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3月17日(水) 彼岸入り 旧暦2月5日
朝、車に乗ろうとしたら雀の鳴き声がはげしい。 (あれっ、どこにいるんだろう?) 鳴き声がするあたりを見るのだが姿がみえない。 多分電信柱のあたりだ。 いたいた。 よく肥えたふかふかの雀。 と、 ふたたび激しい鳴き声。 いつのまにか、 二羽となっていた。 スタッフのPさんの今朝の出勤途上でのこと。 仕事場に向かってにぎやかな仙川商店街をとおりぬけようとしたところ、 「あのう」ってひとりのゴージャズなマダムに声をかけられた。 Pさんがふりむくと、Pさんのコートを指さしながら、 「これって裏表反対では?」 実はPさんはその時、中国の政権と日本の今後の行く末のことで頭を悩ましていたらしい。 はっとして我に返って自身のコートをみてみると、 裏地が表になっていてしっかりタグが背中で主張していることがわかった。 「は、反対です!」って叫んですぐにコートを脱いで着直す。 「でもね、あえておしゃれでそうなさっているのかと思って」とそのマダム。 「いえいえ、そんなことありません。反対でした! 有り難うございます」と丁寧に御礼を言って、Pさん、その場を急ぎ足で立ち去ったということ。 ふらんす堂はyamaokaがたいへん粗忽者であるのだが、そんなことまでスタッフにならって欲しくない。 Pさん曰く 「昨日の夜、ばさっと脱ぎ捨てその場に放ってあったコートをそのまんま着てきた」ということ。 ええっ、なによ、それ。。。 わたしだってそんなことはしない。 脱いだコートはちゃんとハンガーにかけてクローゼットにしまう。 ホント、 呆れてしまうわ。。。 「俳壇」四月号 「俳壇」四月号の「本の庭」で内村恭子さんが、大久保桂著『鷹女ありて その「冒険的なる」頃』を取り上げておられる。 抜粋して紹介したい。 (略)鷹女の墓や生家が筆者の暮らす近くだったことから偶然、成田山仏教図書館で「鶏頭陣」誌を見つけ、鷹女の初期俳句を丹念に拾い、その新たな魅力を提示する労作だ。 『三橋鷹女全集』未収録一四八句を収載、と帯にあるが、学術的な評伝とは少し違う。自らの生活エッセイを交え、だんだん筆が乗ってゆく筆者と共に読者は鷹女の句と、その同時代評を読み進めるという体裁。(略) 鷹女の「鶏頭陣」在籍は昭和八年から十三年の六年間。同人評を引用することで、鷹女の当時の評価と時代の空気感を先入観なしに読者が読みとれる。 また、鷹女の家庭環境についても丹念に紐解き、この時代に鷹女が自由に作句できた理由に、歌人の血を引き、「女性が学問をしたり、文芸に励むことに偏見はなかった」という父の存在があったことを読者は知ることになる。(略) 深大寺の椿。 深大寺はいろんなところに椿が咲いている。 石田波郷が眠る深大寺である。 椿があるのは嬉しい。
by fragie777
| 2021-03-17 18:48
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