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7月5日(月) 旧暦5月26日
神代植物園のバラ園。 ふだんはほとんどここに足をふみいれることはないのだけれど、(薔薇は個人のお宅で丹精込めて咲かせているのを見るのがすき)昨日は通ってみた。 薔薇はどれもぐっしょりと濡れて、かわいそうなくらい。 しかし、やはりここは人気があってほかの場所よりは人がいる。 世界のさまざまな薔薇が植えてあり、すべてゴージャスな名前がついている。 あっちこっちにこんな風に彫像がたっている。 いくつか薔薇を写真に撮ってみたが、ここではいちばん濡れていたように見えた薔薇だけをアップする。 びしょ濡れでしょ。 たしか、「ブルームーン」と命名されていたと。 このバラ園はフランス式沈床庭園という様式で左右対称に作られているらしい。 広々としていてそれはたくさんの薔薇が植えてある。 庭といえば、わが家の庭は葉が茂り放題に茂ってまるでジャングルのさまを呈していたが、見るに見かねて近くの造園業さんが、「お庭の手入れします」というチラシを投函していくほど。数日前にお願いしている植木屋さんが入って、すっかり綺麗にしてくれた。まるで料亭の庭みたいだ(と勝手に思っている)。狭い庭なのに3日間かけてやって貰うほど、木も葉もが伸び放題だった。「やりがいがあります」と植木屋さん。 朝庭をながめながら、日頃お手入れって大事なんだわってつくづくと思う。 で、今朝は暴れ放題の髪にヘアー油を塗ってみたりしてみた。我が家の庭ほどにはおよばないけどすこしは落ち着いたわね。 新刊紹介をしたい。 菊判ハードカバー装帯有り 230頁 2句組 装釘 中原道夫 著者の關考一(せき・こういち)さんは、昭和38年(1963)埼玉県川口市生まれ、現在も川口市にお住まいである。平成17年(2005)「銀化」入会、中原道夫に師事、平成23年(2011)「銀化」新人賞受賞、同人となる。現在は「銀化」同人会幹事、俳人協会会員。第1句集である。中原道夫主宰が序文を寄せている。著者の略歴がなかなか面白い。俳句入門のきっかけをこんな風に略歴に記している。 「財閥系不動産会社法人部門勤務の傍ら取引先法人重役の無茶振りで句会に参加、着物の俳人の虜となり中毒性を感じるが手遅れとなる」と。中原主宰の序文によれば、黒のスーツに身をかためた巨漢で(中原さんよりもっと)しかも博覧強記、そして着物好き、つまりは巨漢同士、博覧強記同士、着物好き同士がそこで出会ったということである。そして俳句の虜となってしまう。序文によると、「こういう人は、お試しの一回だけで、次は来ないだろう、と思っていた。見縊った言い方だが、今までにもそういう人を沢山見て来た。」とあり、しかし、そんな中原さんの思いを見事に覆したのである。 虹失せぬジントニックをもう一杯(ひとつ) この句集のタイトルにもなった句だが、読み手に因っては、夫々違った読み方をするのではと思われる。作者のシチュエーションにも因るが、しょっ中スコールのような雨がやって来て、虹の良く架かるハワイなどのリゾートでの一杯、とも考えられるし、虹の持つ夢というよりは希望desire の方で読むと、虹失せぬは何処か失意の底でもう一杯、立て続けに呻る─という意味合いにも取られかねない。しかし、季語「虹」の本意で考えれば、勤め先からの帰りの夕虹、急な驟雨を遣り過ごす為に寄った店での、もう一杯ということに落ち着く。 と言う風に序文ははじまって中原主宰の序文は關考一という弟子にたいしてあたたかな気持ちをよせながらもスマートに洒脱である。読み終えるとなかなかおもしろい關考一なる人物像がその俳句を伴って立ち上がってくる。 帯文をここでは紹介しておきたい。 冬ざれに値段を付くる仕事かな 關考一は一介のサラリーマンではなかった。段々明らかになる氏素性。家業では古くから造園業を営み、好むと好まざると、俳句を始める以前から自然を刈り込む仕事を傍らで見て来た。そして、気が付けば、大量の読者によって培われた強記という”鋏”で刈り込むことを始めてしまっていた。 ゴーグルに当るものあり冬銀河 身を固くして切られたる海鼠かな ひるがへり帰燕の心しか持たぬ 冬ざれのつまらなさうな重機かな さては此は冬眠に入るねむさとも 担当は文己さん。 文己さんの選んだ句を見ていると、詠む対象、それが季語であってもそこに自身の感情を投影させることが多い著者かもしれない、と思ったのだが、そうでもなくて、担当の文己さんがそういう句にシンパシーを感じた所以か。ここに詠まれたたとえば「海鼠」「帰燕」「重機」はどちらかというと負のニュアンスがあるように思える。 わたしはこの句集を拝読したとき、一貫してそこにあるのは、「さびしさ」の感情だと思った。それは「負のニュアンス」を伴っていることとも関係している。中原主宰も序文でさびしに触れ「逆境といえるかどうか、その寂しさを自虐的に書くことで活路を見出している様で」と書かれているが、わたしには、さびしさの感情がさわさわと句集の背後に流れているように思えるのだ。 只今と守宮に言へば事足れり 赤とんぼ淋しき肩を知りてをり 新涼も寂しきものの一つかな 音も無く肩が吸ひ込む春の雨 守宮に言って「事足れり」というのが、なんともである。守宮が迎えてくれるだけでもまだいいか。「事足れり」と言ってそれで充足する作者なのか、そうではないのだ。しかし、それ以上をつよく望んでいるわけでもない、すでにさびしさを飼い慣らしてしまっているのである。胸の内にかかえた寂寥感、あるいは空虚感のようなもの、そういうものと慣れしたしんでいる、しかしさびしい顔をもった男性だ。「春の雨」の柔らかな気配、雨を肩が吸い込むなんて、なんとさびしい肩であることか、赤とんぼがとまりにくるはずである。新涼を寂しきものと感じる作者、しかし、ここでは「新涼も」であってほかにもさびしいものはいくらでもあるのだ、作者にとって。「新涼」の季語の本意からいえば、ちょっと意味合いがちがうんじゃないって思ってしまうが、、、それほどまでなのだ、關考一さんにとっては。 關さんの「あとがき」は狸の話からはじまる。狸を車で轢きそうになったことから、その無器用さに己自身の姿を見いだしていく。そして、 あの狸は存外、強かなのかも知れない。しかし不格好だ。でも狸の煎餅はとんと見ないし、野生の癖に文明や世間の流れにも意外に適応している様だ。 よし、間抜けに見えても不格好でも、右往左往、十七音の試行錯誤を繰り返しつつ人生の往還を渡って行こう。これも俳味と云うものかも知れない。 と書く。そして、 ここに、穴から這い出た如き拙い句集が世に出た。 甚だ周囲の方々のお手を煩わせ乍ら、とうとう本の姿に化け得たものである。 僕なりの百帖敷の世界をお楽しみ頂けたなら、望外の喜びである。 読者へのサービス精神は充分ある著者である。 中原道夫主宰の序文と關考一さんのあとがきの文体が、見事にハモっているように思えるのはわたしだけだろうか。 銀輪を草に倒して夏休 好きな一句だ。「銀輪」は自転車のことだと思う。しかし自転車とは書かず、「銀輪」としたのがいい。まだそれほど汚れていない自転車、夏休みになってさあ、これから自転車を乗り回して夏を謳歌しようっておもっている自転車、その銀輪に草の緑が映っている。草に倒してという措辞に「夏休」に新鮮に向かう心の開放感やわくわく感もみえてくる。「銀輪」いいなあ。 春雷が棄人形の眼に宿る これも好きな一句である。棄人形の謂が絶望感を露わにする。「捨」ではなく「棄」と表記してあるところも、すでにそこには捨てた人間との関わりを断絶している人形がいるのである。しかし、その人形は眼をもっている。すでに虚ろな眼であるのかもしれないが、それを春雷が一瞬照らし出す、いや「照らしたのではなく」「宿った」のだとおもった。人形の魂を呼び起こしたように思えた。そしてそれが「雷」ではなく、「春雷」であることによって、人形がかつてもっていた華やぎの残り香をも呼び起こす。 本句集のタイトル「ジントニックをもう一杯」はアメリカの現代小説のタイトルのようにスタイリッシュであり、そして、装釘もとびきりスタイリッシュだ。 手に取ったときおもわず、「かっこいいわねえ」と言ってしまった。 チャンドラーの小説に登場するフィリップ・マーロウがいそうな気配。 中原道夫さんの装釘である。 黒を基調としているが、スマートな奥行きがある。 自選句は青の文字である。 黒メタル箔を効果的につかい、タイトルを際立たせる。 中原さんならではの意匠である。 表紙はカバーを裏切るように用紙の質朴感を演出。 決して気をぬかずデザイン性行き届かせる。 見返しは濃紺。 とても都会的だ。 この紺の色と風合いがわたしは好き。 扉。 花布は黄色、スピンは紺。 都会のバーのカウンターに置いてあっても様になるような一冊である。 まさか、最初に句会に現われたあの日の自分が、こうして句集を出してしまう〝暴挙〟?〝快挙〟を誰が想像しただろうか。何しろ「FU」の会からの一番手(トップバッター)ではないか。一番驚いている自分に、ジントニックであろうが何でもいいから、ささ一杯やってくれたまえ。長らく序文を待たせたお詫びだ。そして何よりもお目出とうと言いたい。 (序・中原道夫) 出版してみると、「どの句もどの句も面白い」とか、「素朴・直截・いきなり面 に飛び込む様な」とか、「句集で吹き出したのは初めて」等沢山の反響が頂けて、現在も日々お一人お一人独特のご感想が頂けるのが非常 に嬉しい限りです。 そして、現在の自分の貌ってものは他人に教えて貰わなければつくづく自分では 分からぬものだ、と思います。お読み頂いたある先輩から、「貴方はこの句集で真っ裸になりましたか」と訊か れ、「いや、ステテコにTシャツでとても楽」とお答えしました。 チャップリンの言を俟たずとも「人生は近くで見れば悲劇だが、少し下がって見 れば皆喜劇」だと言うし、自分としてはまあ、一生懸命だったのだが、そこが余計「吹き出しちゃう」らしいです。ですから皆様、怖がらずに「ジントニック」に口を付けてみて下さい。 どうやら皆さん「楽しい」酔い心地になるらしいです。 句集を上梓された後のご反響と關さんのお気持ちをご紹介した。 お写真も送ってくださった。 (すこし肌理が粗いのですが。) 着ぶくれて父植木屋を生くるなり お父さまは植木屋さんであるということ。 植木屋さんにはひとかたならぬお世話になっておりますので、もうそれだけでyamaokaは尊敬をしてしまいます。 大手不動産会社を辞めてトラック・トレーラーの運転手もされたとか、植木屋さんのお仕事をお継ぎにはならないのですか。 などは、大きなお世話ですね。 御句集のご上梓おめでとうございます。 心よりお祝いをもうしあげます。
by fragie777
| 2021-07-05 20:50
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