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4月21日(水) 葭始生(あしはじめてしょうず) 旧暦3月10日
最近は櫟の木は見分けられるようになった。 コナラと木肌は似ているのだが、ややちがう。 ここの雑木林は、櫟の木が多い。 木肌をさわって、エネルギーよわたしに移れ、って念じてみたのだけどどうだろう。。。 振り返ってみたら枯れていた、なんてことはなかったけれど。 これはいま見ている中国ファンタージ時代劇の見すぎだとあきらかに思う。 いろんな魔術妖術にちょっと魅せられてしまっている。(美形男子ぞろいっていうのも最高、ウフ) ファンタージ-と言っても、中国のドラマって奥が深い。 だいたい、訳が格調高いのである。 今日ぐっときたセリフが、ある剣士が後輩の剣士(←ちょっとアバウトな状況説明ね)にこう語る。 「おそらく 世の人心とは はたからは水に見え 時には火にみえる」 どうよ、ひえーっておもってしまった。うまいことを言う。 まるで老子が語っているかのような、哲学的な言辞である。 が、中国ドラマってこういう人の世の奥義にふれるようなことが次々と会話のなかでやりとりされるのである。 中国に精通している友人が言っていたけど、中国って八百屋のおじさんがぱっとことわざや名言をお野菜を売りながら言うのだそうである。そういう言葉や知識が庶民にも浸透しているということだ。いやはや、である。 さて、 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯あり 212頁 二句組 著者の雜賀絹代(さいか・きぬよ)さんは、昭和27年(1952)和歌山県生まれに現在は和歌山市にお住まいである。平成14年(2002)「白露」入会、平成24年(2012)「白露」終刊、平成25年(2015)「郭公」創刊、入会。平成31年(2019)「郭公」同人。本句集は第1句集であり、「郭公」主宰の井上康明氏が序文を寄せている。「熊野灘へ」というタイトルである。 この句集の魅力は、広やかな天地自然の把握にある。 地卵の殻のざらりと木の芽風 観音立像ひと筋の涼気かな 閂は竹の一幹冬に入る 大寒の落暉引き込む熊野灘 (略)なかでも次の一句は、遥かな熊野灘を望んで、秋のさびれていく透明感を感じさせる。自然詠でありながら、どこか人々が暮らしている街並みが鱗雲の下に広がっていることを思わせる。 鱗雲うするる先の熊野灘 この句は、句集名となった一句である。井上康明主宰は、雜賀絹代さんの句をたくさん取りあげていろいろな視点からその自然詠の豊かさに言及している。そして、 このように書いてきて、これらの世界は、雜賀さんのたゆまない精励の末に獲得した世界であることに気付く。生まれ育った紀州の歴史と風土をひとつひとつ自らの目で見、耳で聴き、たしかめてきたその果実である。 と。雜賀さんは、紀州生まれの紀州育ちである。本句集をとおして、わたしたちは紀州の自然をたっぷりと味わうことができる。 トランペット吹く少年の冬帽子 あらたまの日矢いくすぢも熊野灘 能面の思はぬ軽さ時雨来る 凩一号金星の身じろがず 珈琲を淹れ父の日の仏壇へ 担当の文己さんが好きな句を紹介した。 あらたまの日矢いくすぢも熊野灘 本句集には「熊野灘」がたくさん詠まれている。このほかにも「くつきりと潮目初冬の熊野灘」「大寒の落暉引き込む熊野灘」大寒の落暉引き込む熊野灘」「いま魂は熊野灘沖冬あかね」などの句があって、著者にとっては心の要となるようなものなのだろうか。「熊野灘」とは、「フィリピン海(北西太平洋)のうち、日本の紀伊半島南端の和歌山県の潮岬から三重県大王崎にかけての海域の名称。」とあり、ずいぶんひろい海域をさしているのだ。「熊野灘」という名称がいい。雄々しいひびきがあってその地域で生活する人たちの心の錘りとなるような頼りがいがありそうな名前である。この句は年の明けた太陽光線がいくすじもの光となって熊野灘に注ぎ込んでいる情景なのだろうか。「日矢」の措辞で句が立った。海のひろがりと光の直線、海の青と光線の金、緊密な配置、新年の寿ぐに申し分のない緊張感もあっていい句だと思う。ところで、残念ながら、わたしは和歌山県に足を踏み入れたことがない。那智の滝もみたことがないし、コロナから解放されたら、那智の滝も、熊野灘もみてみたいな、って思った。 地卵の殻のざらりと木の芽風 これはわたしの好きな一句である。たんなる「卵」ではなく、「地卵」という語によって「殻のざらりと」という措辞が現実の肌触りを呼び起こす。まだ人の手をあまり介していな「地卵」だからこそ、「ざらり」とした感触が手にのこる。その皮膚感覚と、木の芽風の体感、そして色と音。すべての五感を総動員させて作者はいまこの瞬間の季を味わっているのである。おなじ季節を詠んだものとして〈土の香も木の香も芽吹山のなか〉という句もあって、好きな句である。鋭敏な感覚をもった雜賀絹代さんである。 蛍火や闇裂くやうに縫ふやうに この句は、著者が自選のなかであげている一句である。「闇裂くやうに」に蛍火の勢いが伝わってくる。「縫ふやうに」は、蛍火をみているとわかる。しかし、闇を裂くとは、なかなか見出し得ない謂いであるが、こう言われてみると、確かにと思う。「蛍」ではなく、「蛍火」と焦点をしぼったことによって、その火の勢いがました。 裸婦像の全身にして新樹光 シンプルな表現だが、好きな一句だ。新緑のなかの裸婦像。余計なことをいっさい言っておらず、その情景を浮き上がらせた。「全身にして新樹光」清冽にかがやく裸婦像である。 はじめての句集『うろこ雲』は平成一四年から令和二年までの作品の中から三百六十六句を収めたものです。 句集を編むにあたりまず最初にしたのは、これまでの句の一つひとつに目を通す作業でした。どの句を見ても、それを詠んだときのことがありありと思い出されました。 句集名は平成二八年「郭公」で、井上康明主宰に巻頭をいただいた句 鱗雲うするる先の熊野灘 より「うろこ雲」といたしました。 熊野本宮大社へと向かう途中で見た、沖合まで広がる鱗雲。その一片一片に光が当たっている様子に、これまでの出来事、これまで詠んだ一句一句がふと頭をよぎったのでした。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 雜賀絹代さんは、「スモークピンク」のような色を希望されたのだった。 ピンクは難しいのだが、この句集は子供っぽくならず、気品のあるまさにおちついたスモークピンクの句集となった。 タイトルは、プラチナ箔。 表紙もスモークピンク。 見返し。 扉。 用紙はぐれーがかったツヤのある淡いピンク色のもの。 花切れは赤と白のツートン、栞紐は白。 雜賀さんの俳句の歩みは今も進む。これから紀州の風光をどのように新しい風景として詠むのだろうか、その成果に期待したい。(序・井上康明) 本句集をお手にされた雜賀絹代さんから、担当の文己さんあてにメールをいただいた。 句集出版というのはもちろん憧れではありましたが、何となく手の届かない夢の また夢とも思っておりました。でも郭公賞を頂いたあたりから、現実味を帯びて来まして... 私の人生にこのような幸せがあって良いものかとの想いに満たされています。 娘が東京在住ですので、コロナ以前はよく訪ねておりました。 ですから、コロナ自粛がなければ、きっとふらんす堂様をお訪ねしていた事と存じます。 初句集「うろこ雲」を手にして、感無量という言葉をかみしめております。 カバーと帯の一体感もおしゃれで、とても美しい装丁に仕上げて下さいました。心よりうれしく存じます。 恩師の「句集は分身」とのお言葉が心に残っておりますが、こんな麗しい分身を授り、面映くまた何と果報者であることよとの思いでございます。 雜賀絹代さん お会いしたかったです。 東京にいらっしゃれるようなことがありましたら、是非にふらんす堂にいらしてくださいませ。 お待ちしております!
by fragie777
| 2021-04-21 19:30
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