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6月24日(木) 旧暦5月15日
雨後のハクセキレイ。 谷保で。 谷保の田圃にいた青鷺。 半日以上ここにいた様子。 軽鴨の親子が谷保にもいた。 ちょっと用があって、いただいている雑誌コーナーを物色していたところ、四ッ谷龍さんが編集発行している新しい「むしめがね」№22を見つけた。 書棚にちゃんと50音順に並べてあったのだが、わたしはこの一冊に気づかなかった。 いったいいつ送っていただいのだろうか。。 いただく俳誌などはすべて目を通すようにしているのだが。。。 「特集1 田中裕明の思い出」とある。 小津夜景さんと西村麒麟さんが、批評をよせておられる。 小津夜景さんは、「夜をめぐる工房」というタイトルである。 丁寧書かれた評論であるけれど、ほんの一部のみ抜粋したい。 小津夜景さんは、本著のⅡ「田中裕明『夜の形式』とは何か」」を中心に論をすすめていく。 四ッ谷龍『田中裕明の思い出』はおだやかで、芯があり、うつくしい裕明のすがたを伝える書物だ。その描きぶりはみずみずしい恋のようで、ひさびさに通読したいま、裕明の思慕のゆかしさにあらためて驚いている。(略) この本でもっとも多くの頁が割かれているのは、二〇一〇年一月二十四日、現代俳句協会青年部講演会で著者がおこなった講演「田中裕明『夜の形式』とは何か」だ。「夜の形式」とは裕明が角川賞を受賞したときに発表した受賞の言葉のタイトルで、謎めいた雰囲気をたたえていることで知られている。またその文体については吉田健一をほうふつとさせ、そのせいか読む側も、裕明が吉田の趣味をなぞっているのかと思いそうになる。だが四ッ谷はそうした見せかけの文体に惑わされることなく、原文から一語一語を順番にひろいあげ、哲学、絵画、音楽の知識を駆使してそれらをていねいに秩序立ててゆく。 (略) 裕明の俳句は写実・写真的なものの見方=「昼の形式」を判断停止することで本質に達することを目指し、またその写生は「精神」や「目に見えないもの」を排除しない一種の発明であると四ッ谷は主張する。ここで夜の絵画の例として、村上華岳が採られているところがとてもいい。 思索はさらに「昼は夜へと変換される」と題された一章へとつづき、そこで四ッ谷は「夜は昼を排除するのではなく、昼を受け入れながらその本質を別のものへと変えていく」と述べる。おそらくこの一文こそ、裕明句の豊かさを解明するもっとも重要な指摘であり、かつ本講演のクライマックスでもあるだろう。わたしは、この指摘に感銘を受けるとともに、ひとつの疑問をも見いだしした。 と、四ッ谷さんの論考を解明しながらも疑問を呈している小津さんだ。 小津さんの疑問は、四ッ谷さんが書くところの「昼と夜の関係は不可逆だと言えます」という言葉にたいして、「はたして昼と夜はほんとうに不可逆的関係なのか。」と言い、田中裕明の「夜の形式」原文を引用しながら、 深夜の瞑想が産みだすバロック音楽。床の間がつくる薄暗い闇。障子がつくる明暗のあいまいさ。これらは昼と夜とを意図的に嵌合した例であり、わたしは「バロック音楽も、深夜ひとり机にむあって目瞑る男が書いたと考えることができる」のくだりに、夜を昼へと越境させる匠の仕事を見る。昼の床の間や座敷に夜を受肉させるように、夜の瞑想に昼を受肉させるのである。(ちなみに「空想」以外に受肉の保方はない。現実世界において昼と夜は不可逆だから) と論考する。以下は略するが、これほどに丁寧に読まれた「田中裕明『夜の形式』とは何か」についてはないのではないだろうか。 たいへん乱暴な抜粋であるので、ぜひに論考全体を読んでいただきたいとおもう。 本論において、わたしは「裕明に対する四ッ谷の思慕のゆかしさ」という言葉、なんと美しいことばであり四ッ谷さんの思いを言い当てた言葉であることか、、ぐっときてしまった。 そしてもうお一人は、西村麒麟さん。 タイトルは「裕明と裕明さん」 西村麒麟さんは、田中裕明の句をあげながら、本著を紹介していく。 (略) 2005年5月号「俳句研究」の田中裕明追悼号は、実家の尾道の本棚に大切に置いています。当時まだ大学生だった頃に購入したこの大切な追悼号は、正月やお盆の帰省のたびに読み返すことにしています。初めて読んだ時から随分経ちましたが、今でも読み返すたびにどうしてそんな句が作れるのだろうかと不思議な気持ちになります。 水涸れて天才少女とはかなし 『櫻姫譚』 なぜ、「水涸れて」と置くことが出来るのでしょうか。 壺焼やこの人は磨けばひかる 『先生から手紙』 「壺焼や」が先でしょうか。「この人は磨けばひかる」の発想の閃きが先なのでしょうか。 僕の中の田中裕明はいつだって天才的で、きらきらしています。どうしても俳人以外の姿が想像出来なく、ついつい裕明さんでなく、「ひろあき」と呼んでしまいます。 (略) 「ヤネセン」と題された文章はこうはじまる。 裕明が亡くなる半年ほど前の四ッ谷さんとの楽しそうな二人吟行の話が好きでこの箇所は何度も読んでいます。千駄木で電車を降り、乱歩のD坂で有名な団子坂をのぼり鴎外の「観潮楼」跡にある図書館の鴎外記念館に寄る。さらにずんずんと藪下通を下り、漱石旧居跡、根津神社へ。文学好きが一度は行ってみたいと思う見事なヤネセン。(谷中、根津、千駄木の頭文字からそう呼ぶ)吟行です。 空蝉に風吹いてゐる谷中かな 茉莉に書き杏奴に書きぬ夜の秋 草かげろふ口髭たかきデスマスク 『夜の客人』の中でもよく知られている句ではないでしょうか。特にデスマスクの句は草かげろふとの取り合わせが不思議な句として印象深い句です。 (略) 2004年9月号の「ゆう」には「ヤネセン」に関するエッセイが残されています。 東京は三十五度を越す炎暑で、仕事の翌日だったので背広にネクタイの格好でのヤネセン歩きは玉の汗でしたが、まことに楽しい。 この「まことに」という言葉のあたたかさ。「ゆう」のエッセイはどれも短いですが、裕明の優しさを感じる素敵な文章ばかりです。 (略) 裕明の句は読者を、静かで、なんとも良い気持ちにしてくれます。全句集の中でも特に『夜の客人』にその傾向を強く感じます。その説明し難い不思議な魅力を、四ッ谷さんの手助けを受けながら、探って行くのは実に楽しい時間です。 (略)田中裕明という作家に惚れ込んでいる感情が溢れ出てしまっているところが、『田中裕明の思い出』の最大の魅力ではないでしょうか。 (略) 裕明さんはどうも、生きているような気がしてならない。 あそびをり人類以後も鳴く亀と 『夜の客人』 西村麒麟さんの文章はかなりの枚数のあるものなので、まさにほんの少しの抜粋である。 こちらも全文を読んでほしいものである。 「ルーペ帳」の編集後記にこういう四ッ谷龍さんの一文がある。 『田中裕明の思い出』は、『冬野虹作品集成』の編集とともに私にとってライフワークと言える仕事だ。この本を形にすることができて心か安堵している。実際に本にしてみると、裕明の俳句について新たに気づくことがいろいろあり、彼に関してはいくらでも文章が書けそうだ。 と書き写しながら、ふと、奥付をみた。 令和元年七月五日発行 七月五日ということは、これって来たばかりよね、と思いながら、もう一度その発行日を見て、目が点になった。 令和元年!? っていうことはもうずっと前。今年令和3年でしょ。 わたし、じゃ、すでにこの「むしめがね」について、ブログで書いたのかしら。。。 あれー、やだー、 全然憶えていない、 同じ事書いていたりして、、 ああ、どうしよう、 一所懸命かいてきたこれを消す? 消してほかのこと書く? でも前に紹介していないかもしれない。。。 でもどうしてこの俳誌が新しい雑誌のとこに並んであったのだろう。 ああ、 いいじゃない、紹介していても、もういちど紹介したって、 田中裕明さんのことなんだから。。 それにふらんす堂で刊行させていただいた『田中裕明の思い出』なんだから。 ということで、このままにします。 でも、最初からへんだとおもったでしょ。知っている人は。。。 四ッ谷さん、このブログ読むかなあ、、 もしお読みになっていたら、すみません、まことにマヌケなyamaokaで。 小津夜景さま、麒麟さま、(も読まれていたら) 再び読ませていただいたのかもしれませんが、初めて読むように新鮮に拝読しました。 それにしても、ねえ。 R化はげしい今日このごろ。 ホント、ヤバイわ。 R化の所為ではないって、、、 ふ~~む。 余り苗
by fragie777
| 2021-06-24 19:53
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