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6月30日(水) 大祓(夏越) 旧暦5月21日
神代水生植物園の片白草(半夏生草)。 この日は、柵に沿って片白草が咲きつづいていた。 花菖蒲もまだ少しは残っていたが、すでに盛りを過ぎたあとだった。 さて、昨日の水浸しになったコーヒー豆のことであるが、レンジで乾燥させた直後は香りも匂いもしなかくなってしまった。ところが一日置いておいたら香りが戻っていた。 ああ、これなら大丈夫だろうと、今朝はこの豆にすこし正常(?)な豆を足してコーヒーミルで挽いてみたところまあまずの珈琲となった。 やや薄めの味であったが充分に美味しかった。 珈琲って日々味がちがう。同じように淹れたつもりでも酸味が強いときや苦味が強いときがあり、同じ豆を使っていてもこうも違うものかと、おもうのだ。しかし、珈琲の味はこうでなくてはいけないなどと味にうるさいわけではないのでそれなりに美味しく味わっている。 前にも書いたが美味しい珈琲は冷めてもコクと風味があって美味い。 珈琲といえば、かつて観た映画「バクダッド・カフェ」を思い出す。1989年の映画だ。 アメリカ西部にあるモーテル&カフェにつどう人々の交流をえがいた映画だった。まったりとした音楽と独特のテンポ、映画館に観にいってからそれっきりになっていたが、さいきんDVDでも観られるようになった。人々の心をつなぐのは、魔法瓶にはいった珈琲。テーマ曲「Calling You」はよく知られている。(聴けば誰でもああ、あの曲って思うのじゃないか) 良い映画と評判だったが、わたしはもう一度観たいと思わなかった映画だ。ケチをつけることなんてないのだが、そういう映画ってかなりある。30年以上も(!)経ったいま、観たらどんな感想をもつだろうか。 しかし、観ない、、、、。 今日の坪内稔典さんのブログ「窓と窓」は、能村研三著『能村登四郎の百句』より。 →能村登四郎の俳句―『能村登四郎の百句』から 息子が父の句を読み説いたのがこの『能村登四郎の百句』(ふらんす堂)である。息子ならではの視点が面白いことはいわずもがなだが、父の画期的な句が枯野の沖の句だという指摘は客観的でとってもいいと思う。何がいいかというと、この句は「難解句で様々な鑑賞がなされている」という指摘、そして、この句が「詩のことば」になっているという指摘。この2点が実は『枯野の沖』という句集をあまり例のない優れた句集にしているのだ。私の挙げた5句はいずれもこの句集にある。 と坪内さんは書き、『枯野の沖』より好きな句を5句あげておられる。そして、 575の言葉が詩の言葉になっている。この点で句集『枯野の沖』は画期的だ。 と書き、「言葉の世界の風景」であるからこそ様々な読みがなされると。 坪内さんが挙げた句はどれもいいが、わたしはとりわけつぎの一句がすきだ。 プールより出て耳朶大き少年なり いま、そばにいるスタッフのPさんにこの句を読み上げて「ねえ、この一句ってちょっとエロティックじゃない」と言ってみたら、Pさんは「それって爽やかで健康的な一句ですよ。エロティックというよりも」と。「能村登四郎の句よ。だからそう思ってしまうのかな」とわたしが言うと、「そうですよ、おなじ耳を詠んだ句なら、鈴木明のこの句のほうがエロティックですよ」と教えてくれたのが、次の一句である。 ラグビーをみるおとうとの耳飾り さて、あなたはどう思います? Pさん曰く、「お正月にボーッとしながら寝ころんで兄と弟がいる。兄の視線が弟の耳飾りへと行く、そのけだるい感じがなんともねえ。それにこの「耳飾り」っていうのがいいじゃないですか。」「そうね、ピアスなんて言わないところがちょっといいわね。耳飾りの物質感と揺れるけだるさ。」とわたし。「ラグビーを季語にして、弟の耳飾りを詠んだ句なんてこれまでないんじゃないですか」とPさん。 ということで、 明日は、 『鈴木明全句集「今日」』を紹介します。 吉祥寺のカジュアルな骨董店で購入したスタンド。
by fragie777
| 2021-06-30 19:00
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