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3月23日(火) 彼岸明け 旧暦2月11日
![]() ![]() 黄色の花が多い春の花のなかで、ハッとするような白で人目をひくのがこの雪柳だ。 一筋や走り咲きたる小米花 鈴木花蓑 そうだ、「小米花(こごめばな)」とも言うんだった。 大事なお知らせがあります。 明日24日のラジオ(JーWAVE81.3 FM)の「GOOD NEIGHBORS」に東直子さんと穂村弘さんがゲストで登場するそうです。 『短歌遠足帖』のことをお話するそうです。13:00から16:40まで。 本に載りきらなかった裏話なども聞けるかもしれません。 担当のPさんによると、ゲラでずいぶん削除した部分もあるそうです。 楽しみです。 新刊紹介をしたい。 A5判ソフトカバー装グラシン卷 80頁 詩人・片桐英彦さんの18冊目の詩集である。18冊のうち11冊はふらんす堂刊行の詩集である。 片桐英彦さんは、1942年佐賀県唐津市うまれ、今年79歳になられる。臨床医でおられ、長い医業のかたわらずっと詩を書いて来られた方である。詩誌「GAGA」同人。上梓された詩集のうち、詩集『物のかたち』で第36回福岡市文学賞を、詩集『ただ今診察中』で第46回福岡県詩人賞を受賞されている。 誰にでもとどくやさしい言葉で詩はつづられていく。 ねじ花 死後の世界など信じることは出来ず かといって 納得できないことばかりの世間も信じられず この世界は錯覚か あるいは大きな幻かと考えて 庭を眺めると リンゴの木の下で 一群れのねじ花がひっそりと風に揺れ しがみついたシジミチョウがひとつ 一緒に揺れている あの しがみついているのは 俺で 揺れているのは 世間かもしれない 一輪のねじ花を見上げれば 螺旋は天に届き 見下ろせば 螺旋は大地を穿つ それが俺の願いだったが 今となっては それも夢 この庭の一隅だけが 現実と 夢が 相互に作用しあって 出来た 唯一の現実なのだ この一篇の詩は、編集担当の文己さんと校正の幸香さんが好きな詩である。 「ねじ花」「しずく」が好きでした。 後半の南仏の詩篇も魅力的で、フェリーの白、ミモザの黄色やレモンの金色、輝く地中海の色鮮やかな描写が印象的でした。 と文己さん。 たしかに明るい南仏の情景の詩編が後半に収められているが、「ニース」と題する詩には、後半の詩行を引用すると「僕は/一本の冷たく光るナイフを買った//故郷を遠く離れ/もう切り捨てるものも無い/と/思ったが//かざしたナイフには/未練がましい僕の目が/ギラギラと映っていたのだ」と、なにかに執着するとがった心の陰影が伝わってくる。そのわだかまる「なにか」がこの詩集のテーマなのかもしれない、とわたしは思ったのだった。 空腹 ひっそりと 書き溜めた詩を 詩集にまとめてみたが 出版する気も起きず 一日がまとまりもなく過ぎ すべてを疑い すべてを許し 何を待っているのか 空腹だけは時間通りにやって来る 生き続けるために 最後に残るもの これが 詩だといいながら これは校正者のみおさんが好きな詩である。 臨床医として働き、詩を書き、幾度もの空腹を満たし、生きることはこのようなことか、と諾いつつ自身の詩の言葉がどこまで永遠に触れているか、言葉の前にたたずむ。 本詩集の装丁は、和兎さん。 グラシン(薄紙)で巻かれているので、ぼけてしまうのが残念である。 タイトルは金箔押し。用紙は岩はだという表情のあるものを使用。 ちなみにグラシンをとってみると、 たいへんはっきりする。 このようにパソコン上でみると、グラシン卷のものはぼんやりとしてしまう。はずすと鮮明である。 一見、外した方がより美しくみえるのだ。 だが、手にとったときこのグラシン卷のものの風合いはわかる。これはもう物としての本を体験するということにつきる。 グラシンは手でまかれる。そこにわたしは本をつくるための人間の手のしぐさをかぎりなく思う。薄紙とカバー紙のあいだにある空気感、それは一冊の本をとても優しい表情にさせる。 片桐さんの詩の作品とよく響き合う。 表紙。 見返しはあざやかに。 扉。 エレガントでかつ瀟洒に。 もう一篇、詩を紹介したい。 引き出しの奥 神棚の写真 足の間に軍刀を握り戦闘帽をかぶった その一枚だけが僕の知っている父だ 良く晴れた秋の午後 古い物入の引き出しをあけ いらなくなった昔の書類を整理していると 母親あての手紙がでてきた 父の部下だった人から 戦死の状況をしたためた 一通の手紙 前線の病院に落ちた爆弾で即死 頭には鉄の破片が刺さっていたという 消えかかった富山の消印のある封筒 その後は戦況が悪化し ジャングルの中を逃げ回ったため 遺骨も拾えなかったという詫びの言葉 薄く折りたたまれた半紙によみがえる 生々しい想い 何も僕に話さないまま あちらに行ってしまった母 手紙に書かれた事実を受け止めることなど 到底できなかっただろう それが戦争の現実だということは 母を素通りして 引き出しの奥にしまわれたまま 僕に届くまでに 七十年かかったのだ 長く生きてきた時間と今という生の断面。 どれだけの時間を生きようと、生の断面は生々しい。 傷つき、そこから血を流す。
by fragie777
| 2021-03-23 18:37
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