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7月26日(月) 旧暦6月17日
今朝はちょっとばかり早起きをして庭の水まきをした。 実は昨日、島忠で水まきホースを購入したのである。今まで使っていたのが古くなって壊れてしまいそのままに放置していたのだが、この猛暑、庭の植木が暑さにあえいでいるのが伝わってきたのでいよいよ重い腰をあげたのだった。 購入したホースはこんな感じ。 小さくて軽くてむかしにくらべて扱いやすくなった。 ひと仕事おえた水まきホース。 シャワー、ショット、キリ、それからもう一つ、の4つの種類の水の出し方があって、わたしは面白くっていろんな水の出し方をやってみた。ショットは強すぎて苔をいためる、シャワーだと弱い。 で、ショットとシャワーの中間にしてみた。(こういうのは前の水まきではできないことだ) うん、いい感じ。 撒かれた庭の一角。 日が当たらないので木の根元にいい感じで苔が生えていたのだが、このカンカン照りと植木をきったことで陽ざしが届くようになり苔が乾きはじめたのだ。 今日懸命に水をやったのだが、どうだろうか。。。 そうしたら、 台風が上陸するっていうじゃない。 まあ、いいか。。。 「水撒き」は「打ち水」の傍題であるが、「水撒き」で詠んでいる俳句って意外とないのである。 「水撒き」を終えると、わたしは必ずといっていいほど、田中裕明さんのこの句が口をついてくる。 水まきしホース打ち捨て施餓鬼寺 田中裕明 とくに好きな句というのではないけれど、情景がうかんでくる句だ。 お施餓鬼ということもこの句ではじめて知った。ここでは「施餓鬼」が季語だ。 いい句だと思う。 「打ち捨て」という措辞がいいとも。 役目をおえてそこにぐんにゃりと横たわっているホースがみえてくる。 水撒いたあとってホースをそのまま打ち捨てて、つぎのことに向かう、そんな気持ちがある。 そこが施餓鬼寺というのもおもしろい。残暑きびしいなかを集まってくる信者さんのためにすこしでも涼しくという配慮もある。施餓鬼の前のあわただしさも感じられる。 今朝も、水撒きを終えたあとこの句を口ずさんだ。 余談であるが、田中裕明さんは、「施餓鬼」の季語がきらいじゃなかったみたいだ。 全句集には六句収録されている。 昨日の讀賣新聞の長谷川櫂氏による「四季」は、星野恒彦句集『月日星』より。 炎日のやうやく昏るるメリーゴーランド 星野恒彦 長谷川櫂氏の鑑賞について、星野恒彦氏がお電話をくださり、 「ぼくがロンドンにいたときにつくった句なんです。この句をとりあげ、こういう風に鑑賞してもらえるのは嬉しいですね」と。 「人の世がはかない祭りなら、回転木馬メリーゴーランドほどふさわしいものはない」と長谷川さん。 このメリーゴーランドの情景は、いくつかの映画のシーンを呼び起こす。 秩父夜祭りに、もっと素朴な回転木馬がやってきて、一度だけ乗ったことがある。 極度の恥ずかしがり屋だったわたしは乗っている間中、顔があげられずはやく終わることのみを願っていた。 そして今日の毎日新聞の坪内稔典氏による、「季語刻々」は、田島健一句集『ただならぬぽ』より。 ただならぬぽ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一 「ぽ」は何か。クラゲの光を連想するが、その意味はわからない。と坪内さん。 そして、この句を読むと、読者の中でときどき「ぽ」が光るだろう、とも。 やはり、「ただならぬぽ」である。 今日の讀賣新聞の「枝折」に、武藤紀子著『宇佐美魚目の百句』がとりあげられている。 虚子に師事した俳人の百句を弟子が読み解く。巻頭に〈火の山の銀河は髪に触るるかに〉を掲げ、厳しさや透明さを持った美が魅力と書く。 余談ではあるが、わが家はそんなわけ(?)で蚊の発生がすごい。 庭にでればブーンと音がして蚊がよってくる。 今朝もそうであった。 が、 なぜか寄ってくるのだが、喰われないのだ。 (寄るな!!)と念力をいれているのが効いているのか、そんなわけない、 わたしの血が不味いとふんだのか。 蚊は何匹もわたしの回りを飛び交っているのに結局わたしはどこも刺されなかったのである。 喜んでいいのだろうけれど、ちょっと微妙な心もちである。 蚊にも好かれないってか。。。 ちょっと前に会った野良猫。 走ってやってきたのだが、写真撮るから止まって、 って言ったら、すぐに止まってこんな顔をしてくれた。
by fragie777
| 2021-07-26 19:26
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