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5月10日(月) 蚯蚓出(みみずいずる) 旧暦3月29日
緑蔭。 緑蔭でひとはさまざまに楽しむ。 この日消防自動車もやってきていた。 ふらんす堂ホームページの「田中裕明賞」のサイトに第12回田中裕明賞が掲載されました。 是非アクセスをしてみてくださいませ。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装 帯あり 254頁 二句組 著者の鈴木石花(すずき・せっか)さんの前句集『花辛夷』につぐ第4句集である。鈴木石花さんは、昭和7年(1932)群馬県桐生市に生まれ、現在も桐生市在住である。昭和46年(1971)「風土」入会。石川桂郎に師事、いご「風土」作家として今日に至る。風土竹間集同人、国際俳句交流協会自訳俳句会員、俳人協会会員、群馬ペンクラブ俳句部門会員、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会会員。本句集には、南うみお現「風土」主宰が「序にかえて」を寄せている。抜粋して紹介したい。 石花さんは昭和四十六年に石川桂郎の門を叩いています。桂郎に俳句の基本を学び、桂郎亡きあと平本くらら、神蔵器と主宰が替わりますが、一貫して「風土人」としての俳句を通してきた人です。桂郎との師弟関係はわずか五年と短いのですが、桂郎の言う「手前の顔のある俳句を作れ」を信条に現在まで来たことが、石花さんの句を読めばわかります。(略) この句集の石花さんの俳句を読んで感じたことは、私や私の身辺を詠んでいるのですが、暮らしや私の心を直接詠むだけではなく、私を支えている精神的な柱を詠むことで「手前の顔のある俳句」を作っていることです。それらの俳句は一見すると趣味の世界を詠んでいるように見えますが、その中に石花さんの心の動きや夫を含めての家族関係の変化が見え隠れしています。 こんな風な書きだしで、南主宰は鈴木石花さんの「手前の顔のある俳句」をとりあげて鑑賞していく。その俳句には、さまざまな(本当に多彩な)石花さんの顔があるのである。ご夫婦で会社を経営するかたわら、「日本鶏の愛好家」「紀州犬の愛好家」「群馬県に二人しかいない裏千家の名誉師範の弟子」であり、能やシャンソンなどにも造詣が深いことを紹介しておられる。序文のなかよりいくつか句を紹介すると、 諸葛菜銘鶏訪ねみちのくへ 尾を振つて抱き付く犬や柳絮舞ふ 紅梅を過ぎ白梅に野点傘 夫に蹤く夜明け間際の登山道 二人して喜寿になる年初日拝 そして、南うみを主宰は、「私や身辺を詠んだものですが、少しも暗さがありません。困難なこともあったはずですが、それを乗り越えた明るさだけが描かれています」と身辺詠における明るさに触れている。また鈴木石花さんは、石川桂郎、平本くらら、神蔵器、南うみをと風土を継承したこれまでの師四人に学んでおられるのだ。その師を読んだ俳句も本句集には収録されている。そしてつぎのような一句もある。 生涯に我が師数多や梅青し 担当の文己さんの好きな句を紹介すると、 蛍出づ料亭庭の能舞台 犬小屋を覆ふ藤房花零す 腰叩き鶏鳴かす術山笑ふ 象遣ひになると言ふ娘へお年玉 急かされて月下美人に逢ひに出づ 「合唱されたり映画を見たり海外のご友人を招いたり、様々な趣味や習い事もされていらっしゃって句材の多さに驚きました。」文己さん。わたしも拝読したが人生を大いに楽しんでおられる様子がつたわってくる句集であり、読んでいるとこちらの気持ちまでのびのびとしてくるおおらかさがある。 犬小屋を覆ふ藤房花零す 紀州犬の愛好家である石花さんである。「ソラ」という名前の犬を飼っておられたが、このソラは9歳にして死ぬ。〈九歳の犬ソラの死や凍返る〉という句も収録されている。この犬小屋はきっとそのソラの犬小屋なのだろう、藤の花の季節になるとその犬小屋を藤が覆い尽くしそこに藤の花が零れる。犬小屋といえどもなんとも雅趣のおもむきがある。やはり特別扱いだったのだろう。実はわたしの実家にも紀州犬がいた。やはり代々紀州犬を飼った。4代目あたりから柴犬にかわったが、名前はすべて「五郎」。なにゆえ五郎であるかはわからない。紀州犬は頭がよく、人をみきわめ、小さな少女だったわたしは怖くてたまらなかった。石花さんは、「犬の愛好家」ではなく「紀州犬の愛好家」である。なにゆえ紀州犬なのか。そこをお聞きしたかった。文字通り紀州の産であり、なかなか勇猛であるらしい。たしかに我が家の五郎はわたしがそばに近づけないほどの毅然とした感があった。むかしは放し飼いにしている家もおおく、わたしの家でも夜は放し飼いであった。門のところにあったコンクリートの自転車小屋の上にいつもいてやってくる人間を見下ろしている五郎の姿があった。すぐれた番犬だったと思う。しかし犬小屋はいまにしておもえば、庭のはしっこの暗いところだった。藤の花の咲き乱れるようなところには置かれなかった。やはり「ソラ」は特別だったのだ。 象遣ひになると言ふ娘へお年玉 この句はわたしも好きな句である。いいなあ、「象遣いになりたい娘」なんて、これはきっとお孫さんのことではないかしら。そういう娘をあたたかにそしてすこし面白がってみている眼だ。余裕もある。その娘さんは、まだ小さい。物語の世界が現実の世界よりもリアルで、あるいは動物たちが人間と等身大にみえるそんな時間のなかにいるのかもしれない。そこへお年玉として金銭を与えるというのが、現実的で笑ってしまう。現実社会をたくましく生きている大人であり、しかし、子どものロマンをちゃんと評価できる大人なのだ。こういう大人って好きだな。わたしはなれたかしら。ほかにも〈人日のバック転披露七歳児〉という句があってこれも見つめる眼のやさしさと余裕が好きである。こういう方だから、鶏を愛し、犬を愛し、愛犬が死ねばこころから嘆き悲しむのである。そしてまた、鶏の死も犬の死も人間同様にかなしく重たいのだと思う、鈴木石花さんにとって。石花さんは、明るい童心をいつまでも失わない方だ。句集のおしまいの方に〈象「イズミ」逝きて哭く娘やさみだるる〉という句があって、象を愛した娘さん、そしてその娘さんをみている石花さんの優しい眼にふたたび出会うことになる。 数へ日の予定溢れて仕舞ひけり この一句も石花さんの肯定的かつ積極的な人生観をおもわせる一句だ。この予定、思うにきっとこれは「遊び」の予定であると思う。歳晩はあれこれとお正月の準備でいそがしい、とくに昭和生まれの女性は家事などにあけくれてしまうという人も少なからずいるだろう。しかし、多彩な趣味をおもちの石花さんである。歳晩であっても豊かに楽しく暮らすことを忘れない。そのあとにおかれた一句でわたしの確信は動かないものとなった。〈「薔薇色の人生」歌ひ年惜しむ」。いいなあ。。。 校正スタッフのみおさんは、「〈屋久杉と苔息かはす霧時雨〉が好きです。」ということ。 また、幸香さんは、「〈絵蝋燭灯して春を惜しみけり〉が好きでした。とても美しいです。」と。 昭和七年(五黄の申)八月十九日に夫の喜一、私が九月十日に生まれた。二人が七十歳まで、㈱鈴木機械の経営に携わり、その間、息子二人を育て、それぞれ二人の孫四人も順調に育てられている。その後、十年近く二人で登山や遠方への旅行をして来たが、八十歳で急に体力が落ちたので、紀州犬と日本鶏の面倒を友人の星野博氏に依頼、会社と息子宅の中程で緑蔭の安らぎにも似た介護付き施設に入居、遠出や外泊等容易では無く、従って、近隣の吟行、石花庵と病院通いの俳句が殖えた。更に、今年の春以来、新型コロナウイルス禍によるものも、川柳とばかり言えずに作句し、平成十九年の誕生日から満八十八歳の誕生日迄の俳句を自選した。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 「緑蔭の安らぎにも似た介護付き施設に入居」とあるが、これについては 緑蔭やグレイスといふケアハウス という一句があり、本句集のタイトルともなった句である。 装釘は君嶋真理子さん。 緑を主体にやさしい品のよい装釘となった。 用紙は表情のあるもの。 光沢のあるクロス装。 見返し。 扉。 花切れは緑と白のツートンカラー。 栞紐は表紙とおなじ薄緑。 傘寿にて生活新たや鉦叩 石花さんの良き身辺や良き俳句人生が手に取るように、伝わってきます。桂郎に直接学んだ、数少ない「風土人」の句集といえるでしょう。(序・南うみを) 鈴木石花さんは、「日記のような拙い俳句を懇切丁寧に編集して頂き、ふらんす堂様には感謝感激です。」とお手紙をくださった。 ご夫君と。 草餅や共に戦中戦後生き 石花 鈴木石花さま、 句集のご上梓、おめでとうございます。 また、ご夫君ともどもの傘寿をこころよりお祝いもうしあげます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
by fragie777
| 2021-05-10 20:14
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