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7月2日(金) 半夏生(はんげしょうず) 旧暦5月23日
烏。 いるとついカメラを向けてしまう。 烏とは友だちになりたいと思うことがある。 対等な目線の友人関係が成立しそうな感じがする。 いや、わたしより世の中の道理をよく知っていて、相談事などをもちかけてみたいとも。。。 今日は半夏生。 そして半夏生の頃に雨がはげしく降ることがあると「くらしのこよみ」にある。それを半夏雨(はんげあめ)という。 そこここに水輪おどろく半夏生 津川絵理子 今日ってまさにこんな感じで雨が降っていた。 新刊紹介をしたい。 ![]() とある。本句集は坪内稔典氏の編で「解説」が付されている。略年譜によると、四明は1850年(嘉永3)に京都に生まれ、1917年(大正6)に京都で急性肺炎によって死去、享年68歳。以下坪内氏の解説を抜粋する。 この『四明句集』は明治四十三年五月に出た『四明句集 全』を元にしている。『四明句集 全』は著者、中川四明が、自身の還暦を記念して出した自筆句集、四季に部立てし、一頁に十句(四明の字の彫刻は大橋一雄)、本文は袋綴じ三十丁からなる。本文の前に大谷句仏の序、四明の自序が、本文の後には四明の弟、草間時福の漢文の跋、「六十一家吟」と題した諸家の俳句がある。また、着色の挿絵数葉が散在する。 この大阪俳句史研究会編の『四明句集』は、右の『四明句集 全』の五六七句から 五〇〇句を採った。今日の読者から見て分かりやすい句を、と意識して選んだつもりだが、かなり難解かもしれない。第一に用語がむつかしい。句仏は序で「四明翁は京の古る事に委しき俳士」と言っているが、故事来歴に通じた知識がその句を難解にしている、と言っていいだろう。たとえば春の部冒頭の「粟田」「投草履」「鶯のはこ」「衣紋師」「県召」は、現代の読者にとっては注釈が必要かもしれない。私も必要とする。でも、四明の体現していたこの一見古い世界は、明治時代の京都の現実の一面であった。四明の句はそのような歴史的時空を伝えている。ちなみに、聾桟敷のように今日から見ると差別というほかはない表現もあることを書き添えておく。 わたしも初めからしまいまでこの句集を一通り読んでみたが、確かにすっとあたまの中におさまらない。土地の固有名詞も多い。京都に住んでおられる方は、また違う味わい方があるだろう。 坪内氏の解説は、要点をおさえた短いものであるので、そのおおかたを紹介しておきたい。 略年譜から分かるように、ドイツ語を習得した四明は、教育者、新聞記者、翻訳家、美学者などとして活躍した。開化期日本の多面的に活動した啓蒙家だった。その彼が俳人にもなったのは新聞「日本」を通して子規とその仲間と知り合ったことが機縁で あろう。ちなみに、子規が編集主任だった「小日本」では、創刊号から六〇号まで霞城山人(四明の別号)の名で翻案小説と思われる「貴公子遠征」を連載している。 四明は明治二十三年に「日本」を退社、京都に戻る。以来、京都が彼の拠点になり、京阪満月会、俳句雑誌「懸葵」などの活動によって彼は京都を代表する俳人になった。 ずいぶんと幅広く活躍したものである。明治というあたらしい時代を背負う知識人の風貌が顕れてくる。翻訳家であり美学者でもあったということから、俳句もモダンなものというイメージを持ってしまうが、いやそれほどではなくて、今日の目からすると全体的にはやはりやや古くさく瑣末的と思ってしまったのであるが、どうだろうか。 本句集は四季別に分けられて「春」から始まっている。 鮎つるや花の中なる大悲閣 うぐひすや膝にさめたる火熨鏝 涼しさや遣水に灯の走りゆく 山蟻にひかるる夢も昼寝かな 夏を痩せて似たりと思ふ素心蘭 袋角二月の花の色に出でぬ 栗の毬の鬼となりたる丹波かな 書を抱て先生三たび煤を避く 担当のPさんが選んだ句である。わたしが好きな句と何句か重複しているのもある。〈涼しさや遣水に灯の走りゆく〉や〈山蟻にひかるる夢も昼寝かな〉〈袋角二月の花の色に出でぬ〉など。 山蟻にひかるる夢も昼寝かな 山蟻は、きっと民間の蟻よりもたくましいのかもしれないが、いくらなんでも人間をひっぱる力はない。しかし、四明さんは、蟻にひっぱられて山へと連れ去られるそんな夢を見たのだ。この時の四明の感想はどうだったのだろうか。コワイ夢だったのだろうか、それとも山蟻の世界へと導かれるメルヘンのような夢だったのだろうか、いずれにしても昼寝のいっときの夢である。 出代りのぶしつけに問ふお給金 古くても面白いと思ったのはこの一句。「出代り」は春の季語である。「昔の風習で、奉公人が契約期間を終えて郷里に帰り、新しく勤めるものと入れ替わること」と歳時記にある。もう今は使われない季語である。しかし、奉公人(この言葉自体も死語だ)であっても、聞くべきことは正当な権利(?)として聞くのは当然のこと、とおもってはいけないのだ、やはりそれは「ぶしつけ」なことなのだ。この一句、時代も明治という新しい時代をむかえて、奉公人の意識も変革されつつある、そんな時代の新しい風を感じさせてくれる一句だ。 以下比較的わかりやすく景がよく見える句や好もしいと思った句や京都らしいなあという句をいくつか挙げたい。 残る雪に伽藍見えけり東山 草の餅山青く水白きかな 短夜の笛わすれたる人憎くき 夕風や茅の輪の幣の白く見ゆ 笠二つ一つは立ちぬ田草取 ころがりて露楽天の心あり 鳳凰堂の螺鈿こぼるゝ蛍かな 室町の日かげの庭や秋海棠 照雨や曼珠沙華より晴れ来る 貧而して清而して年の暮 納豆も冬ざれ色や朝の粥 各四季から数句ずつ選んでみた。 貧而して清而して年の暮 この句は、清貧なくらしのなかで年の暮をむかえるさまを詠んだ一句なのだろうか、すごく好きな一句だ。貧であることをすこしも恥じていない気高さをおもわせる一句である。「貧而して清而して」という措辞がいい。すっきりと言い放つその姿勢がその人格を表している、そんな一句だ。年の暮の季題で詠むというのがなんとも心憎い。こんなふうな心映えで生きてみたいものである。ほかに、秋に収録されている〈ころがりて露楽天の心あり〉も、好きな一句である。「楽天の心」か、いいな。 夕月や庭の茂りに守宮鳴く この句は、担当のPさんと話題に上った句である。「守宮って鳴くの?」ってわたしが聞いたら、「鳴きますよ。キィーって」とPさん。「ええっ、わたし今まで生きてきて聞いたことがないわ」っていうと、「わたしよく聞きますよ」「ええっ、いったいどんな時に守宮って鳴くの」「それは守宮を捕まえて手でにぎると鳴きますよ」「ひゃー、守宮を手で握るなんてできないわよ。よくできるわね」「握ると冷たくて気持ちいい」ってPさん。「………」わたしは異星人を見るようにPさんを見たのだった。守宮が鳴くって知ってました?Pさんが、インターネットで探して鳴き声を聞かせてくれたのだけど、たしかに鳴いている。でも、ねえ。ただ見ていても鳴くのかしら。 四明は大正六年に六十八歳で死去したが、大正九年に四明の全句集ともいうべき『四明句集』が出た。粟津水棹、名和三幹竹の編集、懸葵発行所刊の類題句集である。『四明句集 全』の作品もこれに収録された。また、『四明句集 全』は昭和十五年五月に古板復行会から限定百部の復刻版が出ている。 と「解説」にある。 この烏は守宮が鳴くことを知っているだろうか。
by fragie777
| 2021-07-02 19:09
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