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3月18日(水) 旧暦2月6日
先日行った深大寺そばの広場。 大きな辛夷が3本ある。 どれも花盛りだった。 もちろんわたしは限りなくそばに行く。 こちらの辛夷は、紅色をふくまず白一色。 つめたい花びらに触れ、蕊にふれ、しばらく耳をすます。 遠くで子どもたちがボールを蹴る音がする。 この花びらの暴れよう。。。。 いいな。 けぶるように透きとおるように咲いている辛夷の木。 今日は午後よりゲラを読む。 もっか進めている「寒雷」の俳人・上田睦子さんの句文集「時がうねる」のゲラである。 来週中には下版したいものである。 上田睦子さんは、加藤楸邨に師事をされた俳人であり、ボードレールの研究者でもある。 詳細は、この句文集の出来上がったときに紹介したいとおもうが、第1句集、第2句集と既刊句集を担当したご縁がある。 詩歌についての思索的なエッセイであり、読み応えの充分にあるものなので今日は半分までいかなかった。 明日はここから始める予定。 今日読んだ箇所では、楸邨との最初の出会いの場面が面白かった。 というか、楸邨がなぜそんなことを言ったのか。 俳句を「子供が三人できたら始めなさい」と言ったというのだ。 その箇所だけここに紹介したい。タイトルは「楸邨先生(私の)」。 もうあれから半世紀以上も経つだろうか、芭蕉を研究している叔父、横沢三郎が、未だ学生の私を楸邨さんのところに連れていくという。敬愛している叔父がこのとき何を考えていたか分からぬまま、また楸邨も当時の私には名のみのとても遠い存在だったが、とりあえず初めての句を三句作って同道した。「夏祭去年もたえだえ聞きしかな」「八月や大路笹笛吹きゆく子」とあと一句は忘れたが、先生は、夏祭の句は駄目、次ぎのはこれはいい。私の妻について俳句を始めますか、とお聞きになる。躊躇っていると、子供が三人できたら始めなさい、と謎めいたことをおっしゃった。その後二十五年ほどして、青山学院女子短期大学で講ずることとなり、仏語主任にお目にかかったのが平井照敏先生であった。名刺に寒雷編集長とあるのを見て、かつての楸邨邸訪問のことを話すと、平井先生はそれを楸邨先生に伝えられた。すると、先生は即座に、「あゝ、あの空色のワンピースの、ポニーテールのお嬢さんね」とおっしゃったというのである。思い起こすとそのとおりで、先生の記憶力に非常に驚き、ありがたく、しかも私は三人の子がいた。直ちに作句をはじめた。 なかなか面白いエピソードである。 春はどうも昼過ぎになると眠くなってしまう。 セブンイレブンで買ったドリンクを飲みながら校正をしたのだった。
by fragie777
| 2021-03-18 18:46
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