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6月6日(日) 蟷螂生(かまきりしょうず) 旧暦4月26日
丸池公園のあめんぼう。 若葉と空が映っている。 たくさんのアメンボがいた。 ゴミみたいみえるのはアメンボです。 早めのお夕飯をすまして、ブログを書こうとおもったら、もう眠くて眠くてついウトウトしてしまった。 お腹いっぱい食べるとどうしても眠くなってしまうのよね。 今日のお夕飯は、シュウマイ、肉厚(?)の油揚げを焼いたもの、山芋の梅酢和え、キュウリとシソの塩だれ和え、いただきもののちりめんじゃこの佃煮(これが美味い!)、レタスとラディッシュとキュウリとパプリカのサラダ。そしてロゼのスパークリングワイン。 夜はできるだけ炭水化物をとらないようにしている。 それでも油断していると太ってしまう。。。 今日は、田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』より。 6月6日の日付のものより。田中裕明さんの鑑賞である。 まつさをな雨が降るなり雨安居 藤後左右 夏の百日にわたって、僧が寺に籠って、座禅や読経に専念する安居の時期は梅雨とも重なっている。もともとの仏教の生まれた国、インドでも雨期である。安居という言葉は、梵語の雨期を訳したもので、雨安居ともいわれる。 樹の緑もますます濃くなっていく季節である。雨も真っ青な色をしているような感じがする。まことに感覚的な詩情があふれている。写経をしている机から、果てしもなく雨の降ってくる空を見上げている。雨にもやや飽いた、だるい気持ちもする。MASSAONA/AMEGAFURRUNARI/AMEANNGOというA音が多出するリズムも読者をやすらかな境地にさそうようである。 藤後左右(とうご・さう)は明治四一年(1907)鹿児島県生まれ。京都帝国大学医学部で学んだ。掲出句は戦前の作で『熊襲ソング』(昭和四三年)所収。句集では、「僧の頭を僧のあたれる安居かな」という乾いたユーモアのある作品の次に並んでいる。(安居・夏) 仏教に縁がないyamaokaであるので、座禅を組んだことも経を唱えたことも写経をしたこともない。 四ッ谷にあるイグナチオカソリック教会の神父さまは、座禅を組むお方もあったようだ。 わたしがすこしばかり聖書研究会にかよっていたときにそこで指導をされていた神父さまは、座禅を組むことをその教化過程に入れられていたように思う。 宗教的な意味合いをはなれて単なる瞑想をもとめて座禅を組むことをしてもいいのかもしれないが、もはやわたしのR化した身体では、座禅を組むその体勢がシンドイと思う。 膝がいたくて正座もいまは駄目。 でも、「安居」と呼ばれるこういう体験は悪くないんじゃないか。 仕事をはなれてしばし、そんな時をもってみたいものだ。 ああ、でも、想像しただけで、あふれくる雑念で息も絶え絶えになってしまいそうである。 考えてみれば、 修行という言葉からもっとも遠いところにいる人間なのである。 yamaokaは。。 自分を甘やかすことが大好きなのさ。。。。 今日のセミオくん。 この場所で会うのは本当に久しぶりである。 愛猫・日向子の水飲みの器。 結局先日購入したガラスの器は手作りのもので、かなり気に入ってしまい2枚とも人間用にすることにしたのだった。 で、日向子用に購入したお皿である。 こっちも結構気取ったものであるが、わが美猫の日向子にはびったしといったところである。
by fragie777
| 2021-06-06 20:27
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