ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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きみに会ふまでに八重桜に変はらん

6月22日(火)  旧暦5月13日


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神代植物園は白紫陽花が盛りだった。


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紫陽花の季節が過ぎると、暑い夏がやってくる。


暑い,暑いと汗水垂らしながら、日々を過ごしているうちにあっという間に歳をとってしまうのである。

今年はやけに鏡を見るたびに、

(老けたよなあ……)ってつくづく思う。

朝のオンラインによるミーティングでは、iPhoneのなかにわたしを含めたスタッフが5人参加するのであるが、わたしは自分の顔とスタッフの顔を比べて、その歴然とした年齢差に圧倒されるのである。
とくに法令線、わたしの顔の際立つ法令線、やはり……これはなんとも消しようがない。
毎朝、ミーティングをしながら、R女となった自分を認識し、そこから仕事の朝が始まるのである。
もうヤレヤレである。
しかし、人間に夜が用意されていることは素晴らしき神の恩寵である。
不思議なことに、夜になったわたしは、まるで少女のようにさまざまなロマンに現をぬかし、ワクワクうきうきとした時間を過ごし、夢見るごとくに寝入っていくのである。
悪夢のような朝が待っていることなど、すっかり忘れて。。。

皆さまはいかが。
そんな年齢じゃないって、
失礼をしました。








新刊紹介をしたい。


仁科淳句集『妄想ミルフィーユ』(もうそうみるふぃーゆ)



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四六判ソフトカバー装帯有り 242頁 二句組


著者の仁科淳(にしな・じゅん)さんは、1971年山形県生まれ、女性である。略歴に♀とあるのだが、この句集を読んだ何人かの方に、「この人男?」って聞かれたのだった。淳という名前からそう思われたのか、女性である。ただ、本句集の「はじめに」にあるように、「引きこもり歴32年」で統合失調症を患っておられる。頁を開くとまずそのことが明かされる。「統合失調症発症 妄想のなかの日々」ともあり、読者はその情報を与えられてこの句集を読みすすむことになる。つまりこの句集で詠まれていることは作者の妄想のなかより生まれたものであると。しかし、それは作者の仁科淳さんが生きてゆくための突破口としての妄想であるのだ。引きこもりという状態にありながら、その妄想を俳句という詩型をとおして仁科さんがおのれの思いを世界へ発信しているのである。それはまた世界へむけた挨拶であり、働きかけであり、表現行為であるのだ。
「はじめに」をそのまま紹介したい。


 ひきこもり歴三十二年
   ─統合失調症発症 妄想のなかの日々─

俳句をつくりはじめたのは伝えたいことがあったから。
人に弾かれ世に弾かれしてもやっぱりひとに支えられてきた。
その感謝は誰かに何かを感じてもらえることで
昇華できるものでもないけれど。やっぱり発信したい。
こんなにまでもひとりっきりで
誰にも話せず誰も耳を傾けてはくれず
それでも感じ考えている。闘いながら。
どんなにちいさないのちでもおなじいのち。皆わかっている。
でもどんなにくだらなく見える生活でも
あなたとおなじく貴いはずの一(いち)人生なのだと。
そして所謂「普通」の生活を生きられることが
一番しあわせなことなのだと。
手にとってくださった方が感じてくださればと祈りつつ─
  


本句集をひらけば「君」という句がたくさん収録されている。それもうほんとうにたくさん。ほんのいくつか紹介したい。

 千代の春君に会ひたき酒乱かな
 我がゐておぼろ君ゐてうつつかな
 炎ゆる世に君のみか否きみがゐる
 思うてた君とちがへりバレンタイン
 君からの零余子のやうな試練多多

5句あげただけであるが、ここには作者にとってかなりリアルな君がいる。たぶん、いやきっと妄想の中の君だろうが。しかし、人間は夢見ることにおいてこそ、現実以上に現実になれるということだってある。ここに詠まれている君は、あるいは君との関係はなかなかユーモラスでさえある。そして作者にとってもとても大切な存在なのだ。わたしにはそれがすこしわかる。

本句集の担当は文己さん。

 台風の一隅君と夢かたる
 時と距離置く闇に雪積もるらし
 みづからをどこまでも捨て春深し
 をんなの身ゆゑ男気で夏終へる

文己さんの好きな句をあげてもらった。


 台風の一隅君と夢かたる

おそらく仁科淳さんにとっては、この「君」は大切なかけがえのない「君」である。それが妄想の産物であったとしても。わたしが面白いとおもったのは、その大切な君と夢を語る場所が、「台風の一隅」であるという。通常、一般的には女子は台風の荒れ狂う一隅で、夢を大切な「君」と語ろうと思うだろうか。ああ、でもちょっとドラマティックか。なぎ倒されたそうになる身体を支え合いながら、夢、いったいどんな夢か、台風の場で語られるのは、たぶんこういう状況で語られた夢は生涯わすれることができないだろう。わたしがこの句集を読んでいてほっとするのは、仁科さんのなかにある無意識な(たぶん)ユーモアである。統合失調症をわずらい、引きこもり続けているという暗い状況でも、俳句に向き合うときに引き出されるユーモア。思うに季語がそのユーモアを引き出すのではないか。先にあげた「零余子のやうな試練多多」などの措辞にも笑ってしまった。
季語に向かいながら俳句をつくるとき、ふっとなにかから解放される、この句集において「季語」が豊富である。いろんな季語に挑戦しておられる。

 変はれぬは我変はらぬは寒鴉

この句はわたしが好きな一句である。変われない我をもてあましている作者がいる。どんなに変わりたいと思っているか。しかし、変われない。目の前には変わる必要のない寒鴉がいて、羨ましい。寒鴉とわれが対等に対峙している。そして溜息をつく作者がいる。人間なんて早々に変われるものじゃない、わたしだってそう。。

 白子にももの見る眼ふたつづつ

この句も好きな句である。さりげなく詠まれているが、写生の一句だ。この句は、校正スタッフのみおさんも好きであるという。「私も白子を食べるとき、いつも目を見てしまいます。」と。

 口中に吐瀉せし残滓銀河降る

好きな一句である。なかなか凄い一句だとおもう。リアル体験なのか、想像上のことなのかはどうでもいいけれど、口中の吐瀉物の残滓の何ともいえない苦い味が読み手の口のなかにまで及ぶような、上五から中七への言葉のチョイスとその運び方がいいし、「銀河降る」の季語も、病む人への恩寵のように星が美しい。
 
 春燈の破れ障子に影絵かな

これは校正スタッフの幸香さんが好きな一句。「妖しさに惹かれました。」ということ。



本を上梓されたあとの仁科淳さんにいくつか質問をしてみた。
仁科さんは律儀にきちんと答えてくださった。


〇句集をつくろうと思ったきっかけは? 
20代はじめから俳句を父の手ほどきを受けてつくりはじめ在籍させて頂いた結社もございますがあとは我流で徒然につくっておりました。
しかし父は二物衝撃の人間で常日頃から「おまえの俳句は」と度外視していて。
しかしながら皮肉にもその父が亡くなった途端に俄然俳句熱が昂じまして。
「私の俳句って?」とわからない(それが問題なのですが)ながらもつくりつづけ、でも「そんなにダメなの?」と意味は違えど信を問うかたちで世の中に出してみようかと。ともかく暗中模索ながらに出来上がった句集でした。



仁科さんには句集を編むについて、ひとつの拘りがおありだった。
それはご自身が撮った写真を装釘に使って欲しいということ。

装釘家の君嶋真理子さんが、それを仁科さんの希望通りに実現した。




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これは写真である。
わたしは装画とおもってしまったのだが。


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少し暗めにというのがご希望だった。


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カバーをとった表紙。


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扉。


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本文。


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 生くるとはえらべるひとつえごの花



質問をさらに。
〇引きこもり生活のなかで「俳句」をつくるということは、仁科さんにとってどんな意味がありましたか。
句集もさることながら作句自体が模索。それどころか病気もヒートアップしてきていて生きること自体模索。ともかく自分を投じ、その紙面の句(らしきもの)を「俳句」と捉えず「そのときの自分」「そのときの病状」に如何に近づけられるか。なんてこともないですけれどね。でも病気の友達だったことは確かです。

〇句集をつくることによって、生活上、あるいは精神的に変わったことはありますか。
ともかくどんなに落ち込んでいても俳句をつくるという作業は心の拠り所でした。「俳句に助けられている」と何度感謝したことかわかりません。自分と対峙する、自分をのぞき込むという行為は精神病理学というのかそれ的にも良いことなんでしょうね。お医者さまも奨励されていました。

〇どんな人に句集を読んでもらいたいとおもいますか。
エールでありたい、と常に思っております。
精神病患者のみならずひきこもりでもあり高校中退者でもあります。よわい立場に置かれている方がこの平和と思われている日本にも沢山いらっしゃる。何かにすがれば否、すがらなければやっていけませんという方に、薬物や新興宗教にのめり込む依り頼む前に立ちなおりの道を見出だしてほしい。他にも自分と同じく或はもっと苦しんでいる人間がいることを支えというか励みにして、前向きに希望を持っていければいいのですけれど。
わたくしもまだまだなのですが俳句をつくること、それが救いになり喜びであること、それが伝わればいいな、というのが私の願いです。

最後に、
〇句集中「君」という言葉がたくさん出てきますが、この「君」は特定の方をさしているのですか、それとも妄想における「君」ですか。 
「君」はある特定のお方です。
ただし病的なことを申しますがその時その時で現れる「君」が違うんです。話しかけて答えてくれる相手が毎回違うというか。わたくしとしましては一貫してひとりの男性なのですが。
ですからあとがきに換えて載せて頂いた一句がまだ病気のなかにいるわたくしの実はの心情です。  



 きみに会ふまでに八重桜に変はらん



「あとがき」に代えて、の一句である。

素敵な一句である。







仁科淳さんにわたしはギリシャの哲学者の次の言葉を贈りたい。


 
 人とは何か? 
 人とは何でないのか? 
 影の見る夢
 ―それが人間なのだ。

     (ピンダロス)








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by fragie777 | 2021-06-22 19:46 | Comments(0)


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