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7月1日(木) 富士開き 旧暦5月22日
ご近所の丸池公園にはすでに萩が咲いていた。 夏萩である。 税金の支払いなどがあって銀行にいく。 窓口でうけつけをしてもらっている間に、キャッシュカードで現金をおろしていると窓口で呼ばれる。 いそぎ窓口に行くとわたしの書いた引き出し伝票何枚かに不備があるので書き直す様に言われる。 「あらら、ごめんなさない」と言いながら書き直し伝票を預かって、机の上で書き直しているとわたしの背後で女性の大きな声がする。 「だれー! 現金をカウンターに起きっぱなしにしている人は!」って。 振り向いてカウンターをみるとわたしに関する現金その他がみごとなほど起きっぱなしになっている。 「あらら-!、わたしです」といそいでそれらをつかんで恥じ入る。そしてふたたび書き直しの作業をつづけていると、またその女性の声が。 「預金通帳がおきっぱなしですよー!」って。 ふりむくと、わたしの預金通帳つまりふらんす堂の預金通常がぽつねんとある。 「あらー、いやだ、わたしです」と再びそれを取りに行く。本当に恥ずかしい。。。 受付の女性はただただ驚いたようにわたしをみている。 よく無疵のままにやってこられたものであると、仙川という街の長閑さに感謝するのみである。 先日おしらせした「俳人協会賞授賞式の模様」の動画中継であるが、わたし時間を間違えてお伝えしてしまったらしい。 新刊紹介をしたい。 四六判背継上製カバー装函入り 536頁 7句組 跋 年譜 初句索引 季語索引つき 俳人・鈴木明(1935~2021.5.28)の全句集である。闘病中に本句集の編集はされて、亡くなる前日に見本をお届けしそれを手にした氏は敦子夫人と喜ばれそしてそのまま昏睡状態へ。翌日に静かに息を引き取られたのだった。いつ亡くなられてもよいというような状態で本書の編集はすすめられ手にとっていただくことは無理ではないかと思われたのであるが、敦子夫人のせめて見本だけでもというつよい願いがかなって、しかと手にとっていただき頁を繰っていただいたのであった。 鈴木明は俳誌「野の会」の主宰者であったが、2020年に「野の会」を終刊し、そのご「実の会」を復活させ主宰を継続したまま逝去された。 本句集のために氏は「あとがき」を書かれている。すでにご自身の死を予測されていた上での「あとがき」である。そこにご自身の俳句歴を端的に書かれておられるので紹介をしておきたい。 第一の師は先師日野草城亡き後の伊丹三樹彦であり、第二次「青玄」で現代口語俳句を指導されていた。私は憲吉を始め、桂信子、伊丹公子、高橋睦郎、阿部完市、秋田の安井浩司、殊に「花曜」の鈴木六林男から強い影響を受けた。 平成十五年結社誌「野の会」を創刊者故楠本憲吉より継承した。所属者数三百数十名、誌歴四十余年の由緒がある。以後十七年にわたり主宰として指導にあたったが、令和二年「野の会」は小生の高齢を理由に廃刊した。 平成が令和に年号が代わった秋、自身も考えていなかった大腸結腸癌に罹病手術、続いて翌年一月に肝癌が転移併病、入院中に引き続きラジオ波電動手術を同病院で行う等、体力的に運営が厳しくなった事が理由でもある。 令和二年春から新型コロナ禍に襲われ東京だけでなく世界はパンデミックに陥り、当初予定されていた輸入ワクチンも思うように入荷せず、年をまたいでも尚不安は続いている。 本句集は、句集『独神』、『写楽』、『白-HAKU』、『〇一一年一月』、『甕 Amphora』の五句集に増補版「今日」を加えた全句集である。跋を岡田路光氏が書かれ、年譜は鷲ケイジ氏編による。 岡田氏の跋文は、鈴木明の作品を詳細に分析し、「テーマ」「表現技法」「季語の使い方」「音律感覚」について懇切に言及した渾身の鈴木明論である。 萩桔梗女の時計に時合わす 一月のナプキンに描く 癌の位置君の瞳が君の熱学一葉落つ 犬1/2見え癌研裏は冬残置 ト書きのように女駈け出す小諸の秋 谷戸どんつき黄色い電車午睡せり 櫃に米あるごとく友に母ありき 振って確かめる電球の死敬老日 六月の空ふかくゆく潜水夫 ラグビーをみるおとうとの耳飾り 凍鶴に月の放埒日の独善 法城をすてて男の春の服 独活に刃を入れて女の香り消す 四輪駆動で来る火祭の夜遊神 年を越す耳を動かせる人と 戦友とよび相方は屠蘇の妻 どかどかと化石にのこる春のおと クソ上品な牛モツ煮込み敗戦日 目ン玉縦に割る稲妻や眼の忌日 寿命とか待ち時間とか日永し 担当のPさんの好きな句を紹介した。 萩桔梗女の時計に時合わす 戦友とよび相方は屠蘇の妻 鈴木明の女性観がみえる句である。「女の時計に時合わす」と詠んでいるのは第1句集『独神』に収録されたもの。明氏かなり若いときの作品だと思う。この措辞のむこうに、女にへつらうわけでなく女性を充分に尊重しようとする男性像がみえてくる。なんかカッコイイって思う。しかし、この「女の時計に時合わす」って具体的にはどういうことだろう。どういう状況が見えてくるか。想像するに、たとえば待ち時間を約束し、女性がかなり遅れてきた、しかし遅れてきたことなどに文句はいわず、約束の時間はいま女性がやってきた時間がそうであり、自分はすこし早く来すぎたのだとおもっておこう。どうだろう。若い男性としてはかなりカッコイイと思う。若さというのは何事にも性急でありどうしても自身を正当化する傾向にある。歳をとった年配の男性が若い女性と待ち合わせるというような場面ではこういう鷹揚さも理解されるというものだが、鈴木明という人ははなっから老成をしていたのかもしれない。おかれた季語「萩桔梗」も薔薇や菫などではなく渋い秋の花である。う~む、ますますカッコイイなあぐっとくるyamaokaである。 そして、「戦友とよび相方は屠蘇の妻」も、なんとも素敵な男女関係である。この妻はもちろん敦子夫人。鈴木明氏を支え続けて来られた方である。病床で全句集を手にとりながら、「あっちゃん、ありがとう」と何度も言われたという。この句、お正月に、ほのかにあるいはしたたかに(どっちでもいいが)酔っ払った妻をつくづくと敬愛の眼差しで眺めながら、ともに戦う妻であり友であることよと、讃歎のエールを送っているのだ。こんな風に夫に愛されてみたかったなあ。。と言ってみようか。担当のPさんは、お二人の関係をみて明氏の女性(妻)をみる眼差しのありように感激をしていた。全句集をつくるにあたって、敦子夫人を全面的に信頼しあらゆることを相談をしながらであったということだ。夫人はその信頼に充分応えようとすべてをささげるようにして明氏をささえたのだった。Pさんはそのお二人のやりとりをつぶさにみてきたのである。 一月のナプキンに描く 癌の位置 これもすごい一句だ。句集『独神』収録。この句に関しては、句集によせた楠本憲吉の跋文がある。興味ふかいエピソードを交えているので紹介したい。 昭和三十七年四月一日、西東三鬼は胃癌で病没した。当時、三鬼と親交を深めていた私は、三十六年の暮、銀座のとあるバーに三鬼からよび出され、行くと、三鬼はカウンターの椅子に腰を下していた。その横に腰をおろすと、三鬼はやおら一枚の紙片にボー ルペンで胃を描き、その底辺辺りを黒く塗りつぶし、「憲さんよ。俺のこのあたりにガンが出来てな」と平然といい、私を驚かせた。 この一句はその時の思い出を再現させてくれるのに必要十分なものがある。 虚子五百句の微量の砒素を斂む冬 この一句、わたしが面白いと思った句。やはり句集『独神』収録。俳句をまなぶ若き日には当然のごと、虚子の句をおおいに読んだであろう。花鳥諷詠、客観写生を主導する虚子である。わかりやすく平明な虚子の句と思って読んだところ、いやはやそこには毒がひそんでいたのである。「微量の砒素」があやしく不穏でいい。読者をしらずしらずむしばんでいく、そうそうやすやすとは読めない危険性がある。それが虚子なのだ。季語「冬」が閉ざされた空間をおもわせる。 句集『独神』には面白い句がたくさんある。 影のみヒト科の僕を許すか冬日燦 なんていう句も好きだな。 句集それぞれに寄せた序文や跋文はそれぞれ読み応えがある。 高橋陸郎、伊丹三樹彦、木村光雄、楠本憲吉、的野雄、安井浩司、筑紫磐井、高山れおな、などの各氏の鈴木明論に触れることができる。 このたび念願の『鈴木明全句集』を上梓することができた。 私が昭和三十四年に肺病で入院していた隣床に俳句の先達「青玄」の木村光雄がいた。その年の秋、その光雄を訪ねて楠本憲吉先生が来院された時、先生に初めてお目に掛かった。それから六十余年(三十代に一時仕事で休みはしたが……)の歳月を俳句一途に学んできた。妻の山本敦子の大いなる協力を得たことは言葉に尽くせぬ感謝がある。また四十年近く私を底辺から支えてくれた俳句仲間「実の会」の諸兄姉を忘れることはできない。皆と毎年欠かさず行った吟行や祝会のたのしさとともに……。 (「あとがき」より) 本句集の担当はPさん。句集刊行までPさんはかなりたいへんだっと思う。何度も鈴木明邸をお訪ねしての打ち合わせとゲラのやりとりだった。いろいろと伺って確かめなくてはならないこともあり、最後の段階では「任せる」とおっしゃられてそれは責任重大だった。岡田路光氏に助けられながら判断をし、ほかにもと「野の会」の鷲ケイジ氏や渡邊きさ子氏のご尽力も大きい。 本句集の装釘は、和兎さん。 鈴木明氏は、たいへんおしゃれな方である。 故に、本作りにこだわられた。 函入りのものにしたいこと、背継ぎ表紙がいいこと、1頁にたくさんの句をいれないこと、などなど。 そのご希望をとりいれながらの本作りとなった。 版元としては嬉しい本作りである。 もはや、函入りや背継ぎ表紙などそれを希望される方は少なくなりつつある昨今だ。 職人さんが素晴らしい製本技術をもっていてもそれを発揮する場がない。 こんかいはおおいに発揮してもらった。 函の文字は金箔押し。 帯には薄く模様をしき、函の天地と見返しと扉にその模様を配した。 髪質は材質感のあるもの。 背継ぎ表紙。 紺色の布クロスと平面は淡いベージュの布クロス。 背の金箔がはえる。 金のラインが美しい。 金色の花布をあしらい、丸背のカーブを美しく。 見返し。 扉。 口絵。 口絵裏。 紺と白栞紐。 本は美しく開く。 添えられた謹呈用紙。 ここには、辞世の句が記されている。 天涯の至純至白の滝の壺 鈴木 明 謹呈用紙はあらかじめ普通の謹呈用紙がすでに刷られていたということである。しかし、亡くなられてすぐにこの辞世の句(あらかじめいただいていた)を印刷して謹呈としたということである。 死ぬ死ぬと言い死なぬ俺冬青空 「今日」より 自らの死を予測し、全句集刊行を決意されそして刊行までをご自身で見尽くして出来上がった見本を戦友である敦子夫人とともに喜び、そして逝ってしまわれた鈴木明氏。 あまりにもあっぱれな……… ご冥福を心からお祈り申し上げたい。 たくさんの冊数をおつくりにならず、ただ、若い俳人のかたがたに読んで欲しいというお気持ちがつよかったということだけを書き添えておきたい。
by fragie777
| 2021-07-01 20:51
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