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3月30日(火) 雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす) 旧暦2月18日
満開の桜。 やや胸苦しい感じ。 そんな桜の花の下にいた白鷺。 コサギ。 ダイサギ。 先日、このブログで紹介をした句集『音色』の著者である涌羅由美さんからこころの籠もったメールをいただいた。 その最後に、「感謝をこめて」とあって一句記されていた。 あたたかな音色奏でる句集かな 由美 わたしは今朝のミーティングでメールと一緒にこの一句を披露した。 挨拶の一句である。 俳句って素晴らしいとおもうのは、こういう時である。 押しつけがましくなく、季語に託してこころを述べる。 粋である。 この一句に、スタッフ一同、感激したのだった。 わたしは小澤實さんの『田中裕明全句集』の栞に寄せた文章をふっと思いだした。「誰かへの便り」と題する一文である。 (略)このたび、全句集を通覧した。ここに読むことのできる俳句は発表された、公的な作品ではあるが、私的な、ひそやかな、挨拶性を秘めているものが、少なくない。誰かへ便りになっているものが多いのではないか。 君が居にねこじやらしまた似つかはし 『櫻姫譚』 この句はぼくへ向けて発信されている。世田谷、砧の古い木造二階建て学生下宿に住んでいたころ、彼を部屋に呼んだことがある。植木鉢に一株のねこじゃらしを植え、錆びた鉄製の狭いベランダに置いて育てていた。永田耕衣翁の影響である。その鉢を愛でてくれているわけだ。ぼくの狭く乱雑な部屋が「君が居」になるとは、驚いた。何と品格のあることばであることか。「ねこじやらしまた」の「また」がうれしい。この細やかな呼吸が裕明のものだ。「似つかはし」きものは「ねこじやらし」だけではない、としてくれているのだ。(略)現代の俳句は、多くが人に見せ誇るための「作品」になっている。その中において、田中裕明の句は異彩を放ち続ける。ことばが静謐でありながら、命が籠もっている。挨拶の匂いが濃いのだ。(略) この一文は、とても好きな箇所である。小澤さんが書かれているとおりだとわたしも思っている。田中裕明という人は、栄誉栄達で躍起になったり、新しい俳句を書かなければと肩をいからせたり、そういうところからかなり遠くにいて、目の前の人と人との関わりをとても大事にした人、という思いがわたしにはある。わたしが田中裕明という俳人に魅了されたのは、そういう部分がかなり大きい。俳句を大切にしながら、その大切なものをもって大事な人に挨拶をする。ステキなことだ。 涌羅由美さんから一句の挨拶句をいただいたことで、田中裕明さんのこと、そして小澤實さんの栞の文章を思わず思い出してしまったのだった。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯有り 四首組 歌人・佐藤美代子(さとう・みよこ)さんの遺歌集である。佐藤美代子さんは、昭和22年(1947)に東京で生まれ、令和2年(2020)3月に亡くなっている。一周忌に間に合わすべく編まれた歌集である。編者はご夫君の佐藤照男氏。照男氏も歌人である。 佐藤美代子は、二〇二〇年三月一四日に七二歳で他界しました。彼女が残した短歌をまとめて歌集をつくりました。 歌集には、一九八八年の投稿短歌三首と二〇一三年に「未来」に入会してから二〇一九年一一月までの短歌を収めました。 「おわりに」と題された佐藤照男氏の巻末の文章を紹介した。 歌集は、大きく三つの章にわけられ、Ⅰは1989年の短歌3首、Ⅱは2013から2016年まで、Ⅲは2017年から2019年まで。「未来」に入会してからのものが中心となる。約20年間の作品である。基本的には編年体となっていて月ごとの小タイトルにそって並べられている。 1989年の3首を紹介したい。 読みかけて置き去りの本、ふりむけば若葉まぶしく巡り来る夏 手をつなぐ不意の力をいぶかしむ幼な子と歩く木洩れ陽の道 遠い日のわれにつながる繊(ほそ)き糸見知らぬ街の書店の香り この3首の短歌をつくったあとはおよそ10数年の空白があっての短歌再開となるわけであるが、繊細なこころで季節に感応しつつ、生きものへ向ける優しいまなざしをもち、日常のどんな小さなことでも掬い上げて短歌にする美代子さんの姿勢は、亡くなるまで変わっていない。 担当の文己さんは、言う。 「心に響く歌が多くて、好きな歌集です」と。「優しさと、どこか寂しさを纏った歌に読み入ってしまいました。」とも。 打ち水の小さき窪みに水を吞む青条揚羽の空色の翅 マンションの売出し看板支えつつ若者眠る駅の日溜まり目覚むればそこがふるさと雪の夜に幼児はふかく抱かれねばならぬ 遠い日に父が聞かせし物語寂しさのみの記憶をたぐる 夏と秋のあわいやさしき雨ゆきて幼児とうすきふとんに睡る 地に落ちてなお横顔の美(は)しきこと告げたき友あり侘助の花 潮騒は無音の唸り絶え間なく窓震わせて夜明けを告げる 病室の窓より見下ろす街の裏見知らぬ街めくことを伝えぬ 午後の厨に鍋磨きおり三十年われと過しし物らを思う 木の蔭のベンチに終日座る人古き遊具の一部となりて 銀杏降る道は駅まで続く道やがて音なく冬に入る町 枕辺に配られてゆく病衣よりほのかに顕てりアイロンの香は 柚子の樹は夏の終わりの深緑隠し絵のごとき小さき実り 文己さんが好きな歌としてあげた短歌を読めばわかるように、本当に日常のささいなことに目をとめてそれを両手ですくいあげるようにして歌にする。文己さんはあげてはいないが、胡瓜やキャベツや葱など台所に転がっている野菜なども美代子さんの手にかかれば繊細な光をはなつ一篇の詩となる。〈ふかぶかとかぐろき土に守(も)られ来し俎上の葱の比類なき白〉など。文己さんの好きな歌にわたしの好きな歌が重なる。 地に落ちてなお横顔の美(は)しきこと告げたき友あり侘助の花 侘助を詠んだ一首である。地上に散った侘助の花のなお生気さるうつくしさを詠んでいる。侘助は、椿のように大きく花ひらかず開き方もつつましいので、地におちたとき、蕊みせずに横たわるように落ちる、それを横顔としたところにハッとする思いがある。そしてそのことを告げたい友がいると。それは誰でもよいわけではなくて、美代子さんに選ばれた友人である。わたしはこの歌のテーマというとオーバーかもしれないが、言いたいことは、「告げたき友あり」であると思っている。それは格別な友人なのである。侘助が横顔をみせて散っている、までであれば俳句の発見にとどまるが、「告げたき友あり」で俄然物語性をおびる。こういうことを共有しうる友がある、ということ、その関係性までも美しく見えてくる、そんな一首だと思った。 枕辺に配られてゆく病衣よりほのかに顕てりアイロンの香は 後半に収録されている一首であるが、その前後からすると「入院」をされたときの歌だと思う。その前におかれた歌が、〈点滴と四本の管に繋がれて夜明けを待てり獣のように〉である。この短歌も引かれたが、文己さんがあげた「枕辺」にわたしも〇をつけた。「アイロンの香」がいい。清潔に洗われた病衣にはきっちりとアイロンが当てられている、そんな病衣であれば、くたくたの病衣であるよりはるかにうれしい。しかし、アイロンの香っていったいどんな香りだろうか。アイロンそのものには何の匂いもしないし、びしっとはなるが、匂いをつけるものなど何もない、だけど、アイロンをあてられた病衣は仄かにまだあたたかく、そこから石鹸の香りが匂いたつ。しかし、石鹸の香ではなくアイロンの香とうけとめたところに病者に向き合う人間の行為の丁寧なあたたかさが見えてくる。「アイロンの香」でどんなに心が安らかになったことだろうか。 眠られぬ夜更け落果の音を聞く詩は待つものだとリルケの言葉 これはわたしの好きな一首である。佐藤美代子さんは、「マルテの手記」を愛読されていたようだ。「詩は待つものだ」というリルケの言葉はすてきだ。しんしんと更けていく夜、眠られず外は風が吹き荒れている。果物が風にたたき落とされた音がした。不安定な気持ちとなり心が荒ぶる、そんな時にかつて読んだリルケの言葉がふっと浮かんできたのか。「詩は待つもの」というこの言葉に、作者の短歌への向きあい方が思わされる。 オリーブ油垂らして固きパンを食む春爛漫の日使徒のごとくに 歌集の前半にある一首である。好きな短歌だ。「使徒のごとくに」という措辞で、映画「薔薇の名前」をふっと思い起こした。清潔な修道院の食事の一場面のように。あたたかな日差しにオリーブの香りが心地良く鼻をつく。 校正スタッフのみおさんが好きな一首は、 手を伸べて届くあたりに窓ありて小さきあかりを点しておりぬ おなじく校正スタッフの幸香さん 青ふかき空にふたつの雲は溶けもとの形はもうわからない 春のぼんやりとした寂しさを感じ、特に好きな歌です。 本歌集の装丁は、君嶋真理子さん。 明るい雰囲気のものと、ややしずんだ雰囲気のもの、の色校正を用意したところ、佐藤照男さんは、明るいものを選ばれたのだった。 装画は実は吾亦紅。 しかし、実を紅くしないで、黄色にと君嶋さんに頼んだである。 赤の実だと少し月並み、そして強くなる。 この歌集のもっている淡い優しい味わいは、赤でないようにおもえた。 やわらなか光にみちたもの。。 それがいいのではないかと、文己さんと相談した。 すこしわかりにくいが、光沢と地模様のある用紙。 カバーをとった表紙。 見返しは、カバーの黄色の実と同じに。 扉。 栞紐は緑と白のツートン。 孤独なこころにより添いたい 帯にある文言である。 まさに、歌集『木漏れ陽の道』は、孤独なこころにそっと寄り添ってくれる一冊である。 いま一度任さるる日あれ自らを愛せぬ子らを抱き留めんため さきほど、帰り支度をしている文己さんと、この歌集についてこんな会話をしたのだった。 「この歌集を読み終えると、著者の佐藤美代子さんにお会いしたくなるわね。」 「そうですね、もうお会いできないんですよね。」 「この歌集を通して彼女が見たもの、考えたことを知り、共感や感動があれば、出版の労が報われます。」 とは、ご夫君の佐藤照男氏のことばである。 歌集が出来上がった後日、佐藤照男氏より文己さんあてに、ご連絡をいただいた。 以下に紹介したい。佐藤氏もまた歌人でおられる。 歌集を作る途中、こんな感慨を抱きました。 吾(あ)の知らぬ妻のこころを覗くごと短歌読み継ぐ雨の一日 歌写す作業は一歩一歩づつあなたの死へと近づいてゆく これからの歌はもうない作れない亡き妻の歌写し終へれば 佐藤美代子はコロナ禍のなかで亡くなり、葬儀も小さく行いました。 後日、死を知らせると教え子の方々から手紙と花や線香が送られてきました。 教員としての姿勢を学ぶところが多い人でした。 捨てられぬわれの一生(ひとよ)のダンボール五箱(いつはこ)わずか右に沈みて 最後におかれた一首である。 今日の桜
by fragie777
| 2021-03-30 19:56
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