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5月8日(土) 旧暦3月27日
午前中、仙川の翡翠が雛をかえしたというので行ってみる。 いた、いた。 翡翠の幼鳥。 なんと、五羽の雛がかえったらしく、よく見るとたしかに五羽いる。 これはそのうちの一羽。 15人ほどのギャラリーがいる。カメラをかかえた人も多く、会話が聞こえる。 「昨日は五羽一緒にいたのだけど今日はばらばらだね」 確かに数えると5羽いるのだが、みなとびとびである。 こんな風に。 わかります? 二羽いっしょの幼鳥もいる。 幼鳥は全体的にまだ色が地味である。 口先が白い。 雌雄の判別もし難い。 並んで親が餌をもってくるのを待っているようだ。 親鳥が餌(ドジョウらしい)をはこんできた。 子どものほうが体が大きい。 一羽に与える。 一羽が食べるのを羨ましそうに眺めるもう一羽。 五羽に餌を運ぶのは並大抵じゃない。 「一番ひだりのが身体が大きいね」 「あの子はチビだね」 などなど、ギャラリーの声。 どうやら、翡翠を愛する人たちが集まっている様子。 常日頃観察をしているらしい。 親鳥は一度だけ姿をみせて、いなくなってしまった。 待ちつづける幼鳥たち。 胸のオレンジがまだ暗い。 幼鳥のあごには一様に白い髯のようなものがあった。 しかし、である。 仙川のこの辺にはいったい翡翠が何羽いるのだろうか。 わたしが知っているだけでも、十羽はいることになった。 もうどうやって見分けたらいいのかわからなくなった。 ![]() その時に感じた名前でつきあって行こう。 この五羽の翡翠の幼鳥が無事に育ってくれますように。。 親鳥、頑張れ。。。 午後より仕事場へ。 今日は六人の方々へ、手紙や葉書を書いた。 「仙川の翡翠に五羽子どもがうまれました」と思わず書いてしまったのもある。 わたし、きっと明日も会いに行くと思う。 寄贈していただいてる「杉」の五月号を紹介したい。 俳誌「杉」(森潮主宰)5月号。 「創刊五〇周年「杉」を振り返る」とあり、桜井博道句集『海上』特集である。 これは新たに書き下ろしたものというより、藤崎実氏の「博道論」をはじめかつての「杉」に掲載されたものが再掲載され、また『海上』に寄せた加藤楸邨の跋などをそのまま掲載している。桜井博道の「鬼貫の一句」や「自註十五句」なども収録されており、俳人・桜井博道を知る上では貴重な資料となる特集号であると思う。森潮主宰の「特集解説」によると、森澄雄が指導に当たっていた「寒雷青年の会」にいた川崎展宏と桜井博道の熱心な勧めによって、「(「杉」)創刊に踏み切った」というある。この特集解説も興味深く読んだ。岩井英雅さんが、句集『海上』より五十句を抄出されている。 ふらんす堂では、2009年に『季語別櫻井博道全句集』を刊行している。この全句集は季語別のみならず年代別の句集も収録している。それに川崎展宏が「桔梗一輪」と題して序文と句を寄せている。 桔梗一輪投げこむ力ばかりの世に 博道 松虫草手をあげて来る博道さん 展宏 序文というものを書かなかった加藤楸邨が、跋文というかたちで句集『海上』によせた文章より、抜粋して紹介したい。 (略) 桔梗一輪投げこむ力ばかりの世に 天草干つばめ鴉も羽根ひろげ 西空の柿のわめきのほつと消ゆ 年つまる闇にこにこと兎ゐて これらの句を通じて何より私の惹かれるのは清潔であるということだ。若い血にまかせてむりな強調を試みたりするところがまったくと言ってよいくらい見えないのである。これは自分の内のひそかなものに、自分の息をひそめて耳を澄ませ、本当のものと余計なものとを確かに聴きわけて、誠実にそこから自分に根ざす声を発してくるからにほかならない。自分に誠実なところからのみ清潔な泉ような詩情が生まれてくる。 以下余談。 この文章の後に、楸邨はなぜ序文を書かないかを記しているのだが、ここでは紹介しない。 序文を書かない、出版記念会をしない、句碑を建てない、というのが楸邨の三大原則だったと聞いたと思うが、句碑は楸邨がねむる九品仏の浄真寺にある。〈しづかなる力みちゆき螇蚸とぶ〉。
by fragie777
| 2021-05-08 18:23
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