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4月11日(日) 旧暦2月30日
青麦畑。 今日はお昼を食べて、自転車で井の頭公園まで行くことにした。 ちがう道を通ろうって企画(?)したのはいいが、途中で道に迷ってしまった。 iPhoneマップを頼りにしたのだが、どうも感触がちがう、って思ったら自動車で行く経路だった。 30分くらいでいけるはずなのに、一時間以上もかかってしまった。 途中、青麦畑があった。 自転車を降りてしばらく気持ちのよい風に吹かれる。 青麦畑に真向かうようにして、雑木林がある。 住宅街の一角にある雑木林である。 新緑が美しい。 とりわけ櫟の葉の緑が目につく。 たくさんの鶫がいた。 そのうちの一羽。 やっとの思いでたどりついた井の頭公園であったが、やはり大勢の人でにぎわっていた。 気持ちよさそうな男の子。 いいなあ、、 わたしもやってみたい。。。。 けど、やらなかった。 わたしがやったら桜の古木が折れてしまう。。 帰りはまあ、道には迷わずに帰ってこられたのだが、途中電動自転車のバッテリーが切れてしまって、えらいこっちゃだった。 知ってます? バッテリーが切れちゃうと、非常に重い自転車になってしまうってことを。 いったいなんの天罰!って思いながら、途中から自転車を引いてクタクタになって戻ってきたのだった。 今日も田中裕明・森賀まり共著『癒しの一句』の今日の日付のものより紹介したい。 鑑賞者は田中裕明さん。 密息や山の根に浮く春の虹 赤尾兜子 作者赤尾兜子は大正14年(1925)姫路市生れ。毎日新聞社に勤務。いわゆる前衛俳句の作者だったが、後年には伝統俳句に回帰したとも言われた。昭和56年没。 掲出句の密息は禅の言葉。呼吸には常息と密息という二つの方法がある。常息はふつうの呼吸だが、密息はゆっくり吸い込んだ息をとめる。それを静かに出して、またとめる。虚々実々に応じてゆく呼吸法ができあがって、何がいつ来てもたじろがないと言う。作者はこの句の自解で「長年の句作りの過程で密息に似た息づかいをしている自分に時折気づく」と書いている。 息をとめて見る春の虹は、山の根っこにかかっている。虹は夏の季語になっているが、雨上がりに見ることはいつの季節もある。 同じ自解に曰く、「やがて虹は消えてゆくだろう。しかし、山の根はもとのかたちのままにある。私の密息も、表現が終わると、いつしか常息の息づかいに復してゆくのであった」。句集『玄玄』所収。(春の虹・季語) 赤尾兜子の一句が鑑賞されている。 まもなくふらんす堂より藤原龍一郎著『赤尾兜子の百句』が刊行される。 さきほど、藤原龍一郎さんよりの再校ゲラの戻しを郵便受けから取り出して、わたしの机の上に置いたところ。 藤原さんもこの「密息」の句を選ばれて鑑賞されている。 藤原龍一郎さんは赤尾兜子の師系にあたる方である。 「兜子の作品を是非」とおっしゃっていただき、この百句鑑賞に取り組んでくださったのだ。 渡辺誠一郎さんの『佐藤鬼房の百句』につづいて、『赤尾兜子の百句』が刊行されることは、この「百句シリーズ」がさらに充実したものとなり、うれしい。 また、『佐藤鬼房の百句』は、今月の23日には出来上がってくる予定である。 ちょっと思ったのだけど、旧暦って2月30日まであるのね。。。
by fragie777
| 2021-04-11 19:02
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