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8月3日(火) 旧暦6月25日
朝日さす仙川添いの櫟林。 ということは、yamaokaはとうとう早起きができたのか。 大当たり! 5時半に目覚めすこし格闘し、6時過ぎに起きた。 でも、ずるをしてしまった。 自転車に乗っちゃったのである。 あーらら。 丸池公園の手前にとめてあとは歩いたのであるが、健康のためには家から歩かなくては大した意味はない。 しかし、朝に仙川沿いを歩くなんて、はじめてのこと。 気持ちのいい朝だ。 犬を散歩させている人や、朝の散歩をしている人たちに出会う。 そのあたりは夕方の風景とそう代わりはないが、やはり空気がちがう。 長年生きてきて、早起きとは無縁でやってきた。 川鵜、 アレクサンドルか。。。 もちろん翡翠たちにはたくさん逢った。 そのうちの一羽。 セミノスケだと思う。 朝に逢うなんて、と思っているかもしれない。 水馬がいる。 ということで、一応朝の翡翠たちにも出会えたのだった。 明日はどうするかなあ、、、 どっちにしたって自転車じゃ意味ないし。。。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装フレキシブルバック製本帯あり 213頁 二句組 著者の日髙まりも(ひだか・まりも)さんは、昭和29年(1954)生まれ、宮崎県宮崎市にお住まいである。平成15年(2003)「鷹」に入会し藤田湘子に師事。平成17年(2005)「鷹」同人。湘子逝去により小川軽舟に師事。平成24年(2012)「椎の実」入会、平成25年(2013)「椎の実」同人。地元の宮崎県を基盤として、平成23年(2011)に宮崎日日新聞・文芸俳壇賞を受賞されたのを皮切りにたくさんの俳句関係の賞を受賞されている。また、宮崎県俳句協会理事をはじめとして、文化や芸術関係のいろいろな団体の役員をされたり、ご自身が指導をする俳句の会を立ち上げたり、精力的に俳句にかかわっておられる方である。本句集は第1句集であり、小川軽舟主宰が序文を、鷹同人で椎の実代表の布施伊夜子氏が跋文を寄せている。 夜の秋舞台いきなり海の音 小川軽舟主宰が帯にもとりあげ、集中特に好きな句として序文で鑑賞をされている一句である。 ほの暗い舞台に夜の秋の気配を感じたその時、いきなり海の音が流れて芝居が始まった。現実と虚構の境目が消えて日常の時間から引き離される。まだ誰もいない舞台に自分が立っているような錯覚に陥る。(略)私たちが生きていく中で、日常の時間から引き離される「その時」はいくらでもある。すぐに忘れてしまう「その時」を書き留めるところから俳句は始まる。 跋文を書かれた布施伊夜子さんは、日髙まりもさんを傍らにあってあたたかく見守り俳句の指導をされてきた方だ。 未来とはまだ間に合ふ日男郎花 落胆も二日つづかず茸飯 山々に清らかな水鶴渡る 青春は幾度も来い木の実独楽 運河より上げ潮の香や暮の秋 平成十六年十二月号にて、はやばやと藤田湘子選・鷹集準巻頭、つづけて翌年の一月号にて巻頭に輝く。それらの中から五句を掲げた。他に「泣くわれを見てをる我や鰯雲」「気兼ねせず泣ける秋潮ひろびろと」などがある。一句目は〈秀句の風景〉にも取りあげられ、その中で湘子は、まりもさんを個性派と位置づけ、俳句らしさの観念に陥らないよう呼びかけている。 これら五句から読み取れるのは、自分の感性に素直なところで言葉を選び、感興のおもむくがままに、苦もなく俳句が出来ていたということだろう。初心のときのみに賜るミューズの恵みと言ったものだろうか。 歳晩年の藤田湘子の選をうけるやいなや頭角をあらわした日髙まりもさんについて書かれている。そして、 野に出ればみな風になる茅花かな 太陽はひとつ吾にもダリアにも 明日にもまたある明日八手咲く 夕暮の嘘をつかない案山子かな とんばうに水の匂ひの夕日差す 若い大胆な発想と俳句手法の心得とがうまくかみ合った作品。まりも俳句の好調時の魅力はこのあたりにある気がする。どの句も個性的である上にたしかな手法が踏まえられている。俳句に表れる感覚の冴えは、この人の生活全般から滲み出てくるものかも知れない。 日髙まりもという俳人のなによりも良き理解者として、あたたな跋文を寄せられている。 秋風のためのカーテン洗ひけり ビー玉の中の冬日を転がしぬ沖を向くサーファーひとりづつ孤独 栗ごはん山の日の色つぶらかに 虫の秋枕を胸に日記書く 担当のPさんの好きな句をあげてもらった。序文や跋文であげられている句と重複しているのが多い。ここでは、序・跋にあげられておらず私の好きな句と重複している句をあげたい。 ビー玉の中の冬日を転がしぬ この句、「秋日」でもいいのではないかと思ったりしたのだが、「春日」や「夏日」はないな、と思ったのだけれど、「秋日」であるとあまりにもクリアで、冬の陽ざしの遠くまでとどくあたたかさが見えてこないと思った。ビー玉の中にまで差し込んでいる冬日。なんてあたたかそうなんだろう。それを転がし見つめる作者、あたたかな陽ざしのなかですこしさびしげな面持ちが見えてくる。どうしてさびしそうに思えるのだろうか。「転がしぬ」の下五だ。子どもだったらこんな風にはしないだろう、さっそくビー玉遊びに興じる(いまはビー玉で遊ばないか)かあるいは手にとりさえしないか、転がすという行為は大人の行為だ、しかもやや心にアンニュイをかかえて所在なさを託つ、大人のまなざしがみえてくる。「冬日を転がす」という表現が巧みであると思う。 雪を来し背広を吊す仏間かな これは私が面白いと思った一句。「雪」が季語。「雪を来し背広」というのが面白い。雪を来たのは、背広を着た人間で背広だけがやってきたのではない。当然そのなかの人間は省略されているわけだ。仏間に吊されている背広。きっちりと男性の体格にあってつくられているものなので、セーターやジャケットのようにぐんにゃりとはしておらず、真面目な面持ちで背広は仏間(これもなんだかおもしろい)に吊されてあるのだ。仏間とは位牌などを安置してある部屋でくつろぐ部屋というよりは、やや謹厳な空気がある。そこへ実直な背広が吊されている。しかも寒い雪の中やって来たのである。作者のこの背広の持ち主へのあらたまった思いもつたわってくるし、しかし、仏間につるされてかしこまっている背広がちょっと可笑しい。 暗闇に目の慣れてくる浴衣かな この一句は、どうってことのない一句なのかもしれないが、浴衣って暗闇がよく似合うって思った。「目の慣れてくる」主体は浴衣を着た本人なのかもしれないが、浴衣そのものが暗闇になれてくる、夏の夜の一風景として素描のような、一句。暗闇から浴衣の輪郭がくっきりとうきあがってくるのような一句にも思えて面白い。 これまで幾度か句集をと勧められてもそんな気持ちになれずにいましたが、出そうと心を決めたのは、昨年六月の母の死が大きなきっかけになりました。母は私の俳句でのどんな受賞も然程喜んではくれませんでしたが、遺品の整理をしていた時、新聞の投稿や受賞時の切り抜きが沢山入った箱が出てきたのです。 母が生きている間に句集を出せば良かったと後悔しました。遺された父のため、そして、温かく見守ってくれる家族のため、俳句に出会った喜びを形にしようと決意した次第です。 日髙まりもさんは、「あとがき」を大変丁寧に書かれているが、そのうちより抜粋して紹介した。 本句集の装釘は和兎さんであるが、日髙まりもさんのご希望を優先しての本づくりとなり、美しい一冊が出来上がった。 装画は、青木美和さんのイラスト。 担当のPさん曰く 装画も拘られました。 素敵だなと思っていた作家の方の絵を使うことができて満足されていらっしゃるのではと思います。 作品だけでなく隅々まで日髙さんのお気持ちが浸透している句集だと思います。 ということである。 タイトルなどの文字はすべて金箔押し。 表紙。 フレキシブルバック製本。 十分にひらく製本である。 角背が美しい。 扉。 謹呈用紙にもこだわられた。 母の死を毎日忘れ父涼し 俳句を通して自分を見つめてきたまりもさんは、あらためてその自分の立場で家族を見つめることが増えてきたようだ。家族の存在を通して、また新しい自分も見えてくることだろう。まりもさんはこの句集を母に見せることができなかったことを悔やむが、俳句とともに人生の新しいページを開いていく姿を見せることが、泉下の母をいちばん喜ばせるに違いないと思う。(序・小川軽舟) 句集上梓後のお気持ちを、日髙まりもさんよりいただいた。 第一句集でしたし、緊張が先立ち、正直、楽しむという気持ちにはなかなかなれませんでした。それだけに見本誌が届いた時は本当に感慨深かったです。ふらんす堂の方には無理を言って拘りを押し通させていただいた事もありましたが、 一度も出来ないと仰らず、私の希望を全て叶えて下さったことに心から感謝しています。 今思えば、過去の俳句を纏めている時間は、歩んで来た道を振り返る貴重な時間でもありました。緊張はしましたが、幸せな時間だったと思います。 日髙まりもさん。 身体的なひ弱さを精神的な強さで補っているのがまりもさんの日々と言えよう。 と、布施伊夜子さん。 頑張り屋さんなのですね。 朝日のあたる丸池公園。
by fragie777
| 2021-08-03 19:09
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