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6月28日(月) 旧暦5月19日
こんな風に群からちょっと離れている子もいる。 南蛮畑を通り過ぎて少し行った先にいたのだった。 梅雨の一日らしく、小雨の降る日だった。 かつては見通しよいところだったが、新しい家がどんどんと建てられていく。 前方の小さな森が城山公園である。 このところ、会う人ごとに「痩せたんじゃない」って言われる。 先日俳人協会賞の授賞式でお目にかかった藤本美和子さんにも今日電話で言われた。 「顔が小さくなった」とも。そりゃ嬉しいお言葉だけれど、このことはそのまま喜ぶわけにはいかないのね。 私くらいの年齢になると、「顔が小さくなる」→「顔がしぼむ」→「顔が老ける」ということにもなるのである。 ダイエットも適当にしておかないと、えらいR女となってしまうのである。 新刊紹介をしたい。 四六判フランス装帯あり 190頁 三句組 俳人・星野恒彦(ほしの・つねひこ)氏の第5句集となる。星野氏は、現在俳誌「貂」の主宰者である。1976年「れもん」入会、1980年川崎展宏の「貂」創刊に、編集長として参加、川崎展宏に師事。現在は俳人協会名誉会員、早稲田大学名誉教授であり英文学を専門とされる。国際俳句については国際俳句交流協会で副会長として尽力をされてきた。 本句集は、7章に分けられ、1から4章までは四季別に、5章は「日月と車椅子」と題して、奥さまへの介護をモチーフとした作品、6章は「鴨を詠む」と題して住まい近くの池(妙正寺池)にやってくる鴨を年月をかけて詠んだもの、第7章は「ロンドンに住んで」と題した海外詠を収録したもの。これについては「あとがき」にこんな風に書かれている。 一九九四年三月から翌年三月まで、早稲田大学在外研究員としてロンドン・ウィンブルドンに庭つきのフラットを借り、家族と住んだ時の作となる。住民税を払い地元の警察に届出をし、グリーンカードを所持しての生活だった。その一年は忘れがたいことがいくつもあった。四月に英国ハイク協会のイベントに参加、R・H・ブライスの育ったエセックス州イルフォードと、彼の卒業した小学校を訪問し、彼の業績を顕彰した。 七月、英国ハイク協会とロンドン大学日本研究センター共催の「芭蕉没後三百年記念大会」(二日間)に参加、「古くて新しい芭蕉の意義」を英語で講演した。翌日テームズ川畔を英国ハイク協会員十二人と吟行し、英語連句を捌く。 十月、パリの小池文子宅のディナーに招かれた。相客が日本学・仏教学の権威、ベルナール・フランク教授で、家妻は隣席の教授と特に歓談。 翌年一月二十日、ジョン・キーツ生誕二百年祭(於キーツ・ハウス)に招待され、次期の桂冠詩人アンドルー・モーションに親しく紹介された。 たんなる留学生というのではなく、住民税をはらってのロンドン市民のような生活を送られたようである。英国人との俳句の交流に尽力されたのである。余談になるが、この時のお話を星野氏より直接に伺った。日本も経済的に豊かで大学も教職員に対して鷹揚であり、良き時代であったということだ。「わたしたちはよい思いを随分してきました。今の学生はたいへんですね。だからわたしはたいへんな思いをしている学生にはできるだけ協力をして恩返しをしたいと思っているのです」と星野氏は語られたのだった。 本句集は、単なる年代別句集にとどまらずいくつかのテーマをとりいれた読み応えのあるものとなっている。 いぬふぐりはるかな雲と息合はせ 好きな一句である。春に咲く小さな青のいぬふぐり、俳人が好んでよむ雑草の花だ。息を合わせているのは「いぬふぐり」そのかすかな呼吸をとらえたのは作者。この一句であたりまえのことなのだけれど、花って呼吸してるんだなあって思うのだ。「息合はせ」という表現が、リアルにわたしたちに届くのはこの花の名前に「犬」という字をがあるからかもしれない。この小さな花にふっと感じる動物の気配、「息合はせ」ということばがあたらしい発見のように気づかされるのだ。 匕首のひかりの莟白木蓮 白木蓮を詠んだものである。その莟を「匕首のひかり」と喩えた。わたしは最初、莟みの形態が「匕首」のようであり、それが鋭い光を放っているととらえたのであるが、どうなんだろう。青空に天上に向けて直立するようにある白木蓮の莟を切っ先鋭い匕首に喩えてもそれはそれで暗喩として成立する。それがシャープな光線を放っている。しかし、この句、「匕首」よりも「ひかり」に重点をおくと、すこし印象が変わってくる。つまり「匕首のひかり」=「莟」ではなく、匕首がはっするところの「光」=「莟み」とすると、匕首はひとまず白木蓮のそばからやや遠ざかり、その発する光が白木蓮の発する光そのものである。という読み。すると白木蓮の光が際だってくるのだ。どくとくの光をはなって。それはまるで匕首から発せられたような光である。という。「匕首」という言葉が強すぎるので、このまま「匕首の光」と読んでしまうと匕首と莟が一挙に映像化されてしまって匕首が発する光となってしまうのだが、光のするどさを強調し独立させるために「匕首がはっするところの光」とした方が美しい莟が立ち上がってくる、わたしの言いたいこと果たして伝わっているかしら。すこしこだわってみましたが、へんかな。。。 桃咲くや雀斑気にせぬ老妻と 好きな一句である。やさしい思いにみちた句だ。「老妻」がいいのかなあ。「若妻」だったらどうなんだろう。桃の花を眺めているのである。ずっと長い間を共に生きてきたすでに若くはない妻と一緒だ。ふと妻の顔をみるとそばかすがある。「そばかすがあるね」なんて妻に言ったりしたのかもしれない、妻は笑って「いいのよ、もう歳なんだから、そばかすのこの顔でこれまで生きてきたんですもの」なんて言う、そして夫も「ああ、そうだね」と言って笑って愛おしそうにそばかす顔の妻をみる。桃の花はピンクの明るい色で咲いていて、その妻の顔を照らしている。梅でもなく桜でもなく、桃であるところがあたたかい。このような一句をつくる星野氏、素敵です。この一句で長い間に共に生きてきたご夫婦のよろしき関係が見えてくるのだ。 ほかに 抱き上げし子犬の鼓動木の芽風 十薬や日向日蔭となく盛り 空蝉をたたき落とせし豪雨かな 茎透けど華縺れあふ曼珠沙華 名にイヌとつく草の花それぞれや つつましき十一月にわれ生れし 笹鳴やいつもきれいな外厠 ほとばしる犀の尿聞く四温かな わたしには第一句集以来、小さな(エゴ) の個人的な消息ではなく、大きな意識・「いのち」の流れの宇宙的な消息に、片鱗でもふれることが出来たらとの思いがある。 「月日星(つきひほし)」と宇宙へ呼びかけ歌うのは三光鳥。 それにあやかって「月日星」をこの句集の題名にした。 と「あとがき」にある。 本句集の装釘は、君嶋真理子さん。 句集を製作するに当たって、星野恒彦氏には、いくつかのこだわりがあった。 フランス装でいきたいということ。 箔押しなどは使わずに、ということ。 本文の書体は大きめであっても太くはならず、印刷は濃くならないように。 など、など。 海外生活でいろんな本を見てこられた氏ならではの本づくりへのこだわりである。 それらを考慮しながらの製作となった。 当初はタイトルは金箔を予定していたが、星野氏のご希望でスミ刷りに。 質朴感を大事にされた。 見返しはグレー。 天アンカットで。 栞紐は銀。ご希望である。 フランス装ならではの折と角。 手作業でグラシンが畳みこまれた表紙。 瀟洒で美しい仕上がりとなった。 「第五句集はかねがねふらんす堂のフランス装丁で出したいと思っていた」とあとがきに書いてくださったのは嬉しい。 フランス装はなかなか難しい造本である。 一応できるところはあるが、美しいフランス装というのは職人さんの技術を要するのである。 そういう意味では、ふらんす堂がすごいのではなく、ふらんす堂をささえてくれる製本屋さんがいいのである。 いつも丁寧で美しい本を作ってくれる製本屋さんである。 フランス装、わたしもとても好きな造本である。 涼しさや何見るとなく目を細め 恒彦 軽鳧の子のふためき走る水の面 恒彦
by fragie777
| 2021-06-28 19:23
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