カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
検索
画像一覧
|
6月1日(火) 衣替え(更衣) 旧暦4月21日
ハルジョオンに群がる紋白蝶。 たくさんの紋白蝶がいた。 いまの季節はこのハルジョオンがさかんである。 目を凝らせばたくさんの白蝶がいるはず。 今日から6月である。 そして更衣である。 わたしは白の麻の長目のシャツを今日は着る。 そして夕方となったいまはそのシャツはしわしわである。 「麻は皺もまたいいのよ」なんて言われるけど、肉体もじゃんじゃん皺がふえていきつつある現在である。 シャツの皺とわたしの身体の皺がよく響き合っているわ、なんて言えるわけないじゃない。 肉体の方の皺はなんとか伸ばしたいものと、日々あがいてはいる。 が、 結果は、 推して知るべし である。 ![]() 新刊紹介をしたい。 A5判パーパーバックスタイル 72頁 第一句集シリーズⅡ 著者の清水右子(しみず・ゆうこ)さんは、1978年生まれ、東京在住。2012年「鷹」入会、2013年「鷹」新人賞受賞、現在は「鷹」同人、俳人協会会員である。本句集に小川軽舟主宰は、帯文を寄せている。 帯文を紹介したい。 夕立に渋谷のしゆんとなりにけり 東京で暮らすとはどういうことなのか、右子さんの俳句は自分自身の感覚を頼りにそれを一つ一つ形にしてきた。自然は乏しくても季節はめぐる。人間関係は薄くても人間はたくさんいる。夕立ですべてが一斉にしゅんとなった渋谷に不思議な開放感がある。 面白い一句である。わたしは渋谷は以前10年以上つとめていたこともあって、馴染みが深い。だから夕立の渋谷風景を思い起こし「しゅんとなった渋谷」に笑ってしまった。若者のエネルギーが渦巻く渋谷であり、そしてかつてはおしゃれな渋谷だった。そんな渋谷も夕立に遭っておおいに濡れて「しゅん」としてしまったのだ。この句「渋谷のしゆん」がなんといってもいい。情報社会の現在、田舎にいたって渋谷なる街はわたしたちに渋谷のイメージを呼び起こすことは難しくない。清水右子さんにとっては渋谷はとくに馴染みの場所なんだろう。だからわが肉体のように渋谷の街を有機的な命あるものとして表現してみたのだ。 膝ひろく使ふ弁当冬ぬくし 私より私の匂ふ毛布かな眉間から泣き出すこども夏隣 身体から剥がす水着のあたたかし 信仰のなき掌に雪が降る 担当のPさんの好きな句である。この句をみてわたしとあまりにもダブルので笑ってしまったのだった。選んでもらった5句であるが、どれも身体にまつわる句である、身体の部分を詠んだ句、身体から発散するものを詠んだ句、身体という言葉を用いた句などすべてが身体に関わっている句である。本句集の特徴ではないだろうかとわたしは思っている。 句集のタイトルが「外側の私」である。 外側の私を流すシャワーかな これも「外側の私」という謂で肉体を詠んでいるのだが、そこでは「内側の私」が措定されているわけで、それはわたし自身の意識である。この句集を拝読して、こういう意識の据え方がつよい作者であるとおもった。「私」という存在をみている「私」がいて、それを一句にする。「私より私の匂ふ毛布かな」「信仰のなき掌に雪が降る」などはまさにそうなのではないか。身体にまつわる句が多いということのみならず、人間は誰でも「対自的存在」(考える自己と考えている自己をみている自己がいる)なのであるけれど、その認識を際立たせている句集であり、それが清水右子さんにおいては、とても自然に俳句の形式のなかでなされていて、読み手には新鮮な俳句として届いてくるのだ。つまり清水右子さんという作家は、自己対象化の意識がつよい方であるが、それはご本人にとっては極めて自然なことであるので、詠まれた俳句に無理がないのだと思う。「外側の私」なんて、謂われてみればなるほどと思うが、そんな風には誰も表現しえなかった。「信仰のなき掌」って、足だって頭だって身体全体が信仰のなき存在であるはずであるが、信仰をもたないことを端的に表現しうるものとしての「掌」をもってきて、そこに雪が降るという。俳句における肉体の使い方が巧い作者だ。肉体と季節を屹立させることが巧いというのだろうか。 手を挿して泉に我を知らせたり この句もそうだ。まず肉体ありき、我ありきなのだ。泉に手を入れてその季感を喜び自然と同化するというのではなく、季節(自然)に肉体によって我を知らしめるというか、この自意識、それが面白い。そうかといって自己執着のつよい人かとおもとそんなことはなくて、たとえば「春昼の鏡に顔を帰しけり」「陽炎のなかなら睡れるかもしれぬ」などという句もおもしろい。自身を見る目に距離があるのだ。それが興味ふかい。そしてその距離が自在に伸縮する。 自身の身体を中心にして世界は広がっていく。そんなことを思わせてくれる句集だ。 明日捨てる絨毯に寝転んでゐる この一句、好きな一句である。明日はゴミとなってしまう絨毯だ。そこにごろりと造作なく身体をほうりなげるようにして寝ている。寝入っているんじゃない、ただ寝ころんでいるのだ。それをこんな風に一句にする清水右子さんという人がいて、わたしは好きである。ともに生活をしてきた思い出がある絨毯かもしれないけれど、明日はゴミとして出す。だけどそこに寝ころんでなんとなくいる。その感慨がちょっと複雑な心境とともに伝わってくる。ウエットな思いがあるとも捉えられたくない、だけど思いはある、そんな心情がこの一句からは伝わってくるのだ。「寝転んでゐる」という肉体のありさまがいいのだと思う。 この句集には、私が俳句を始めた2012年から2020年までの句を収めました。思いがけず俳句と出会い、季語の魅力や言葉のもつ力に驚き戸惑いながら作句を続けてきました。俳句を通して世界や自分に触れる体験が私の支えになっていると感じています。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 装釘は和兎さん。 白薔薇バレエシューズは夜古ぶ 自選10句にもあげておられたが、わたしの好きな一句である。 白薔薇(しろそうび)とバレーシューズ。 夜ひそやかに古びていくバレーシューズ。そして、白薔薇もまた。。。 「白薔薇」がいい。 句集を作るなんて人生の一大事でしたが、なんとかぶじ出版にたどり着けてほっ としています。 俳句を初めた10年ほど前からの句を収めたのですが、句集のための作業は句を通 してこの間の自分を改めて思い返す貴重な機会になりました。 今後も私なりに作句を続けていけたらと思っています。 と、句集上梓後のお言葉をいただいている。 白薔薇
by fragie777
| 2021-06-01 19:10
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||