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4月7日(水) 旧暦2月27日
仙川沿いを歩いて仕事場へ。 すでにうつくしい薔薇を見た。 第13回小野市詩歌文学賞が発表になった。 「俳句」部門は、大石悦子句集『百囀』(ふらんす堂刊) 「短歌」部門は、島田修三歌集『秋隣小曲集』(砂子屋書房刊) 大石悦子氏 このたびは第13回小野市詩歌文学賞を頂戴することになりまして、驚きとともにたいへん光栄に存じております。 私の師石田波郷は自らの結核を詠んで「療養俳句」に金字塔を建てたとされ、東京清瀬の国立療養所での命を賭した結核との闘いは、当時の多くの人にも勇気と希望を齎しました。 上田三四二氏は結核専門の医師として、同じ清瀬の療養所に勤務され、波郷の思い出も語られて、近い存在の方と拝してきました。 東京療養所のある清瀬を第2の故郷と懐かしんでいた波郷にとって、上田氏はまさにふるさと人のお一人と言ってよいかと思います。 このたびのありがたいご縁に、もうしばらく俳句を愉しんでまいりたく存じます。 第13回小野市詩歌文学賞をいただくことになった。まことにありがたく名誉なことと思っている。評価していただいた選考委員諸氏に深い感謝を申し上げたい。 小野市の先にある西脇市にはかつて祖母と伯母が住んでおり、子ども時分にいくたびか東京から夜行で姫路まで行き、当時の国鉄加古川線で西脇に向かうという長い旅をしたことを覚えている。その旅の最後の方でいつも小野市の田園地帯を通過していたことを、いま何かのえにしのように思っている。 私にとって上田三四二という歌人は、さまざまな病苦と闘いながら、ついに深い歌境にたどり着いた畏敬する存在である。歌は人であると私は思うから、上田三四二の深い歌境は彼の人間の深まりそのものであったろう。それを考えると自分の歌に忸怩たるものを覚える。せめて人として恥ずかしくない生を遂げて行きたいものだ。 【選者のことば】 句集『百囀』について。ゆたかな語彙で深い句世界を楽しませてくれる句集である。(宇多喜代子氏) 歌集『秋隣小曲集』について。社会への鋭利な批評眼を常に持ち、しかしそれらを正論として吐露することに含羞を持ち続けてきた作者である。その作者が突然妻を失うという事実に向きあい、それを大げさに悲しむのではなく、できるだけぶっきらぼうに詠おうとしながら、しかしそこに否応なくにじみ出る綻びが読むものを打つ。歌人島田修三の到達点を示すものでもあり、かつその素の優しさを見せてくれる歌集である。(永田和宏氏) ご受賞された大石悦子さま、島田修三さま、おめでとうございます。 心よりお祝いを申し上げます。 なお、受賞句集『百囀』については、「ふらんす堂通信169号」にて特集をする予定である。 久しぶりの仙川である。 今日はヒドリガモがたくさんいた。 つぎからつぎへとやってくる。 「ヒヨヒヨヒヨ」と鳴くヒドリガモの声があっちこっちでする。 仙川に結集して、いっせいに北をめざして帰っていくのかもしれない。 これまで見たことがないほどの数だった。。 帰ってしまうのか、、 川鵜。 このところよく見かける。 上の方にいる鯉に注目してほしいのだが、大きさがハンパないでしょう。 こんな巨大な鯉がたくさんいる仙川である。 わたしは今日、この川鵜に「アレクサンドル」という名前をつけたのだった。 いいと思いません? ダイサギ。 耳にしたしい鳥声がしたと思ったら、、、、 セミオくんだ。 わたしがカメラで撮っていたら、老紳士がちかづいてきて、 「翡翠でもいるんですか?」と聞く。 「ええ、あそこ」って指をさしておしえてあげた。 すると、しばらくして、 「どこにいるのかわかりませんね」と言いながら去っていった。 (ひょっとして、翡翠ってわたしにしか見えないのかしら。。あるいはすべてわたしがつくりだした幻影??)って一瞬思ったのだが、そんなことはない、こうしてちゃんとカメラに収まっているんだから、でもね、わたししか気づかないのかもしれない)と。 わたしには翡翠センサーがあるのかもよ。 しかも、わたしはセミオくんたちの巣もみつけた。 巣に入って、ふたたび出て来たセミオくん。 嘴が汚れている。 ひょっとして幼鳥に餌をやっていたのかしら。 そして、今日の雀。 そして、鴉。 仙川はいろいろな羽ばたきに満ちていた。 そんなこんなでだいぶ道草をしてしまったのだった。
by fragie777
| 2021-04-07 19:13
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