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8月5日(木) 旧暦6月27日
夕暮れの仙川の蒲の穂。 藺の花。 暮れてゆく仙川と鴨たち。 夕陽に照らされた翡翠(セミオ) 猛暑の日々がつづくと言っても、まもなく立秋である。 ことしはやや重苦しい気持ちでむかえる晩夏だ。 祈りとは膝美しく折る晩夏 摂津幸彦 新刊紹介をしたい。 46判ハードカバー装帯あり 284頁 二句組 俳人・湯沢八重子(ゆざわ・やえこ)さんの第5句集となる。湯沢八重子さんは、昭和19年(1944)長野県飯田市生まれ。俳誌「雲母」、「白露」、「白魚火」を経て現在は「草樹」会員である。また文芸同人誌「橋」の代表および編集発行人でもある。過去においては、「白魚火新鋭賞」「白魚火賞」「白露賞優秀賞」などを受賞されている。絵も描かれ、飯田市において「俳句と絵画展」を開催し、作品450点を発表。「俳句340、絵画110」南信州新聞に随筆を連載、随想集を上梓。句集のみでなく、歌集や随想集など、たくさんの著書がある。表現することに人生の多くを費やしてこらられた方だ。本句集は第5句集となる。 句集名「白い記憶」とあるように、本句集を「白」が貫いている。 蒼天にやはらぐ冬の白い月 八重子 本を開くと、直筆でかかれた著者の序句にであう。 冬の白い月のひかりとは、なんと淡くそしてさびしいことか。 帯は著者によって、こんなことばが記されている。 俳句とは正体不明の恋人。 追えば追うほど、 知れば知るほど、 尚さら見えなくなり、 解らなくなる相手。 目に見えぬ物たちの、 いのちと力。 いま、この星の、 光りのなかに、 生かされている私。 私を、どこかで、 じっと見つめ、 導き操るもの。 その存在を思うばかりで ある―。 さやかなる白絹を縫ふ男の手 白きものばかり干したり夏燕鳥渡る重き蔵の戸閉むるとき セーターをゆつたりと着て余生めく 虫を聞く身を飾る物みな外し 立ち上がる夏雲白を新たにす 水仙を活けて空気をととのへる 担当のPさんの好きな句をあげてもらった。この数句からもわかるように、白の句がすでに3句もある。このほかにも「白」の佳句がたくさんある。 さやかなる白絹を縫ふ男の手 この一句、わたしも好きな一句である。「さやかなる白絹を縫ふ」までは、きっぱりとした秋の空気のなかで、白絹が縫われていく景色が目の前に展開していくのだが、この「男の手」によって肉体のもつ温度を感じるのだ。白の絹と無骨な色黒な職人の男性の手、(美しい手をした男性はあまたいるけど、わたしは美しい指をしている男性はとくに好きであるが)ここではあくまで絹をさわる男の手は、ひややかではなく体温をもった丸みをおびた男の手なのである。それによって白絹の冷たさと秋という季節の冷ややかさが対比され、働く男の手のリアリティが浮き上がる。しかし、この手はすこしエロティックだ。美しい手ではないからこそのエロス。白絹にたいする男の手のエロス。男の手はきっと白絹に魅了されているのだろう。 虫を聞く身を飾る物みな外し ここには白はつかわれていないが、しかし、身をかざるいろいろな色を外していく、つまりは白への指向があると思う。さらに身体を透明にして、虫の声が身体をつつみ染み込んでいくような、虫の音と身体がいったいとなって協和する、そんな願いが作者にはあるのだ、きっと。虫の音の宇宙のなかにただいる、万物と作者を隔てるものはなにもない。そんな一体感へと近づいていくのだ。ほかに〈木とゐればわれも木となり涼しかり〉などの句にもそれを思う。 冬といふ静かなものに向きあへる 作者の身体はまさに伸縮自在である。冬という季節のかたまりと真っ向から対峙している。「冬といふ静かなもの」とこう表現されれば、「冬の静かさ」は揺らぐことなく読者の心に浸透してくる。冬って静かなものだっただろうか、と自問もしてみるが、これは、やはり、春でも夏でも秋でもなく冬がいちばんぴったりくる。この一句によって、冬というものが静かな足音をさせてわたしたちの目の前に立った、そんな思いになる。作者は身体ごと冬の静かさを吸い込んでいく、静けさのみがのこる、不思議な一句だ。つまり散文的にいえば、湯沢八重子さんにとって、いちばん心静かに過ごせる日々が冬なのだろう。しかし、俳句という定型によって、冬と作者は緊密にしてゆるぎない静かな緊張関係のなかにいつづけるのである。 白といふあしたのいろを冬椿 この句も好きである。句集名は「白い記憶」とあり、著者にとって白は過去からやってきた色であるが、また、白は未来の色でもあるのだ。白に託するこころは、〈不意にくる悲しみ足袋を白く履く〉のような句からも推し測られる。白によって癒やされるこころ。白が作者を統べているのだ。そして、その白はどこか悲しみをおびている。本句集をつらぬく色が白であるとすれば、それは悲しみをおびた白である。その白が貫いている句集である。 本句集には魅力的な俳句がたくさん収録されている。それは自然とのあるいは人との作者の関わり方の魅力的なありようから生まれたものなのだと思う。 すきな句はたくさんあったが、いくつか紹介したい。 とほき世の雛大事とかざるなり 男来て死にたいといふ螢の夜 真冬かなもう声のなき馬小屋も 月光に使はぬ部屋を明け渡し かなしびを一枚負うて着ぶくれる 夜を歩む白いマスクに身を委ね いまわれは ひそかなるかな ちまたに住みて つくづくと 遊行の糸を たぐりつつ わがための いのちのうたを うたはむとこそすれ ゆつたりと 真青な空に まろやかな 白い月あり 冬のひととき 「あとふみ」と題した「あとがき」の後半部分を紹介した。 本句集の装釘は和兎さん。 白を基調とし、瀟洒なものを。というのが湯沢さんのご希望だった。 また、湯沢さんは、ふらんす堂より句集『平面』を上梓した金田咲子さんともお親しく、金田さんの句集をごらんになって、ふらんす堂で句集をと思ってくださったということ。 着物のイメージでというものもご希望のひとつだった。 用紙には光沢のある縮緬風のものをもちいた。 タイトルは金箔。 題字は作者ご自身による。 和風の縮緬生地のようだ。 帯は金色のものなのだが、まさに渋い帯地のような用紙。 表紙。 ご希望の色だ。 見返しも織られているような和風な感じ。 扉。 湯沢さんの絵の作品を口絵に。 花布と栞紐。 美しい丸背。 金箔の文字。 白を基調とし、そこはかとない華やかさと気品のある一冊となった。 湯沢八重子さんは、上梓後に感想をくださった。 風とともに…… かつて、学生時代に少しの間はなれただけで、私はこれまでの年月、四方を山 に囲まれた谷間の生地に暮らしている。 雪山を高く頂く周りの山々。その山の匂いと山の気を、たっぷりと運ぶ四季 折々の風。私は山を渡る風と光が好きである。 人も動物も木も草も、皆山とともにあり、つらなる山に抱かれた市町村は、ひと固まりになって、いくつもの川の流れを光らせている。 山川草木、至るところに澄みとおる山の水。口をうるおす水の味は格別である。 谷間を海まで流れる大きな川は、時に暴れもするが、いまは昔と変らぬ姿で横たわっている。 仰ぎ見る空は、いや高く、まさに壺中の天である。 ややもすれば、光りにも風にもなりながら、この壺の中に、独り遊びつつも、 都の賑わいは元より、都の塵さえも知らずして、時の中に、身ひとつ揺蕩うもよ しとして、私は、今を生きている。 白牡丹柩のなかは繭のごとし 集中とても印象的な一句である。柩のなかを「繭のごとく」とは、、、この一句は柩によこたわるお姉さまを前にした一句であるが、まるでご自身が柩に横たわっているような感触である。ここでも白がある。牡丹の白、そして、繭の白。微妙にちがう。白牡丹の白は娑婆の世界の華やかな白かもしれない。繭の白は死者をつつむあたたかな白だ。白と白。死者にとっての白はかぎりなくやさしい。 本句集をつらぬく白は、その背後にひそやかに「死」を揺曳させているのである。 雨に濡れた白桔梗
by fragie777
| 2021-08-05 19:59
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