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6月23日(水) 旧暦5月14日
神代植物園の水生植物園に咲いていた蕎麦の花。 蕎麦の花は通常は秋の花であるが、夏咲きのものもあるようだ。 夏蕎麦の花っていうみたい。 近くには捩花も。 昨日の讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、木暮陶句郎句集『薫陶』より。 恋心涼しミンサー織涼し 木暮陶句郎 長谷川櫂さんの鑑賞によると「ミンサー織」は、「沖縄で織られる男の帯」とあるが、ネット上でしらべたところ、沖縄の伝統工芸品であり本来は男物の帯として織られていたものであるが、いまは女帯としても、あるいはハンドバッグやお財布、衣類ほかさまざまにつかわれているようだ。色合いも美しく、材質もしっかりとしており、用い方によってはモダンでもある。 ブックカバーなんてあるのかしら、あったら一つ欲しいな。。。 藤原龍一郎著『赤尾兜子の百句』について、文藝評論家の服部滋さんが、そのブログで紹介をしておられる。 「百花繚乱」と題し、6月18日付けのものである。 塚本邦雄の『百句燦燦』についてより書き起こし、赤尾兜子の句の鑑賞へと入っていく。 抜粋して紹介したい。 「花は変」芒野つらぬく電話線 赤尾兜子 興味深いのは、まずご自身のこの句に対する印象を呈示し、それから塚本邦雄の『百句燦燦』におけるこの句の鑑賞を紹介し、そして藤原龍一郎の鑑賞を紹介し、藤原龍一郎の鑑賞と自身の鑑賞の共通性(「不穏なイメージと救いのない画面」)にふれ、さらにもうひとつつっこんだ藤原龍一郎説を展開している。 そして、 『赤尾兜子の百句』はふらんす堂の百句鑑賞シリーズの最新刊。兜子の句、百句を掲出し、短文を附したもので、兜子俳句の「誰にも似ていない異貌」をよく伝えている。「ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥」や「音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢」といった代表句に見られる、前衛俳句のなかでもとりわけ屹立した異貌と、初期俳句の清新な抒情、晩年の古典的な均整、といった変幻する「多面体」がこのコンパクトな一冊に凝縮されている。と。 藤原龍一郎さんは歌人でもあり、お仕事がら交友関係がひろいこともあって、この著書を俳人以外の方にいろいろと送られたようである。俳人でなくてもこのシリーズは読みやすいこともあって送られたみなさんよく読まれているようだ。そういう意味では、このシリーズはその俳人を知るための格好の入門書たり得るのかもしれない。 俳人以外の方にも大いに読んで欲しい100句シリーズである。 朝でかけようとしていろいろと準備していると、急に大きな音を立てて雨が降り出した。 まさに豪雨といった感じである。 (あら、まあ、すごい雨) と言いながら、わたしは家中の窓をしめた。 今日は長めの麻の白シャツに、紺地に細い縞がはしっている綿とウール混合の裾広のパンツをはいて出社するつもりだった。 しかし、 この雨である。 これじゃ、仕事場につくまでにびしょ濡れになってしまうわ。 ということで、 かなり細くて短い黒地に模様の細かくはいったパンツに履き替えたのだった。 鏡に映すと、さきほどの裾のひろがった方がずっとエレガントである。 こんなふうな細い黒のぴったりしたパンツは若い女子にはいいかもしれないが、もうわたしくらいの年齢になるとカッコいいというよりは、R体の身体の線がそのまま出てしまい、珍奇なR女という感じ。 しかし、大雨のなかを歩くにはぬれてなくていい。 でもねえ、と一瞬とまどったが、そのままでかけることに。 このパンツも今年で穿くのをやめにしようかなあ。。。 で、玄関をあけると雨はすっかり止んでいる。 なんだ。。 取り替えようかって、一瞬おもったが、時間もない。 このままの格好で出社することにした。 仕事場についた。 スタッフのPさんとパートのIさんがいた。 「ねえ、さっき、すごい雨が降ったでしょ」 と言ったところ、 ふたりとも、???と怪訝な顔。 そして、 「雨なんか降りませんよ」ってPさん。 「ええっー! すごい雨だったじゃない、わたしズボンを履き替えてきたのよ」と叫ぶ。 しかし、二人とも首を横にふるばかり。。 どうやら、Pさんが調べたところわたしの住まいあたりのみの極めて局地的大雨だったらしい。 ふらんす堂の仕事場には一滴も雨が降らなかったという。 その時である。 わたしのズボンは、一瞬わたしをぎゅうっとしめつけたようにおもったのだった。 仙川は雨はどうだったかしら?
by fragie777
| 2021-06-23 19:09
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