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5月4日(火) みどりの日 旧暦3月23日
「退職金を叩いて小さな家を建てました。遊びに来てください」 って、東北に住む俳人の方からメールをもらった。 (ああ、行きたいなあ)って心から思った。 「窓から岩手山と高松の池が見える眺望だけは素晴らしいです。」と。 ますます行きたくなった。 午後から仙川沿いをあるいて仕事場へ。 仙川沿いにある雑木林をはじめて抜けてみた。 ここは、櫟(くぬぎ)と小楢(こなら)の木々がたくさんある。 今日は櫟と小楢の違いを実際の木で学ぼう、って思った。 わたしが知った範囲でお教えしますね。 でも間違っていたら教えてくださいませ。 これは櫟。 こちらが小楢。 似てるけどちょっと違う。 櫟のほうが木筋が深くてやや細かい。 葉のかたちもすこしちがう。 どっちがどっちだかわかります? 右が櫟。 左が小楢。 櫟も小楢もブナ科の落葉高木。 これが櫟。 櫟って武蔵野の雑木林の主要樹種なんですって。 小楢。 いわゆる団栗の木である。 この雑木林はすこし怖い。 ここにイヌシデの高木もあって、見上げるとその高い木々が圧倒的で恐怖心を呼び起こすのだ。 わたしは(ヨシっ)って丹田に力をいれて、冒険心をかきたてて歩いていく。 さっきからずっと鶯が鳴いている。見上げても決して姿は見えない。 誰もいない雑木林。 励ましてくれるのは鶯の声のみ。 途中でえごの花が咲いていた。 ほっとする。 えごの花はとりわけ優しい表情をしていたのだった。 えごの花を俳人・石田波郷はたいへん好きだったようだ。季語別『石田波郷句集』をみると、「えごの花」のところの句が圧倒的に多い。人生のいろんな局面でえごの花を詠んでいる。27句あるうちのいくつか。 えごの花いよいよ痰の切れがたし えご落花踏みがてに棺送りけり 女人ひそと森の端よぎりえごの花 肋のみ耶蘇に肖(に)し者よえごの花 太幹にえご咲き満てり手術待つ 東京の西に住みつきえごの花 そんなこんなで、すっかり道草をくってしまって、仕事場についたのは夕方ちかくなってしまった。 それからわたしは遠くに住む詩人に一本手紙を書いたのだった。 「みどりの木々をぬっていま仕事場につきました」と書き始め、指をインクに染めながらどうにか書き上げてさっきポストに投函したところである。 以下余談。 この休みに聴こうとおもって、カール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団の「マタイ受難曲」をiPhoneにダウンロードする。全部で79曲からなるこの「受難曲」はすべてを聞くのに、3時間17分かかるのだ。吉田秀和さんだって全部をとおして聴いたのはその生涯において10回もないと書いていたような気がする。わたしはカラヤン指揮の抜粋のものでなじんでいたので、全部を聞きとおしたことがない。で、挑戦しようというもの。目下その途上にある。で、第47曲目の大祭司とピラトの審問におけるアリア「神よ、哀れみたまえ」、このアリアがとりわけ好きなのだが、これを聴き比べてみた。リヒターのそれは荘厳、カラヤンのそれは華麗、悲しみの表情に満ちたアリアなのに「華麗」というのもへんかもしれないけど、その華麗さがキリキリと胸を刺してくる。ともかくこの休みにリヒターを聞きとおすつもりである。 ともにバッハを聴く愛猫・日向子の耳。 つい最近知ったのであるが、バッハはルター派プロテスタントであったということ。 カソリック信者でないということに私はいっそうの親しみを覚える。 と言ってもわたしが一方的な親しみを感じるだけだけれども。
by fragie777
| 2021-05-04 19:33
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