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3月12日(金) 二月堂お水取り 旧暦1月29日
ご近所の畑に咲いている土佐水木。 日向水木よりも大ぶりで丈がある。 わたしの家は日向水木があるのだが、今年はあまり咲かないようす。 万作、山茱萸、など早春に咲く黄色の花のなかでいちばん優しい色をしている。 わたしはどの花も好きである。 土佐みづき山茱萸も咲きて黄をきそふ 水原秋櫻子 けぶるように咲いていた。。 どうでもいいことなのだけど、昨日わたしは厚手のアニエスベーのティーシャツを着て仕事をしていたのだが、家にかえって着替えるときに後ろ前反対に着ていたことに気づいた。 どうも鏡にうつったときに首のあたりが窮屈な感じがしてアレっておもたんだけど。 このティーシャツ、前には黒々と「agnes b」とイタリックの筆記体で書かれたプリントがある。丈の短いウールのベストを着ていたのだがどうにか隠れて発覚は免れたらしい。一緒に仕事をしていた文己さん、気づかなかった様子。 アブナイ、アブナイ。 今日は葉書を二通書いた。 書き出しは「桜の開花も数日には……」あれっこのあとなんと書いたっけ。思い出せない、つまりはあと数日で桜も開花もはじまりますと言った内容なのだけどその書いた言い回しが思いだせない。これもR化のはじまりか、単なる覚えてないだけか。いやだな。 それはともかくとして、わたしはこの桜の季節になると世の中がそれをめぐってかしましくなるのがあまり好きではない。桜はきわめて静かに花ひらき極めて静かに散っていく。だからもう少し静かに桜の季節を過ごしたいとおもうのだけれど、なんだか浮かれるように騒がしい。花見でうかれるのも悪くないけど、ストレス発散でね、でも、さくら、さくら、ってちょっとうるさいなあって思うのも、これもまたR化か。ヤバいな。。。 俳誌「日矢」が三月号をもって終刊になることを知った。 昭和32年(1957)4月、清水基吉により鎌倉で創刊。師系石田波郷。季節や人生の哀歓を平明に率直詠うことをめざす。 と、『俳句年鑑」の結社紹介に記してある。人間でいえば64歳か。現主宰は、山崎房子氏。 清水基吉氏の最後の句集はふらんす堂から刊行。 タイトルの如く、死を眼前にして編まれたもので、出来上がったときは手にとっていただくことが出来なかったものだ。 多分、フランス装でというのが清水氏のご希望だったと思う。 「日矢」に連載の山崎房子主宰による「『清水基吉全句集』逍遥」は、終刊号は「――句集名のことなど」と題して、第5句集から第9句集、全句集、そしてこの最後の句集『惜別』について、その句集名にまつわることが書かれている。 平成十九年の暮ごろだったと思う。突然、先生は「句集をだしたい」といわれた。「全句集」以後の「日矢」に載っている句を書き出してほしいといわれた。 句集名は「惜別」と聞いて、胸をつかれた。日が経ってから、電話で「句集名『ざんねん』でもいいかな」と冗談めかしておっしゃった。 先生は第十句集『惜別』の刊行を目前にして、平成二十三年三月三十日、亡くなられた。 足はよろよろ魚氷に上る頃とかや 清水基吉 わたしは大船まで行って、ご葬儀に参列したのだった。 そこで「日矢」の方々にもはじめておめにかかったのだった。 俳誌「日矢」のこの度の終刊は、たいへん残念である。 終刊号「日矢」より山崎房子主宰の「風光る」より。 別れの盃交はす日給へ梅の花 山崎房子 風光る終刊号を膝の上 〃 山崎房子主宰、そして「日矢」の皆さま、 これまでのご縁をありがとうございました。 ![]() ![]() ![]() 皆さまそれぞれのご健吟をお祈りもうしあげております。
by fragie777
| 2021-03-12 18:55
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