カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
7月4日(日) 旧暦5月25日
雨の一日。 投票をすませてより、午後神代植物園に向かう。 神代水生植物園には、もっか鴨が卵をあたためているということを昨日の俳人の山本潔さんのFacebookで知った。 その姿を一目みようとおもって、車を走らせたのだった。 水生植物園に行く前に、植物園の方に立ち寄ってみる。 睡蓮の花。 しっかり雨に濡れている。 梅雨寒の今日は、人影もまばらである。 睡蓮の余白の水面うすぐらし 髙橋道子 水生植物園に行く。 いったいどこに鴨はいるのだろうか。 いた。いた。 池の端のほう、 藺草であろうか、草丈がスカートのように広がってその円の中心にいる。 卵は見えない。 多分10個くらいあるのかしら。。 次に来るときはたくさんのチビたちが生まれているだろうなあ。 楽しみである。 (蛇に気をつけて頑張って)と小声で言って去る。 かるがもの子どもひきつれた場面にはよく出くわすが、こうして卵をあたためている姿を見るのは初めてである。 今日は、田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』 より7月2日のもの。田中裕明さんの鑑賞である。 あぢさゐに倖せの色つひになし 同じ「しあわせ」といっても、にんべんがつくつと単なる巡り合わせとか、運ということよりも、もっと重いかんじがする。世間一般の幸せから、人それぞれの運命に、言葉の持つ意味が変わるようだ。それにこの倖せという字は、その裏側に不幸という言葉がぴったりと貼り付いている。 紫陽花は梅雨時にその花をよく見かける。庭先などに植えられている大きな毬状の花である。この時期、ほかの花が少ないだけによく目立つ。よひらという古い呼び名もある。四つの花びらが集まっているのでこの名がある。花が開いてから順に花の色が変わっていくことから七変化と呼ばれることもある。 色が藍色、青、水色、うす紫、赤と変わっていく間に、倖せのいろがなかったという。日々色を変えていく紫陽花に心を寄せて、しかもわが身の来し方行方が思われるのである。 作者殿村菟絲子は明治41年(1908)東京生れ。水原秋桜子に師事した。夫を先に亡くしたのち、「竹皮を脱ぐわれ何脱がば癒えむ」などの作がある。掲出句は句集『樹下』(昭和47年刊)所収。(紫陽花・夏) 紫陽花の花はすでに盛りをすぎて、今日の神代植物園でもほとんど見かけなかった。 もうすでに秋の花である木槿や桔梗が咲いていたのだった。 いったい暑い夏はやってくるのだろうか。。。。 今日は暖房をつけてしまった。。(猫のためでもある。)
by fragie777
| 2021-07-04 21:13
|
Comments(2)
|
ファン申請 |
||