カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
外部リンク
画像一覧
|
6月2日(水) 旧暦4月22日
姫沙羅の花。 仕事場に行く途中である。 沙羅の花をまさに小ぶりにしたものだ。 この木の特徴は幹が赤く、姿がよくてよく料亭などの庭に植えられている。(と言っても、私は姫沙羅の植えてある料亭などには行ったことがないが、、、)わが家の庭にも一本あるのだが、なにしろ日当たりが悪いので花がほとんど咲かない。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー背継表紙函入り総クロス装帯あり 2句組 194頁 著者の梅田真一郎(うめだ・しんいちろう)さんは、昭和23年(1948)福井県生まれ、福井市在住。平成13年(2001)「雪解」に入会し、現在「雪同人同人、俳人協会会員。整形外科のお医者さまである。本句集は第一句集となり、「雪解」の古賀雪江主宰が序文を寄せておられる。 古賀主宰は、梅田真一郎さんを「福井県に生まれ育った、豪快で、快活な整形外科医」と紹介され、何頁にもわたる序文で梅田真一郎さんの俳句と人となりについて丁寧に語っておられる。抜粋となってしまうが、紹介をしたい。 真一郎さんは、特に自然詠の中に人の息遣いや、ぬくもりを感じる句、気持のあたたかさが感じられる句に惹かれると話されます。それは常に患者さんに心を寄せて治療を行っておられる医者という立場から自然に起こる感情であるかと思います。そして、その詠まれる句は、のびやかで健康な詩精神に裏付けられており、素直な描写が読む側に安心感を与えてくれます。 と古賀雪江主宰は記し、たくさんの句をあげておられる。そのなかからいくつかを紹介したい。 人日や雪に転びし人を診る 更衣して看護師のきびきびと 大部屋に患者一人の大晦日 膝を診る着膨れの裾たくし上げ 冬帽子脱ぎて病歴一つづつ 看護師の休憩室に吊し雛 序文によれば、「雪解」のお仲間の方たちからも整形外科医としても信頼されていろいろな相談をうけておられる梅田真一郎さんであるということである。お電話で古賀主宰も「わたしもいつも相談にのってもらっているんですよ」と梅田さんをご紹介くださるときにお話されていたのだった。 担当は文己さんであったが、製作のほとんどは古賀主宰が間に入ってくださっておすすめくださったのだ。古賀主宰からは、「素敵な句集をつくってあげてください」というご希望をいただき、わたしは布クロス総の函入りのご本をおすすめしたのだった。 薫風や診察の椅子向きを変ふ アロハシャツ着て退院の患者かな馴染みたる靴でやさしく青き踏む 人の日や母に似てゐる患者診る 聴診器春の鼓動をとらへけり 文己さんの好きな句を紹介した。 アロハシャツ着て退院の患者かな 本句集には、自然詠もあるがどちらかというと医師である梅田さんの日々の様子が俳句に詠まれている。俳句が医師としての日常にしっかりと根をおろしていることがわかる。掲出句のようにきわめて自然に詠まれているのだ。この句のちかくに〈矍鑠の卒寿の患者パナマ帽〉という句もあって、患者さんを見る梅田医師のあたたかな目を感じる。とくに〈冬帽子脱ぎて病歴一つづつ〉の句については、たぶんもう若くはない(わたしは男性患者とみた)患者さんが、冬帽子をとって律儀に挨拶をしたあとにおもむろにご自身の病歴をかたりだす、たぶん初めての患者さんなんだろう、梅田医師に向き合ったときに緊張の糸がほぐれたのだ。梅田医師がたずねるまでもなく、こお先生だったらわかってくれるという風に自身のことを話し始めたのだ。それを見守る梅田医師のあたたかな対応までもがみえてくる一句である。医師という職業はたいへんであるが、梅田さんはその仕事を快活に肩に力をいれすぎることもなくこなしている。句集をよむとそれがよくわかるのだ。 退院も一つの別れ鳥曇 この句を読んでハッとした。患者の側からすれば退院は病から乃回復であり嬉しいことである。医師や介護者にとってもまたそれは喜ばしいことだ。患者と医療従事者という関係にとどまれば、のことだ。さらにそれ以上の診る診られる側という関係をこえた、人間同士となればその関係はさらに深まる。お互いに何を考え何に感じ何を喜びとするか、あるいはどんな状況をかかえているか、そんところまで知る関係となったときに、患者であったその人は退院していく。医師としては喜ぶべきことであるが、せっかく親しくなった人が目の前から去っていくのだ、それは寂しいこと。多くの患者さんをかかえ仕事を精力的こなす医師が、通常こんな風に患者さんとの別れを詠むだろうか。わたしは梅田さんが医師として、どれほど目の前の患者さんにあたたかく接しておられるかをこの一句で思う。きっと、梅田医師はたくさんの別れをしてこられたのだろう。 芽起こしの雨朝より診察す 句集名となった一句である。「芽起こし雨」の雨とは、「芽起こし」が季語「木の芽」の傍題であり、その木の芽どきに降る雨のことをいう。萌えいずる木の芽が雨にぬれていっそうその緑を際立たせているそんな朝であり、その木の芽が診察室の窓からよく見える。もうすでに診察ははじまっているのだ。この句について、古賀主宰はこのように書く。「日記の一行目のようでもありますが、句集名となったこの句が俳人梅田真一郎の姿でもあるかと思います。(宮脇)和正先輩の「好意の文学」に心を引かれている真一郎さんは、患者さんの「ありがとう」「治って嬉しい」という笑顔が返ってくる時が最高で、生きている力が湧き、体力、気力の続く限り医業を続けたいとしみじみ思われるという事です。」 こう言う句を読むと、医師としての仕事の現場に俳人として精神がいきわたっている。そんなことを思わせる一句である。 鶏頭に風をのこして救急車 この句は面白いと思った一句だ。すさまじいスピードで去る救急車。鶏頭がかすかに揺れている。それを「風をのこして」と捉えた。鶏頭のまっすぐな垂直線とその赤、救急車の水平的なうごきとその白、色と構図がみえてくる一句だ。校正者の幸香さんも好きな一句としてあげている。「救急車の通った後のなんとも言えない雰囲気をありありと思い出しました。」と。 みおさんは、「雀の子発熱の子の窓に寄る」の句がとても好きです。と。わたしも好きだな。とても可愛らしい一句だ。 古賀雪江先生にはご多用な中選句から身に余る序文、句集名、装丁に至るまでご指導いただき誠に有難うございました。俳句整理の中で両親の死、義母の死、自分の進行胃癌との闘病など思い出され、小生の開業医人生のモニュメントができたようで今は充実感を覚えております。 福井市郊外の運動公園に近く整形外科医院を開業したのは昭和六十三年の秋でありました。多額の負債にも怖じない若さがありました。地域の人に愛され頼られるよう研鑽と臨床にいそしむ日々の中、患者さんであった加畑霜子先生のお誘いで雪解に入会させていただいたのが平成十三年のことです。諳んじている俳句は五、六句程度でした。月に二回ある福井雪解会にも年に数えるほどしか出席できず、お誘い頂いても吟行にも三回に一回くらいしか出席できない状態です。それでも俳句を続けることができたのは福井雪解の皆様の深い寛容の賜物と感謝しております。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 ここに記されているように古賀雪江主宰が句集製作のなにからなにまでご指導されたのだった。 本句集の装釘は君嶋真理子さん。 箱も布クロスであり、タイトルはラベル貼り。 わたしは好きな造本である。 一度型押しをしてよりラベルを貼る。 背もそうである。 帯は表情のある用紙岩肌をもちいる。 函からとりだした表紙は背継表紙。 表紙の平面は、函とおなじ布クロスをもちい、背の部分は材質もことなる布クロスをもちいた。 このツートンが美しい。 大好きな製本である。 文字は金箔押し。 この背継ぎ表紙ができる製本所は年々少なくなっている。 金箔銀箔をとばした見返し・ 扉 花切れは緑と白のツートン。 栞紐は、表紙と函のクロスにあわせた焦茶。 明易し町医に定年無かりけり 健康で豪快にこれからも頼もしい誌友として句作りに励んでください。応援しております。(序・古賀春江) 梅田真一郎氏より、初句集上梓の喜びのお声をいただいた。 お写真も。 ![]() 三十一年前に福井郊外に整形外科医院を開業しました。骨折や怪我にしても障害 を残す症例もあり、診察にしても診断困難な例や治療困難な例があり、医業はス トレスの多い仕事です。加えて有床診療所と言って入院施設がありますので医院を長時間空けることが許されない「籠の鳥」状態です。 そんな中で俳句に出会いました。 医療以外の花鳥風月に目を向けることが多く なり、患者さんと自分を客観視して俳句を詠むことで気持ちにゆとりが持てる様 になりました。 この度、俳句結社「雪解」主宰の古賀雪江先生からお勧めいただいて句集を世に 出すこととなりました。自分の句集を出すことなど夢にも考えておらず、未熟な 自分を恥じる気持ちもあって迷いましたが、自分の開業医人生のモニュメントを 素直に残せる気がして上梓致しました。出来上がった句集を手にして今は喜びに浸っております。「籠の鳥」状態の開業医が「医務の窓」から見たつれづれを詠 んだものです。 暖かい目でお読みいただけたら嬉しく存じます。 「籠の鳥」とは、まさに医療の日々なのだ。 しかし、俳句がある日々である。 数多鳴る風鈴の音の一つ買ふ 好きな一句である。きっと風鈴のたくさんの音色から、気にいったひとつを選ばれたのだろう。その形態よりも音色に魅了されたことが「音の一つ買ふ」という措辞でわかる。この一句からすずやかな風鈴の音がきこえてくる。 これは風鈴ならぬ硝子の器。 仕事場ちかくの雑貨屋さんで今日買ったもの。 女店主が、「これはいいですよ、わたしも愛用してますのよ。果物をいれてもきれだし、よく売れていて」という。 実は愛猫・日向子の水飲み用の器として一つ買い求めたのだったが、あわててわたしのためにもう一つ購入。 わたしはヨーグルト用としようかしら。 猫とおそろいで間違えないかって、それがよくみると模様の位置がそれぞれことなるのである。
by fragie777
| 2021-06-02 19:13
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||