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7月13日(火) 旧暦6月4日
雨にぬれていっそうあざやかな赤松。 神代植物園には、このように赤松の林がある。 大きな赤松である。 日頃はあまり松には心がいかないのであるが、雨に濡れた赤松はなかなかに美しい。 俳人の武藤紀子さんは、松が好きだと『たてがみの摑み方』に書いておられたと思う。 そしてその松好きは師の宇佐美魚目ゆずりであるとも。 悼むとは湯気立てて松見ることか 宇佐美魚目 松風に気性はげしき蟻出でし 〃 住吉の松の下こそ涼しけれ 武藤紀子 赤松の冷たき影を泳ぎけり 〃 それぞれ「松」を詠んだ句をあげてみた。 魚目の「松風」の句について、『宇佐美魚目の百句』で、武藤紀子はこのような鑑賞をしている。 松風に気性はげしき蟻出でし 『薪水』 平成六年 私の「松好み」はやはり魚目ゆずりなのだ。 この句は自画像だろうか。 魚目は静かな人に見えるが、実は気性が激しかった。 昔は逆鱗に触れると恐かったようだが、私が師事した頃はもうめったにそんなことはなかった。 まるで熊谷守一みたいに、しゃがんで蟻を見ている魚目の姿が浮かぶ。「じーっと見ていると左足の二本目から動き出すんだ」という守一の言葉は本当だったと魚目は言っていた。 松風がごうごうと吹きぬける海べりの林。砂混じりの土から黒い蟻が出てくる。 海辺にそって松林が植えられている光景がある。 それを遠くから眺めるのが好きだ。 松林はみなそれなりに清雅に傾いて、その合間から海が見える。 松の垂直と海の水平線の構図が目にやきつく。 そういう時って松っていいなあ、と思うが日頃はとんと思わない。 郷里の家の庭に小さな築山があってそこから水が池へとおちていくように石で案配されて、その水が落ちていくところに小ぶりな松が一本植えられていた。松は天には伸びず、池のこちら側の方に向かってちょっと気取ってその枝を伸ばしていた。 家を設計した建築家さんが、この松を見つけるのに大変だったと両親に力説しているのを小学生だった私は(ふーん)って聞いていた。角度と形が問題であったようだ。すでに父も母もいない郷里の家の庭の松ははたして元気だろうか、あいかわらず気取った風に枝をのばし身をくねらせているのだろうか。いまブログを書いていてこの松への懐かしさがこみあげてきた。 郷里に帰省することができたら、さっそくこの松のところに行ってみようかと思っている。 朝出社すると、「ふらんす堂通信169号」のゲラがドサッと置かれていた。 (ああ、そうか、校正があったのだ……) するべき仕事をかたづけてから、夕方ちかくにゲラをよみはじめる。 今回は受賞特集が四本もある。 第12回田中裕明賞、第55回蛇笏賞・第13回小野市詩歌文学賞、第21回日本詩人クラブ賞、第19回鬣TATEGAMI俳句賞。 わたしは、受賞された方の「特別寄稿」を読むのが好きである。田中裕明賞を受賞された如月真菜さんの寄稿を拝読して、ああいい方が受賞されたなあって思ったのだった。蛇笏賞、小野市詩歌文学賞のダブル受賞の大石悦子さんの寄稿は、先日このブログでもちょっと触れたが大石さんが大切にしているある感情について書かれている。とても面白く読んだ。詩の賞を受賞された詩人の河津聖恵さんには、これまでいろいろと「通信」などでその詩への思いを語っていただいたので、今回を詩の作品を一篇いただいた。絵師・伊藤若冲をめぐっての詩である。「余白がしずかに鼓動を始めた」という詩行がとりわけ好きだ。そして鬣賞受賞の大久保桂さん。「ふらんす堂友の会」の会員さんでもある。わたしたちにとっても嬉しい受賞だ。 もう一つの特集は、「西宮舞句集『鼓動』を読む」こちらはおなじ「香雨」に所属している鶴岡加苗さんによる書評である。 今回の「こわい俳句」は、歌人の栗木京子さん。 今日はここまでゲラを読んだ。 明日、この続きをよむつもり。 さっ,帰るぞ。 ところで雨は止んだのだろうか。。
by fragie777
| 2021-07-13 19:11
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