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4月19日(月) 旧暦3月8日
国立・城山公園の雑木林に咲いていた二輪草。 森のやや奥に群生して咲く二輪草。 ひっそりと静まりかえっている。 今年も見ることができた。。。 昨日の朝日新聞の風信で、武藤紀子著『宇佐美魚目の百句』が紹介されていた。 「火の山の銀河は髪に触るるかに」から「一山の鳥一つ木に秋の晴」までを紹介。 今日の讀賣新聞の長谷川櫂氏による「四季」は、安田徳子句集『歩く』より。 蝶々が鋤きしばかりの田を渡る 同じく讀賣新聞の「枝折」には、太田土男句集『草泊り』を紹介。 草原の草刈りはかつて泊まりがけの作業だった。長く牧場で暮らし雄大な自然を詠んできた、「草笛」代表の第5句集。〈菜の花の大平原に溺れけり〉 新刊紹介をしたい。 新庄富美句集『一切合切』(いっさいがっさい) 著者の新庄富美(しんじょう・とみ)さんの第1句集である。新庄富美さんは、1939年京都・舞鶴市にうまれ、舞鶴市に在住。1991年「天為」入会、「洛の会」入会。1998年「天為」同人、2008年「うの会」入会。本句集には有馬朗人「天為」主宰が序文を寄せている。あるいは有馬朗人氏の最後の序文であるかもしれない。序文の日付は「2020年11月17日 静岡文化芸術大学にて」とあり、亡くなられたのがその翌月の6日であるから、やく2週間とすこしで急逝されたのだった。 「あとがき」で新庄富美さんは、こう書く。 突然有馬朗人先生の訃報がテレビに流れたのは、昨年の十二月七日「探査機はやぶさ」のニュースの途中でした。 九月には、お元気で卒寿のお祝いをなさったばかりでしたのに。十一月には、私の句集発行のために、選句と身に余る序文を頂きましたのに。私が最後の依頼人になったのではと思うと、声も出ませんでした。この句集をまっ先に見て頂きたかった方でしたのに、叶わなくなりました。 有馬朗人氏の突然の訃報は俳句界の誰もが驚いたことだと思う。とりわけ著者の新庄さんにおかれては信じられない思いがしたことと思う。最後の序文となったかもしれない序を抜粋して紹介したい。 富美さんは実に誠実な人柄であり、努力家であり、不言実行型の人である。 私が京都方面に行き吟行するときには、必ずと言って良い程舞鶴から駆け付けて下さる。その振る舞に私は心を打たれるのである。 富美さんは、じっと風物や生活を見据えて本質に迫る作句法で多くの佳句を生み出して来た。 後より呼び止められて枇杷の花 猪鍋の鍋の座りも丹波かな 古甕の罅に秋の日藍の染み また川を戻りて来たる穴まどひ 身に入むや踏めば軋みて踏鞴吹 鳥羽殿へとのさまばつた飛ぶ構へ 秋夕焼映ゆる神鏡戻り山車 決して大袈裟に表現しないが、古甕の罅の美しさや、穴まどいの迷い振りが的確に描かれている。踏鞴の軋むところや、秋夕焼の映る神鏡などは焦点を絞っているところが良い。 後より呼び止められて枇杷の花 透けし身を濃き影として冬の魚 氷菓食ぶ百足屋町の古格子 送り火の一つまだ見ゆ嵯峨野線 子の忌日近し吾亦紅赤し 担当の文己さんの好きな句である。もっとたくさん好きな句はあったらしいが5句にしぼってもらった。 後より呼び止められて枇杷の花 有馬朗人主宰も序文で紹介していた句である。また、著者が「あとがき」でも触れている一句だ。「知人に誘われるまま有馬先生の句座の末席を頂き、投句までさせて頂いたのです。」その時に有馬朗人氏にとって貰った思い出の一句であり、「この日が、私の俳句の道への第一歩となりました。」とある。枇杷の花は決して派手な花ではない。どちらかというと重くれた地味な花だ。しかし、俳人の多くが好きな花だ。目立たない花であるが、人の気持ちをゆっくりと温かくしてくれるような花である。「後より呼び止め」られるというありようとよく合っている。前からずんずんと正面切ってくるのではなく、うしろからそっと呼び止める、そんな優しい所作と枇杷の花。その一期がなければ、俳句をつくることもなかったかもしれない、そんな運命的なものを思わせるの枇杷の花のもつゆるぎない質感と感触であるかもしれない。 氷菓食ぶ百足屋町の古格子 この一句もそうであるが、京都の舞鶴にお住まいの新庄さんであるゆえか、京都の中心をややはずれた海に面するこの街の情趣をいたるところに感じさせる俳句を作られている。つまりはアイスを食べるその背景がなんともゆかしい。氷菓を食べる人間がいちだんとグレードアップされてくるかのよう。古き都の良き面影がいろいろなところに残っているのだ。この句、「鉾組 三句」という前書きのあるうちの一句であるが、「老の手の殿にゐて鉾を組む」「鉾組みの長老として掃除役」という句もあって、祭りの鉾のための準備にもかり出される様子もわかる。それもとても自然体に関わっていてどこか長閑でさえある。「葺替に近江の屋根師来てをりぬ」という句もあって、この一句はわたしの好きな句である。屋根を葺き替えるのにわざわざ近江から屋根師を呼ぶという。ご自身の家ではなく、神社仏閣かもしれないが、伝統技術というものが自然に人々の生活に浸透している、人間の暮らしすべてにわたって伝統が行き及んでいる、それを味わわせてくれる句集である。わたしのような関東のそれこそ秩父という荒々しい土地から生まれた人間には、その細胞に染み込んだ「雅」の度数がはなっからちがうなって思う。生まれというのは恐ろしいものである。 子の忌日近し吾亦紅赤し 新庄さんは、本句集の装画として「吾亦紅」を望まれた。この一句にふれたときそのお心の内がわかった。本句集には、「かおり逝く」と題して、三句が収録されている。お嬢さんを亡くされているのだ。「花野ゆけ棺に入れるスニーカー」「逝きし子の数残しけり年の豆」「の墓碑に声かけをれば初音かな」などの句があり、作者の悲しみにあらたに触れることになる。 葛の花摘みて漢の遅れたる これはわたしの好きな一句。いかにもと思われちゃうかもしれないが、男が「漢」と表記されているのもいいし、葛の花を摘むって、いったいどんな心境とも思う。心に屈折をもっている若くない男、そんな男を思う。わたしの好きな「葛の花」の句、永田耕衣の「男老いて男を愛す葛の花」にも響きあうような一句である。わたしは、どんなことがあっても「葛の花」を摘もうっていう気持ちにはなれないな。葛の花に面したときすでにもう負けている、そんな心持ちにさせる花である、葛の花は。 「天為」に入会して以来三十年になります。投句に時折頂ける有馬先生のご講評に励まされて、今に至りました。 句会や吟行では、毎回すばらしい方々とお会いできました。そこで、俳句の奥深さや楽しさを、たくさん学ばせて頂きました。(略) 終活に心急かれる歳になりました。ようやく古い句帳を整理して、句集にまとめることができました。ほんとうに有難うございました。 最後に、有馬朗人先生のご冥福を心よりお祈り致します。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 本句集の装丁は、君嶋真理子さん。 新庄富美さんのご希望にあわせるべく、「吾亦紅」で苦心してもらった。 いろいろな吾亦紅から、気に入っていただける吾亦紅が見つかった。 吾亦紅って案外むずかしいのである。 吾亦紅の赤をキイカラーにして。 古甕の罅に秋の日藍の染み 物の美しさをしっかりと見据えている富美さんの美的感覚が素晴らしいと思う。 人生百年の今日、八十歳はまだ若い。新庄富美さんがその優れた作句力で、更に大いに活躍されることを願いつつ、この『一切合切』が温かく受け入れられることを祈っている。(序・有馬朗人) 二校ゲラの校正を終わられて新庄富美さんから文己さんに、ご連絡をいただいた。 紹介したい。 いよいよ一世一代私の句集が見られそうです。 八十歳を過ぎてどうしても片付けたい終活の一つに俳句がありました。書き散ら した三十年のメモやノートの山。このまま残されたら後の者はさぞ困ることだろ う。さりとてゴミとしてポイと捨てられるのも心残りだと思いつつ何年経ったこ とでしょう。 有馬朗人先生に句集のご相談をしたのは昨年10月のことでした。快くお引き受け 下さり選句と序文を11月に頂きました。その一ヶ月後に先生とのお別れがあろう などとは夢にも思いませんでした。 句集のあとがきは先生への追悼文になりました。 あの時よく思い切ったと思います。 有馬先生に「初めての句集なら」とご紹介頂いたのがふらんす堂でした。原稿の初校ゲラに書き込まれた、俳句に精通した方と分かる細かい書き込みに感 心しました。いい句集に仕上げたいという思いが随所に見られました。 二校ゲラは別の校正者による更に細かい指摘がありました。いい句集になりそう で嬉しいです。 この歳になってわくわくすることの出来る幸せをかみしめています。 この句集を真っ先に見て頂きたかった有馬朗人先生。ふらんす堂をご紹介くだ さったことに改めて感謝致します。 今、このブログで句集『一切合切』を紹介しながら、ふと、何故に「一切合切」という句集名を付けられたのだろうって思った。「一切合切」の語を使った俳句はこの句集にはない。ご本人に伺いそびれた。 ああ、 でも、 この句集には、「一切合切」がある。 ということか。。。。 ご本人に尋ねるのも野暮というべきか。。。 国立・谷保で一花のみのこっていた梨の花。 お知らせです。 「ふらんす堂句会」の5月の片山由美子句会は、中止となりました。 コロナウイルスによる会場の都合です。 よろしくご了承くださいませ。
by fragie777
| 2021-04-19 20:20
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