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4月9日(金) 鴻雁北(こうがんかえる) 旧暦2月28日
桜が終わると、さっそくアメリカ花水木が咲きはじめる。 今朝の仙川で。 ピンク色が先に咲きだして、白がややおくれて咲く。 今日のふらんす堂は床暖房だけで夕方まで過ごしてきたが、すこし寒くなったのでさっき暖房をつけたところ。 風邪をひきたくないので、今の時期、油断できない。 お互い気をつけましょうね。 新刊紹介をしたい。 俳人・塩野谷仁の既刊句集7句集とそれ以後より精選400句を収録したハンディな句集である。ほかにエッセイ「『姿情一如』を求めて」、石川青狼、松本勇二のお二人による解説を収録。 一月の全景として鴎二羽 の句が帯に記載されている。句集『全景』収録のものだ。 この句について、解説で石川青狼氏は龍太の〈一月の川一月の谷の中〉の句を対峙させ、「塩野谷は〈一読、この句の、余分なものを取り除き、ただ「もの」だけを提示する作品のありかたに、内心唸った。」と書き、 (略)塩野谷の「一月の全景」の原風景には、龍太の「一月の川」の風景に拮抗する意識的な風景があったのではなかったか。「鴎二羽」を配することで、「一」でも他の数でもない「二」でなければならない強い意志の表出。単に日常の一風景の中の二羽の鴎を切り取った「もの」としての構成ではなく、一月の風景へ息吹を与え寄り添う「いのち」の象徴の姿として、そこに存在する白い鴎二羽に託した塩野谷の現在唯今の自己の内面の真実としての「もの」への答えなのではなかったか。 塩野谷仁氏によるエッセイは「『姿情一如』を求めて」と題して、江戸俳人の各務支考の唱えた「姿先情後」説を超えようとするものだ。 塩野谷氏は、「姿先情後」をこう考察する。 (略)俳諧は「姿」(形式)が優先するのであって、「心」(表現の際の心情)は後なのだということであった。この考えは、堀切(実)説にもあるように、芭蕉晩年の「かるみ」の風体から発したものであったことは間違いないようだ。支考の「姿先情後」の説は、「情」のねばりを嫌い「私意」や「理屈」を排斥し、句が観念的になることを避けようとしたのであろう。それはそれでいいのだが問題はそのあとにある。(略)「姿先情後」が芭蕉の「かるみ」に通じている限りはよかった。ただそれが一般庶民への啓蒙的意図を深めていったとき、「姿」と「情」の分離は次第に「姿」偏重となり、ついには「ただごと」に堕していく。つまり「かるみ」の平俗化であり、その亜流に化してしまったのである。このこと、何やら現今の俳句界を見るような心地もある。あくまでも「姿」と「情」が同一基盤に立つ世界、「姿情一如」でなければならないと思われる。 塩野谷氏の「姿情一如」は、各務支考の「姿先情後」への批判的視座から生まれてきたものだ。そしてそれはまた、今の俳壇の状況への批判ともなってゆく。 もう一人の解説の松本勇二氏は、句集『私雨』評において、 人去りて坂の残れることが冬 夏の月とおくとおくに裸馬 あやまちのごとく日暮の一冬木 地の底をいそぐ水ある春の闇 秘仏みな扉のうしろ生身魂 これらの句は、塩野谷仁が常々提唱する「姿情一致」を具現化するものでそれぞれが格調高く仕上がっている。どれも句姿はきちんとしていて定型感が強い。その完成したかたちに注入する情であるが、坂が残ることが冬、遠くに佇む裸馬、過ちのごとく立つ冬木、地の底の水、秘仏は必ず扉の後ろ、などで申し分ない。作者の心奥にある泉から澄んでそして瑞々しい情がすーっと湧いてきているようだ。この姿情一致という高いレベルへの歩みを自己の作句態度への反省を込めつつ、敬意を持って受けとめなくてはならない。 と俳句を具体的にあげて塩野谷仁氏における「姿情一如」について語っている。 以下、句集ごとに一句ずつ好きな句をあげる。 一日一涙棒立ちの鳥を飼い 『円環』 蝶はかなしからずや自転車古典的な 『独唱楽譜』 裸馬つれて冬三日月の裏へ行く 『東炎』 げんげ咲き胸底という長い廊下 『荒髪』 物質として水掴む五月闇 『全景』 花過ぎの水を掬えば水に闇 『私雨』 紀音夫忌の真っ白にくる夏の蝶 『夢祝』 兎小屋より冬の野のはじまりぬ 『夢祝』以後 昭和三十七年(一九六二年)四月、「海程」創刊と共に金子兜太に師事して以来約六十年、曲がりなりにも俳句を作り続けてきたことになる。その間、八冊の句集に恵まれ、その中から四百句を選んで「現代俳句文庫」に加えてもらうこととなった。わたしの分身でもある。 選句にあたっては直近の句集から抄出することも考えたが、あえて若書きを顧みず全句集より選びだすことにした。それもこれも一つの営為と思えたからである。 「あとがき」より抜粋して紹介した。 しぐれ虹兜太完市紀音夫亡し 『夢祝』以後の作品である。俳誌「海程」も終刊となり、もはや金子兜太、阿部完市、林田紀音夫すべて鬼籍の人となってしまった。「しぐれ虹」は作者の心の姿である。 塩野谷仁氏が代表をつとめる俳誌「遊牧」4月号。 スタッフのPさんから今し方、電話があった。 今日は俳人鈴木明氏宅へ打ち合わせのために伺っている。 目下、鈴木明氏の全句集を刊行すべくおすすめしているのだ。 ちょっとご体調がすぐれず、お家の方にうかがうことがしばしある。 わたしと違って、Pさんは車の運転は不得意ではないので、いつも車でうかがう。 さきほどの電話は、打ち合わせが終わって帰りの道なのだが、五反田あたりで道が混んで渋滞しているらしい。 「あと一時間以上かかりそうです」ということ。 「くれぐれも気をつけるように」とわたしは言って電話を切ったのだった。 帰りは遅くなるだろう。 まあ、明日がお休みなのでそれがすくいかもしれない。。
by fragie777
| 2021-04-09 18:24
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