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6月4日(金) 旧暦4月25日
真ん中の白い木は、椋の木。 朝、鏡をみたら髪の毛が暴れ放題だった。 わたしは、あらあらと思った。 そしてブラシをいれた。 しかし、反抗的なわが髪はますます反抗的である。 ふと、先日の美容師さんのことばを思い出した。 「寝癖はわるくないですよ。それをそのまま生かしてスタイリングを」 で、わたしは掌にたっぷりワックスをとって髪に指をいれてさらに髪を暴れ放題にしたのだった。 鏡をみると、しょぼいR女がいて髪だけが威勢がいい。 (いいのかなあ……)と思ったが、 いいことにしたのだった。 〔文句ある?!) 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯あり 122頁 二句組 遺句集である。著者の真野紀子(まの・のりこ)さんは、すでにこの世にはおられない。昨年の1月30日に亡くなられたのだった。享年75。本句集は、生前に真野紀子さんより句集上梓を託された俳人の高柳克弘さんによって編まれたものである。 真野紀子さんは、平成27年〔2015〕早稲田大学エクステンションセンター中野校で「俳句講座」に参加された。その時の俳句の指導者が高柳克弘さんだった。この参加をきっかけに亡くなるまで句作りに励み、それが今回このような一冊のかたちとなって世に生まれたのだった。若き師の俳句指導に熱心にその情熱を傾けられた真野さんは、ご自身の思いもかけない病をしり死を覚悟された、そして句稿をすべて高柳さんに託したのだった。本句集には、巻末に高柳さんの「あとがきにかえてーー紀子さんの夢の花」が収録されている。 最初の部分を引用したい。 真野紀子さんとは、早稲田大学エクステンションセンター中野校の、「芭蕉に学ぶ俳句」講座で知り合った。熱心に通い、講座の間はじっとこちらの話に耳を傾けておられた。疑問があれば、講座後に質問に聞きに来られた。静かな情熱のある方だった。四年間、教室でともに時間を過ごしたことになる。 二〇一九年の冬、講座が終わってから、いつものように教壇に近づいて来られた。俳句の質問かなと思ったところ、病気の告白をされ、生きてきた証に、句集を作りたいとおっしゃった。いつもの紀子さんと同じように溌剌として見えたので、病とは─しかもあとわずかの命しかないという病だとは、信じられなかった。人生経験の乏しい私は、なんとお返事をすれば良いかわからないので、とにかく句集の話をした。句の並べかた、選ぶ基準、本にするまでの手順─紀子さんは熱心に聞いておられた。二〇二〇年の年明け、選句を私に任せたいという手紙とともに、原稿が送られてきた。 年明けの講座には、紀子さんはいらっしゃらなかった。私の手元には、手書きの原稿が残され、それをもとに編んだのが、この句集である。原稿に付されていた手紙には「俳句は私の人生の最期にぽっと咲いた、あたたかな夢でございました」という言葉があった。日付は、一月二十一日。亡くなったのが、一月三十日だったと聞いた。最後まで、俳句のことを心に置いておられたのだ。 高柳克弘さんは、四季別に編集さられた本句集よりたくさんの句をとりあげて、鑑賞されている。そのうちのいくつ(となってしまうが)紹介したい。 春ショールいつか降りたし君の駅 「いつか降りたし」と言っているから、まだ降りたことはないのだ。しかし、本当に降りるつもりはないような口吻でもある。降りる、降りないが重要なのではなく、「いつか降りたし」と思っている、今のどっちつかずの時間こそが、いとおしく、 「いつか降りたし」と言っているから、まだ降りたことはないのだ。しかし、本当に降りるつもりはないような口吻でもある。降りる、降りないが重要なのではなく、「いつか降りたし」と思っている、今のどっちつかずの時間こそが、いとおしく、慕わしいのだ。 はなやかな句である。はなやかさは、紀子さんの句のひとつの大きな美質といっていい。 来し方はほろほろ遠し冬茜 紀子さんは独自の感性を持っていた。「来し方」を回想するときに、「ほろほろ遠し」といってみせる感性は、非凡である。「ほろほろ」というと、何かが崩れているような感じがある。いままでの思い出が、クッキーがこぼれるように、ほろほろとこぼれて消えていくのだ。「冬の暮」では悲しいばかりだが、「冬茜」であるのは、救いがある。茜空の中に消えていく思い出は、報われている。一瞬でも思い出されたことで、ひとつひとつの記憶のかけらは、種を残すためにみずから散っていく花びらのように、役目を果たして消えていくのだ。 網走の海風とゐる花野かな さきほど取り上げた「鍵盤の跳ねてリストの秋とゐる」の句でもそうだったが、紀子さんは対象を自分と切り離すのではなく、対象と寄り添うように詠む傾向がある。この句も「網走の海風の吹く花野かな」であれば平板なのだが「網走の海風とゐる花野かな」というと、海風と魂が一体化して、花野の上を吹き廻っているかのようにイメージされる。「網走の海風」などというと寒々しい感じがあるが、秋草の咲き乱れるころの海風は、旅人を快く包んでくれるのだろうか。私はまだ行ったことのない網走の海風の話を、紀子さんに聞いてみたかった。 山羊の子のひと歩一歩に春の音 日の光金魚の稚魚は陰による殻破る鶏卵の夏朝が来る あいたいね「ね」がなつかしき賀状来る 汚れなき悲しみはなし雪のふるふる これは担当のPさんの好きな句である。 あいたいね「ね」がなつかしき賀状来る 〈あいたいね「ね」がなつかしき賀状来る〉は、高柳さんもとりあげておられた一句だ。高柳さんは「ね」は文字ではなく、音なのではないか」と書く。「賀状に書かれた言葉が、声として聞こえているようだと」「ね」という音の優しさが、一句の雰囲気を決した。」とも。著者略歴によると、真野紀子さんは、小学校で1,2,3年と同じクラスで過ごした仲間と生涯交流を続ける。とある。この「ね」はたぶんそのお仲間の気心のしれた童心にかえることがお互いできるような関係の「ね」なんだろうとわたしはおもった。相手が同姓であろうと異性であろうと童心にかえって親交できる関係というはおのずとその子どもの時の言葉遣いがそのまま大人になってもつづいていく。かえって大人になって言葉を改めたりするのは不自然だ。わたしは、年賀状で「会いたいね」と言えるような関係性の人間がいるだろうかと思ったが、いまのこのR女となった身にはすでにいない。まっ、寂しい限りである。 汚れなき悲しみはなし雪のふるふる これは最後に収められた一句である。 わたしもこの句には心が留まった。「雪のふるふる」はあきらかに字余りである。しかし、あえて字余りにすることによって、読者のこころに雪の降り続く情景を呼び起こし、余韻をうまれさせる。中原中也の「汚れちまった悲しみ」の詩を思い起こさせるが、不思議なことに類想感を持たせない。これはこれで俳句として成り立ってあたらしい詞のひびきを読み手にあたえる。だから高柳さんはこの句を残し、そして句集の最後にもってきたのではないか。この世に思いを残している真野紀子さんの悲しみがひそやかに伝わってくる。雪のふりつづく景が読者の心から去らない。 ありがとは最期のことば赤とんぼ この句は、秋の章の最後におかれている。すでに死を覚悟した真野紀子さんが、この世をさるときに「ありがと」と言おうと決意していたのだろう。「ありがと」とあまり重々しくなくさらりとできたら笑顔で、赤とんぼをながめながらおもっておられたにちがいない。わたしは一度もこの真野紀子さんにお会いしたことがないけれど、こうして句を拝読し、また高柳さんの文章を拝読し、真野紀子さんという方の人生と人とに対する向き合い方がこの句に端的にあらわれているようにおもった。深刻な事態を柔らかな心でうけとめ、いさぎよく明るさをうしなわず、そして家族をふくめて隣人に対する心配りをしながら、華やぎをうしなうことがない。素敵な女性だったんだろうなあって。 句集名は「時」である。 真野紀子さんが付けられたのだろうか、それとも高柳さんが付けられたのだろうか。 読み終えて、この句集の背後にある豊かな時をわたしはおもったのだった。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 上品な一冊となった。 真野紀子さんのように気品のある華やかさ。(合ったことはなかったけれど、きっとそういう方だ) 淡い紫を感じさせる一書である。 表紙はすこし華やかなクロス装。 銀箔の文字。 透明感のある地模様の見返し。 扉。 花布は紫と白のツートン。 栞紐は肌色。 悔恨は雁の姿の消ゆるまで ひと時─そう、雁の渡りが見えなくなるまでのつかの間─人生を振り返ったあとは、すぐに未来に心を向ける。私もこんな生き方ができればよいと心から思う。(高柳克弘) 真野紀子さんは、晩年に俳句と出会った。 そして、句稿をたくすことのできた若き師に出会え、こうしてその師によって句集が世に送り出された。 そのことを天上の真野紀子さんとともに喜びたいと思う。
by fragie777
| 2021-06-04 19:56
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Comments(2)
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