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5月9日(日) 母の日 旧暦3月30日
夕暮の丸池公園。 楝の花がすでに色づいている。 去年はじめてここを訪れたときは楝の花の盛りだった。 もうすぐ一年になるのか。。。。 さて、わが翡翠たちはどうしているだろうか。 涼しくなった夕方に仙川に行ってみた。 まだまだ親子連れでにぎわう丸池公園。 仙川沿いを散歩する人たち。 大きなカメラをもったひとは少なくなっていたが、翡翠を愛する人たちが三々五々川沿いを散歩しながら覗いている。 あるいは翡翠親子たちがいるところでずっと時間を過ごしている老夫婦の姿などが見られる。 仙川につくやいなやすぐに翡翠が姿をあらわす。 チビ翡翠のようだが、昨日よりだいぶ色がついている。 成長のはやさにおどろく。 行く手行く手に翡翠があらわれる。 このチビ翡翠は、まだ地味である。 動くこともなくじっとしている。 こちらも幼いが色はずいぶんと綺麗だ。 二羽いるところに親ゼミが餌をはこんできた。 ザリガニだろうか。 ぐいぐいとチビセミがひぱっている。 もう一羽も口をあけて欲しい様子。 欲しい!って羽をバタバタさせた。 ほら、おまえにもあげるよって、お父さん翡翠。 それを遠くで眺めているチビ翡翠。 そんなやりとりをしばらく眺めてから上流に向かってあるいていくと、ふたたび別の翡翠にあう。 これはわたしがセミチビと呼んでいる翡翠かもしれない。 しかし、もうそういうことはどうでもよくなっている。 翡翠の数に圧倒されている。 みな大人の翡翠は子育てに励んでいるのだろう、きっと。 (そうでないはぐれものの翡翠もいてもいいけど。。。) こちらはセミコ。 「子育て大変ね!」って声をかける。 今度はちがう翡翠。 今日は、川にそってあるけば翡翠にあう。 「頑張ってね」と大人の翡翠には声をかける。 二羽のチビたちである。 チビ翡翠のなかにもすでに自分で餌をとりはじめていることを発見。 昨日、かなり長い時間親に放置されていたのが、良かったのか。。 自立への素晴らしい第一歩である。 こんな風に川のなかをじいっと見つめて、 ダイビングだ!! そしてこのあと獲物を見事にゲットしたのである。 そばにいたもう一羽もやはり捕獲に成功。 わたしはどっと安心した。 だってあんな小さな身体の親たちが大きな獲物をくわえて五羽たちに食べさせるのかとおもうと、頭がくらくらしてくる。 肉眼でみると翡翠ってこんなくらいである。 でも、すぐにわかる。 橋の下にいた翡翠。 セミオである。 「良かったね!」ってわたしは声をかける。 川を老夫婦がさっきからずっと眺めている。 わたしには一羽の翡翠が見えるだけであるが、ご夫君が、 「ほら、あそこに一羽、向こうにも一羽、あとその先に一羽」って言っている。 夫人は、「あらどこ、まあ、いるわね」と。 わたしは、「どこにいるのですか、すこしも見えないんですけど」と夫人に訴えると、 「こちらに来てごらんなさい、ほら草叢のかげにみえるでしょう。うちの主人ものすごく目がいいんですの」と。 言われた方を目をらしてみると、確かに青いものがいる。羽だ。ほかの二羽は全然わからなかった。 そして夫人が、大きな一眼レフをかかえた人をそっと指さして、 「ああいうカメラで見たらずいぶんはっきりと見えるんでしょうねえ」とわたしにつぶやく。 「ああ、そうかもしれませんねえ」とわたしも笑う。 で、それでおしまいにすればいいのに、わたしったら、その方のところに行ってわたしの小さなカメラで撮った翡翠を見せて、 「このカメラでもこのくらいは撮れるんですよ」って自慢気にお見せする。 するとその方が目を丸くして「まあ、」と言いながらご夫君を呼ぶ。 「見てごらんなさい、きれいよ」ご夫君も覗いて「うん、きれいだね」と。 夫人はさらに、「そのカメラはあの方たちの持っているのと同じ一眼レフというのですか」 「いいえ、これはそうではなくて、誰でもこんな風に撮れるデジカメなんです」とにこっりして答える。 そしてわたしは少し恥ずかしくなって早々に退散したのだった。 ああ。 でも、良かった。 チビセミたちがみな元気で。 仙川の森にはツミという鷹もいるし、烏もたくさんいる。 うかうかしていたらチビセミなんてやられてしまうって心配していたのだった。 わたしのみならず、多くの住民たちに愛されている翡翠たちである。 かはせみや嘴より長きものくはへ 森田 峠 『翡翠」は夏の季語。雨が来そうな時によくなくので雨乞鳥、水恋鳥という傍題もある。 翡翠の季節になったのである。 あはれ啼く水恋鳥といふからに 岸 風三楼
by fragie777
| 2021-05-09 20:51
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