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4月5日(月) 玄鳥至(つばめきたる) 旧暦2月24日
昨日あるいた矢川緑地には黄色の花が沢山咲いていた。 「これって狐の牡丹?」 「ちがうわよ、それは……」 なんて言いながら友人たちと歩いた。 そんな会話をかわすことも一年ぶりである。 たのしいひとときだった。 草の王。 狐の牡丹。 蛇苺の花。 迎春花。 4月1日から10日間にわたって讀賣新聞の長谷川櫂さんによる「四季」は、野中亮介句集『つむぎうた』よりである。 1日から5日までの、鑑賞された俳句を紹介しておきたい。 ぜんまいの月の中まで伸びあがる 燃えながら皿にとらるる目刺かな しろたへの余呉しろがねの初諸子 おふくろへ糶落したる桜鯛 僧正の袖が好きなる子鹿かな 今日は渡辺誠一郎さん執筆による「佐藤鬼房の百句」を校了にした。 かつて出版社勤務の編集者時代に雑誌にときに佐藤鬼房さんに原稿をいただくことがあった。その頃はもっぱら電話をすることが多かったのであるが、鬼房さんで印象的だったのは、作品をお願いしたときのことだ、夜勤明けでこれから休むとおっしゃっていたこと、しかも東北なまりの訥弁でぼそぼそと律儀にお話をされる、その対応から一徹な労働者の矜持のようなものが伝わってきて、いまでもその声が忘れられない。その後、ふらんす堂をはじめてから何度かお会いする機会を得たが、そのころは一主宰者として大勢のお弟子さんに囲まれての温厚な鬼房氏である。しかし、この度の「佐藤鬼房の百句」を読むと、成熟に抗しつつ土俗的なエネルギーを常に持ち続けていた気骨ある俳人であることがわかる。佐藤鬼房とはいかなる俳人であったか、渡辺誠一郎さんによる今回の「佐藤鬼房の百句」によって、わたしたちはその作家像にすこしでも近づくことができるのではないだろうか。 新刊紹介をしたい。 四六判ペーパーバックスタイル帯あり 150頁 三句組 苳羊右子(ふき・ようこ)さんの第2句集である。苳羊右子さんは、昭和24年(1949)京都・舞鶴市生まれで現在も舞鶴市にお住まいである。橋本多佳子が創刊した俳誌「七曜」俳句会。平成10年(1998)同人。「七曜」終刊後、俳誌「若狭」所属、同人。「若狭」俳句会終刊後、令和元年(2019)俳句季刊誌「あくあ」創刊主宰、現在にいたる。本句集には、橋本美代子氏が帯文をよせている。 教室の窓に冬木の一部分 前半は学生時代の響きがあり、本来の純粋性とファンタジーが写生構成によりしかと昇華されている。独立後の厳しさ襲う後半でも融通無碍の持ち味が顔を覗かせていて頼もしい。 橋本美代子氏の帯の文章を紹介した。 本句集は、平成14年(2002)から平成30年(2019年)までの訳16年間の作品330句を収録したものである。内容は大きく二つの章にわかれて、Ⅰは「七曜」時代、Ⅱは「若狭」時代のもので、それぞれの章を四季別に編集したものである。 俳誌「七曜」はもとより橋本多佳子が創刊したものであり、橋本多佳子は山口誓子を師とする俳人である。苳羊右子さんの句集を読んでいると、誓子・多佳子につらなるものとしてということがずいぶん意識化されていることに気づく。 読初の英訳誓子百句抄 昼の虫誓子の書簡整然と 十薬の白ふつふつと多佳子の居 睦まじく初鴨のこゑ誓子亡し 容佳き野分雲据ゑ多佳子の居 寒風に晒す誓子の十七音 等々、誓子、多佳子を詠んだ句がしばしば登場する。師系への自負を思わせる一冊だ。 法螺貝の腹にうつすら春の塵 真夜中に来て雷の華麗なる黄落期高きに風のとほるみち 一枚の空張りつめてレノンの忌 侘助の白透けるまで雨の音 六月の風たましひのいろをして 時の日の風見えさうな百年家 マチスの絵金魚一匹逃げ出せり 蟷螂と遊び詩人となりし日よ 南天の下より雪を掻き始む 担当の文己さんの好きな句である。 一枚の空張りつめてレノンの忌 レノン忌を詠んだ一句である。レノンはジョン・レノンだ。かのビートルズのリーダー格だった。1980年12月8日、ファンの男性にピストルで撃たれて死んだというのは有名な話であるが、レノンにあるシンパシーを感じるのは、戦争を知らない昭和世代だと思う。というわたしもその一人。だからレノンが、、、、というエピソードにはなぜかぐっとくる。ビートルズが好きだったかどうか、聴いたか聴かなかったか、そういうことを超えて、ある世代には郷愁のようなものを呼び覚ますレノン忌だと思う。若い文己さんがどういう気持ちでこの句を選んだか、聞きそびれてしまっているが、あるいは、ビートルズの音楽は世代を超えて愛されているだろうから、文己さんにもレノンに対する思いがあるのかもしれない。はりつめた冬空を見上げる、音楽という手段を通して時代に抗していきたひとりの傑出した表現者、ジョン・レノンのことが思いだされたのだ。 六月の風たましひのいろをして この句は、作者も自選で選んでいる一句だ。「たましひのいろ」っていったいどんな色なんだろう。そもそも「たましひ」に色なんかあるのだろうか、では「たましひ」とは。。。「動物の肉体に宿って心のはたらきをつかさどると考えられるもの。古来多く肉体を離れて存在するとした。霊魂。精霊。たま」と広辞苑にはある。人間が「存在するとした」ものだ。そしてわたしは、あるっておもっている。苳羊右子さんも当然信じているのだ。だって色もわかるんだから。その色は6月にふく風の色であるという。少し前のこのブログでも書いたが、ヘブライ語やギリシャ語で、風と霊はおなじ言葉。しかし、6月に吹く風の色って、どんな色って、5月に吹く風は「みどり色」、それはわかる。6月の風は、すいぶんをたっぷりふくんだ水のような透明感があるもの。そこから推測して、透明感のあるブルーか。魂の色は。どうだろう。どう思います?ってこんな風に考えるのは野暮かな。。 モーツァルトの瞳と思ふ竜の玉 これはわたしの好きな一句で、作者も自選にあげている句だ。モーツァルト好きのはしくれであるyamaokaはとても気にいった一句だ。「竜の玉」の深い青色は、誰でもが魅了される色だ。その色をモーツァルトの瞳の色なんて思うことに恐れ入った次第だ。これから竜の玉をみるたびに、わたしはモーツァルトの瞳に出会うことになる。国立の里山の雑木林にモーツァルトが潜んでいるって思うのは悪くない。 校正スタッフの幸香さんのすきな句は、 一枚の空張りつめてレノンの忌 あら、幸香さんも好きなんだ。「冬の空らしい緊張感があり、空に響く銃声も連想させます。」と。 おなじく校正スタッフのみおさんの好きな句は、 折紙のティラノサウルス黄砂来る ほかに、 二月堂三月堂へと囀れり 奈良東大寺で詠んだものだ。二月堂に隣接して三月堂はある。わたしはあのあたりの空間は大好きでなんべんも行った。奈良の古寺、古仏たちへの鳥たちの春の挨拶である。長閑な空がひろがる。 学生の頃より「七曜」俳句会一辺倒に学んでまいりましたが、平成二七年一月、八〇〇号をもって終刊となりました。三代目主宰橋本美代子先生の豊かな発想に導かれ、俳句に夢中になっておりました。 句集の名「百代」は、簡潔でリズミカルな詩のような紀行文、松尾芭蕉『奥の細道』の冒頭、〈月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也……〉より頂きました。「百代」とは非常に長い年代という意味で、永遠に思いと希望を馳せ、世界に誇れる最も短い詩、俳句を永遠に繫げてゆきたい一心を込めて、大変有難くもったいない言葉を名付けました。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 装丁は君嶋真理子さん。 表紙については、表紙の作品は、舞鶴在住で私の親友の作家、絹川徳成さんの造形です。十年前の東日本大震災へのチャリティ作品展に出品されていたもので、テーマは「風が聞こえる」です。と、「あとがき」にある。 扉。 絹川徳成さんの造形によって、句集『百代』は、手垢のつかない表情をもった。 今日、苳羊右子さんよりわたしと文己さんあてにお手紙をいただいた。 そこに「舞鶴市民新聞」が、「大きすぎて恥ずかしいですが、同封させていただきます。」というお手紙とともに同封されていた。 句集を手にした苳羊右子さんのお写真が一面に大きくあり、この句集のことが紹介されている。 そこには、 福来在住の岡田陽子さん(72)が、自身2冊目となる句集「百代(はくたい)」を俳句の名門出版社であるふらんす堂から出版した。句集は、俳句との出会いを導いた母の誕生日である3月27日に発行された。 とある。タイトルは「俳句の道に半世紀」。 この記事を読んだわたしは、スタッフに「まあ、俳句の名門出版社ふらんす堂ですってよ」って叫んでしまった。うれしいけどちょっとてれるなあ。。。 そして、 岡田さんは俳句の魅力を「俳句と共に、毎日を心豊かに過ごすことが出来る」と話す。代わり映えしないと感じる日々も、五感を働かせて日常的なことを少し違った角度で見ると、様々な気づきがあるという。コロナの影響で人に会わない時間が多くなった日々でも「退屈に感じることがなかった」という岡田さん。「いつ始めても垣根は低いので、興味を持った方は気軽に始めてみてほしい」と呼びかけている。 記事の一部を紹介した。 主宰誌「あくあ」 俳人の大石悦子氏は舞鶴のご出身、苳羊右子さんは、「殊に親しくさせていただいております」とお手紙にあった。
by fragie777
| 2021-04-05 20:09
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