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7月25日(日) 大阪天神祭 旧暦6月16日
国立・谷保に咲いていた胡麻の花。 あの食べる胡麻のイメージと違ってなかなか美しい花だ。 オリンピック見てます? わたし、ほとんど見てないなあ。 目下、ケーブルテレビの番組で、「エルキュール・ポワロ特集」をやっていて、全70話を完全放映している。 それを可能なかぎり録画して、ほんとうは全部したいのであるが、ほかにも録画をしなくてはいけないものがあって、全部ではないのだ。 それを順次見ている。 このポワロ作品は実はもう何回も見ているのであるが、なんどみても面白い。 で、今日もみたし、これからも見ようとおもっている。 早川書房から出ている文庫本のアガサクリスティーは、すべて読んでいる、それも何べんも。そして新鮮に驚く。というのは、犯人をわすれちゃうのよね、3度目くらいになると途中から、ああ、これはひょっとするとこの男が犯人かも、なんてわかる場合もあるのだけど、ほとんどが始めて読むかのように驚く。これはいかにわたしの記憶力がなっちゃないかっていうことで、すこしも自慢できることじゃないんだけど。 まあ、人生飽きませんね。 ドラマとなった「エルキュールポワロ」は、あのポワロ役のデヴィッド・スーシェがそれはもうポワロそのもので、すぐれたポワロ作品シリーズとなったと思い、わたしも大好きなシリーズであるが、原作にくらべてなんというか、結末が苦く重いのである。殺人犯罪をあつかっているのだから、そこには人間の薄汚れた欲望や悪意や妄執などが描かれるわけだから明るいはずなどないのだろうけど、原作はもうすこし明るい推理小説であり、わたしはそこが好きなのだけど、ドラマは後味が悪い。その後味の悪さが、見る者に課題を残すようで、そういう演出のされ方をあえてしているのだろうなと思う。そしてそれは成功しているとおもうのだけど、ドラマを見たあとの心地よいカタルシスはなくて、腹にこたえるものが残る。それがこのドラマを成功させた要因なのかもしれない、とも思う。原作にあくまで即しながら、推理することの面白さや楽しさを超えて、人間の欲望の醜さを描きだしている、それがわたしに見終わったあと、ヤレヤレという思いをさせるのかもしれない。 それともう一つ、はじめとおわりに主題曲が流れる。わかるでしょ、あれ。 わたしはあれが苦手。あの曲がながれると飛ばす。聞いていたくないのである。どうしてなのかは、わからない。 やるせなくなってくる。 あなたはどう? 今日は午後より仕事場で仕事をし、6時をすぎてもまだ明るいので、わたしの翡翠に会いたくなって、仙川に自転車をとばす。 昨日も友人たちに「セミコちゃん、セミオくん、可愛いね」って言われ嬉しくていい気になっているyamaokaである。 仙川につくやさっそく二羽いてならんでいる。 そして行く先々にいるのよ、これが。 わたしを待っていたみたい、(嘘ですけど) そのうちの何枚か。 ここにいるのだけど、わかります? 肉眼ではこんな感じ。 もうあたりは暗くなっている。 わたしは見て二秒でわかっちゃった。 わかるでしょ。 こちらはちがう翡翠。 わたしの目の前にいるので、しばらく話しかける。 じいっとしてまるで話を聞いているみたいだ。 今日は全部で7から8羽の翡翠をみたのだけど、それは全部ちがうとは限らないので、多分見たの5羽ぐらいかも。 セミオもセミコもいなかった。 こちらはセミノスケかもしれない。 あまりにもたくさんの翡翠がいるので、もう区別がつきかねる。 でもすべて可愛い、 それはもう。 たくさんの写真をとってこれはほんの一部。 どうしよかしら、 翡翠が可愛すぎて、会わずにはいられない。。。 わたしの人生にこれほど翡翠がかかわってくるとは、、、 ねえ、、、 目の前に現れた椋鳥。
by fragie777
| 2021-07-25 22:26
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