カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
7月14日(水) 旧暦6月5日
今日は曇り日だったので歩いて仕事場に向かう。 途中の畑に青栗が見事だった。 美しいみどり色をしていて、曇り日なのに明るく輝いている。 疲れた目を癒やしてくれるようなみどりだ。 どう、この充実感。。。 わたしはしばしうっとりと眺める。 調べてみるとどうやら「青栗」という季語はない。 栗の季語の傍題になるのかしら。 いくつかの歳時記をあたったところ、「栗」の傍題でもないらしい。 「青栗」で詠まれてよいほどの、存在感がある。 夕方ちかくのこと。 「今日は7月14日、le quatorze Juillet つまりフランス革命記念日、パリ祭よ」ってわたしはスタッフたちに言った。 「おおパリ祭!」とスタッフたち。 「パリ祭」で反応する。(わたしは革命記念日と言いたいが) 「パリ祭」は季語だ。 パリ祭を詠んだ俳句では能村登四郎の句がとても好きである。 このブログでもう何度も紹介をしているので、今回はしない。(知りたい方は歳時記をしらべればすぐに見つかります。) 今日はちがう句を挙げよう。 椅子に組む脚うつくしく巴里祭 山下喜子 巴里祭という言葉のひびきとよく合って粋でいい句だ。 「椅子に組む」という措辞がうまいとおもう。 ジャンヌ・モローか、カトリーヌ・ドヌーブか、イザベル・アジャーニか、その美しい物腰とともに思い浮かんだ。 今日くらいわたしも美しく脚を組んでみようかしら、っておもったけど、バランスボールの上ではとても組めません。 って思いながら、左脚をひょいっと上げて右脚の上にのっけてみたら、あらら、組めるじゃない。 バランスボールもすっかり私の肉体の一部になりつつあるっていうこと、かな。。。 しかし、長くは続かなかった。 いつの間にか脚をひらいて踏ん張っていた。 「ふらんす堂通信168号」の校正のつづきを二時間ほどする。 高柳克弘さんの「現代俳句ノート」は、飯島晴子である。 多くのファンがいる飯島晴子だ。 やはり今回も高柳さん独自の視点からの切り込みが鋭く、面白い。 いまふっと思ったのだけど、飯島晴子さんって、脚を組んですわる姿勢がとてもさまになる俳人かもしれない。 何度かお目にかかったことがあり実際にそういう姿をみたわけじゃないけど、〈十薬の蕊高くわが荒野なり〉なんていう句をつくってしまう方だ。美しく脚を組んですわる毅然としたお姿が彷彿としてくる。 明日もまた、校正のつづきをする予定。 いろんなことをしなくてはいけないので、どうも仕事がきれぎれとなってしまう。 バランスボールの上で脚をふんばって頑張ろう。 朝の途上での風景。 保育園の園児たちだ。 なにか木の根元を覗いている。 ひとりはみ出している子ども。 子どもってかならずはみ出す子がいて面白い。 軽鴨の子どもも、そう。 はぐれものがいる。 はみ出す子がいてこその世界だ。
by fragie777
| 2021-07-14 18:34
|
Comments(2)
|
ファン申請 |
||