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4月26日(月) 旧暦3月15日
なかなか美しい。 今日は午後より出社するため、家で仕事をする。 お昼を食べたあとに出社。 新刊紹介をしたい。 46判変形薄表紙カバー装帯あり 242ページ 3首組 本歌集はすでにTwitterなどで話題沸騰で、書店でもよく動いている。 歌人・松野志保(まつの・しほ)さんの第1歌集『モイラの裔』、第2歌集『Too Young To Die』につぐ第3歌集である。松野志保さんは、1973年山梨県生まれ、高校在学中より短歌を作り始め、1993年「月光の会」(福島泰樹主宰)に入会、2003年から2015年まで同人誌「Es」に参加しておられる。すでにその短歌の世界に魅了された松野志保ファンがたくさんいるようである。 ウェルニッケ野(や)に火を放てそののちの焦土をわれらはるばると征く 本歌集は、短歌という形式によって作りあげられたひとつの虚構の世界でありファンタジーである。まさにそれは俳句でもなく現代詩でもなく短歌のもつ形式を十全に用いたものであり一首が統べる世界は韻律の響きによって華麗に立ち上がるのである。著者の松野志保さんは、短歌というものを充分に熟知したうえでご自身の世界をより効果的に構築していく。その知的なつみあげは圧倒的なまでである。 本歌集は、青と墨の二色刷となっているが、基本は青のインクで刷られている。ゆえにこのブログでも作品は青で紹介したい。 奈落その深さをはかりつつ落ちてゆくくれないの椿一輪 侵しくる夕映え 王の死で終わる書物を閉じて立ち上がるとき この冬の部屋に唯一ゆるされた朱として飾りおく山帰来 風に髪乱されながら「圏外」の表示見せ合うここが楽園 百年を待ったのだから木犀の下この次の百年も待つ 担当の文己さんの好きな5首をあげてもらった。 奈落その深さをはかりつつ落ちてゆくくれないの椿一輪 Ⅰ章の「われらの狩の掟」の項目のなかの一首である。項目ごとに物語性をなしているので、その文脈での鑑賞がまず求められるのかもしれないが、こうして一首のみ取り出してももちろん一首として成立しているし、わたしも好きな短歌である。この一首を読んだとき、わたしは鷹羽狩行の「落椿われならば急流へ落つ」をすぐに思った。この俳句が椿が落下するその瞬間を見事に捉えているとしたら、松野さんの短歌は、その時間の流れを詠みながら甘美なためらいを思わせる。俳句に於ける決断と短歌における揺曳の違いが対照的だ。どちらも美しい一輪の椿。この一首は「われらの狩りの掟」の項の最後から二番目に置かれていて、その前後の短歌も紹介しておきたい。どちらも好きな短歌である。〈いずこへと尋ねれば手を差しのべて「この世のほかであればどこでも」〉〈曼珠沙華咲く道に肩寄せ合って地獄という名の天国に行く〉 本歌集より好きな短歌を抜き出せばそれは際限なくあるが、わたしは個人的にはⅡ章の最初の項「放蕩娘の帰還」が面白かった。このタイトルたとえば『指輪物語』の「王の帰還」を、あるいは新約聖書の「放蕩息子の帰還」を呼び起こし、現実をはなれた非現実の世界へと読者を誘うのかとおもえば、そうでもないところがとても魅力的。 絶えるともさして惜しくもない家の門前に熟れ過ぎた柘榴が ピンヒールのブーツで萩と玉砂利を踏みしめ帰る また去るために 白蝶貝の釦しずしずはずしつつゴシックだけどロリータじゃない こんな風にどうやらこの放蕩娘は、そのへんにいる反抗的な娘が家出をして戻ってきたという風な設定のようである。読んでいくと祖母や従姉妹や伯母たちが登場するのだが、男の影はいっさいないという不思議な世界なのである。現実的な景色と道具立てをみせながらもやはりまた虚構の世界なのである。その感触がわたしなどたまらなく好き。〈哄笑がうっかりあふれ出ぬようにコルセットの紐きりきりと締め〉〈午後の日に背を向けて座す伯母たちの足袋裏はつか汚れつつあり〉〈骨となり戻る朝にははればれと言うだろう なつかしいふるさと、と〉と放蕩娘はふたたび出奔をするのだ。本歌集はその物語性をたのしむのと同時に細部を楽しむこともおすすめしたい。「ゴシックだけどロリータじゃない」とか「伯母たちの足袋裏の汚れ」なんて、面白いなあと思うのだ。 もうひとつ紹介しておきたいのが「たそがれの国の植物図鑑」の項、これはやはりⅡ章にある。 茶席にはそしらぬ顔で水責めと火責めののちに咲いた椿を 蓬の葉茹でて砕いてこねながら祖母は架空の不義を語りぬ 篠懸の並木の果ては遠いのにもう終わりそうな聖句暗誦 稜線に葉をひるがえす楡としてひとりで生きてひとりで死ぬわ さまざまな植物が登場するのだが、あらゆる植物が呼び起こすものはどこか不穏の影をまとい、決して安住はさせてくれない。私の心の底にある不安や得体のしれない欠落感のようなものを目覚めさせ、それが一種の甘美ささえ呼び起こすのだ。 校正スタッフの幸香さんは、「センチメンタルガーデン」の章に惹かれました!ということ。この項も面白い。つまりはどの項を読んでもわたしたちは心地良いカタルシスを味わうことになる。もう一人の校正スタッフのみおさんは、〈着せかけるフロックコート甘噛みのあまさを知っているその肩に〉の一首が好きであると。 今回、Ⅱ章には少女性をテーマとした歌を、Ⅲ章に題詠や実験作、挽歌などを、そしてⅠとⅣにそれ以外の歌をまとめた。第二歌集を出して以降、「BL(ボーイズラブ)」というキーワードとともに作品を紹介していただく機会が何度かあった。そうした視点やモチーフが私にとって重要であるのは間違いなく、一方で、できあがった歌にどれほど反映されているのか自身ではよくわからず、それをそのように読み解き、楽しんでもらえるのはありがたいことだと思う。 同時に、私の歌を読むのにBLに関する知識は必要ないし、BLとして読むことを強制するものではないということも書き添えておきたい。私にとって歌とはずっと、失われたもの、決して手に入らないものへの思いを注ぎ込む器だった。それが、この歌集を手に取ってくださった人が抱え持つ喪失や希求と響きあうことがあればと願うのみである。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 美しい匣(はこ)ばかり買いその内に収めるものを知らぬ思春期 誰もみなふかづめの手をポケットに隠して黙す午後の教室 光年という距離を知りそれさえも永遠にほど遠いと知った まさにBL的にわたしが好きな短歌である。長野まゆみの小説の世界に登場する一場面などを思ってしばしうっとりとする。 本書は著者があとがきで書かれているように、どのように読んでも幅ひろい教養の層の厚さで構築されている虚構世界なので、いかようにも楽しめることができる歌集だ。 わたしは率直に言って、フィクションをつくりあげることのできる短歌という形式の力を思った歌集となった。 本歌集の装丁は和兎さん。 青と赤の二種類の色校正を用意した。 松野志保さんは、青を選ばれた。そしてその青は本文の青と響き合う。 図版の一部とタイトルが金の箔押し。 カバーをとった表紙。 見返し。 扉。 本文の青い文字。 丸背である。 武器を持つ者すべからく紺青に爪を塗れとのお触れが届く 「われらの狩の掟」の項の最初の一首である。「紺青に爪を濡れ」とあるこの「お触れ」がこの歌集の青を貫いているのである。 松野志保さんから歌集上梓後の感想をいただいた。 ▼十余年ぶりに編集作業をしながら、歌集は舟だと思いました。 ▼久々に舟を作る楽しさを味わって、次の歌集はこんなに間をあけずに出したいと思いました。 表紙の箔押しと本文色刷りは一度、やりたかったので実現できてとてもうれしいです。そこに載せる歌を作ったのは私ですが、舟はさまざまな人の力を貸していただいてようやく出来上がります。 この舟が作者の予想を超えて遠くまで行ってくれることを願っています。 ▼前衛短歌に心を奪われたのが出発点だったせいか、私が歌を作る時にはどうしても「かっこよくしたい」という気持ちが働きます。 その一方で、ライトヴァース以降の短歌の潮流や「失われた20年」の時代の空気の中でかっこいい歌というのはそぐわないというか、むしろかっこよくしようとすること自体がかっこ悪いのではないかとも感じていました。 ずっとそういう疑問と迷いを持ちながら作ってきた歌も、美しい装幀の1冊にまとめていただくと、これはこれでいいのだという気がしてくるから不思議なものです。 松野志保さん いま発売の「俳句四季」5月号に、「俳句と短歌の10作競詠」に俳人の中村安伸さんとの競詠で松野志保さんも短歌を発表されている。それも是非にお読みいただきたい。 ガラス器の無数の傷を輝かすわが亡きのちの二月のひかり たくさんの好きな短歌より敢えて好きな一首をあげてみた。 かなり好きかもしれない。。。。
by fragie777
| 2021-04-26 19:23
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