの内部にあるものが、少しは見えてきた気がする。ここにも伊藤くんらしい、ドキッとするフレーズがちりばめられている。 ふたたび三田誠広氏の文章を紹介した。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 五六歩さんのご希望で、画家・小川博の装画を表紙絵として用いた。 細密に描かれたペン画である。 掌にのるようなサイズであるが、手作りのたいへん凝った一冊である。 本当に小さい。 しかし、出来上がってきたときに、「ああ、いいわねえ」と言って思わず胸にだきしめたほど、素敵な一冊となった。 「こういう本っていいわねえ。おしつけがましくなく、どうだっていう感じでもなく、そっとそこに置かれていても、本自体が語り出すような一冊」とわたしはうっとり。 製本屋さんは、「ふらんす堂さんがまた凝った本をつくる」と言いながら頑張ってくれた本である。 製本屋さんのAさんは電話口で言う。「なんせ手作業ですからねえ」と。 丁寧に折られた袖。 扉。 美しい一冊となったことを五六歩さんは、たいへん喜んでくださった。 文己さんとのやりとりのなかで、三島由紀夫についてのことなどメールをくださった。 以下に紹介したい。 映画作品では『炎上』(市川崑監督、市川雷蔵主演)が優れていると思いました。市川崑監督、市川雷蔵主演では勝たせてもらえないでしょう。 一方、前評判の高かった五社英雄監督『人斬り』はいただけなかった。 田中新兵衛役のミシマも気負い過ぎているようでした。 映画『憂国』で、汚名返上を果たしました。この作品は映像も小説もすごいとしか言いようのないものです。 『憂国』をはじめとして私は、ミシマの小説作品より映像作品の方が好きなのか もしれない。これだけ多くの映像を残しているのだから、 「三島由紀夫映像アーカイブ」というのを作ってみたいと思っています。 ・今の五六歩さんにとって俳句とは 、 社会との接点、大切なコミュニケーション・ツールetc ・今後の俳句活動についてはいかがにお考えですか 句集を巻くという作業を終えて、今、俳句が作れなくなっています。 ふらんす堂の編集スタッフの手際よさには舌を巻きます。 七十歳を過ぎたので、ボチボチ行くことを心がけます。 近影写真を送ってくださった。 写真は飯田鉄という友人の写真家が撮ってくれたものです。 五六歩氏。 五六歩さま、 ご闘病の日々とは存じますが、どうぞお身体を大切にされて、ふたたび素敵な句集をおつくりさせてくださいませ。 ご健勝をお祈り申し上げます。
by fragie777
| 2021-08-10 21:34
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||