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3月8日(月) 旧暦1月25日
深大寺に咲いていた椿。 こんな大木のそばに。。。 雨降りの寒い一日となった。 もう着ないかもしれないなあって思っていたウールのオーバーを引っ張り出して着た。 いくらなんでもダウンコートは却下したのであるが、、、、 でもダウンを着たいような春寒の一日である。 ブログを書き始めたいま、そばにあるヒーターにスイッチをいれた。 このヒーターはスタッフのPさんと共同で使っている。朝はPさんが使い、Pさんが帰るとわたしが使う。 リモート体制なので都合がいい。 新刊の紹介をしたい。 A5判ハードカバー装帯有り、一頁20句組 。既刊10句集に補遺を加えて4737句を収録。句集解題、略年譜、初句索引、季語索引。 編者は、森田峠のご子息で「かつらぎ」主宰の森田純一郎氏。 栞には、深見けん二、宇多喜代子、片山由美子、三村純也、岸本尚毅の5名の俳人各氏が寄せている。 冬空やキリンは青き草くはへ 「峠」という号は高濱虚子より賜ったものである。師・阿波野青畝より「かつらぎ」を継承主宰、青畝より学んだ写生の作句法を愚直なまでに信頼しそれに徹し、ただひたすら俳句の新と深とに到らんとした森田峠の全句集である。 (帯文より) 栞に寄せられた方々の文章を抜粋して紹介したい。 かんじきを最も戸口近く吊る 平5 この句の自解に「この『最も近く』という把握に写生の目と心との働きがある。」とある。出掛ける時にすぐ履けるように戸口に一番近く吊してあるのであるから、そのままと云えるが、それをこう表現するのには、並々ならぬ技が必要で、又実景があってはじめて出来るのだ。(深見けん二「写生の範」より) 森田峠の遺句集『朴の木山荘』は第九句集となる。その生涯に句集が九冊もあるのに、私が九冊中で格別に親しく思うのは最初の句集『避暑散歩』である。刊行されて間なしの句会の折に、たまたま桂信子が所持していたものを拝借して読んだこと、その集名を面白いと思ったこと、なによりも、阿波野青畝の序文にも引用されていた、 箱河豚の鰭は東西南北に の奇抜な描写が、その頃の私に面白く思われたことなどが重なってのことである。(宇多喜代子「ゆるぎのない客観写生」より) 教会と枯木ペン画のごときかな 『逆瀬川』 この句は、見るというだけでは決して生れない。写生であるかもしれないが、それを見る目が凡庸であったなら凡庸な句にしかならないことを示している。写生は誰にでも俳句を生み出せる方法ということになっているが、優れた写生俳句を生み出すにはひらめきが必要である。それは奇抜な思い付きとは違う。著者のあとがきにあるような地道な歩みの結果得られたものと言ってよいだろう。(片山由美子「写生に飽かず」より) 方位盤正しく指せり山開 『逆瀬川』 方位盤が正しく指しているのも、無人灯台が退かないのも当たり前なのだが、それを発見して俳句という定型に仕上げてみると、そこに詩が感じられる。ありのままを写生することによって、対象の本質までも捉えている点を見逃すべきではない。(三村純也「縁」より) 海胆居りて海胆の折れ針ちらばれる 峠氏の師の青畝は天才であった。そのような師を持った幸せと、その俳壇的継承者たることを運命づけられた重責が俳人峠を作った。峠氏の辿った道は当然、凡才の道であった。それは写生と諧謔の融合である。一途な写生が思わぬ笑いを誘う。そのような俳句は、青畝はもちろん清崎敏郎や波多野爽波などにも見られる。峠氏はその道を、最も愚直に進んだ。天才青畝の前ではどんな才能も無に等しい。峠氏は才を消すことによって青畝から自立したのではなかろうか。青畝の句の声調や言葉の冴えは天才のもの。峠氏の場合、その写生に徹した無表情な句になぜか諧謔が宿る。憮然たる口元に微苦笑が浮かんでいるような、いないような。(岸本尚毅「写生と諧謔」より) 栞を執筆したどなたも森田峠の「写生」について触れている。それはある意味愚直にものを見ることに徹した写生である。 森田峠が亡くなって、今年で8年となる。わたしは全句集を編集しその作品に触れつつ、作品が古くなっていないことに実は驚いたのである。平明でわかりやすいということ、それは多くの読者に開かれているものとなる。 好きな句はたくさんあった。ここで紹介しきれないくらい。すこしだけ紹介したい。 教師をしておられたので、時としてそのことも詠んでいる。そういう作品のなかからいくつか。 教へ子に逢へば春著の匂ふなり 生徒らに話さん今日は子規忌なり 教へ子はよきかなビール林立す よく叱る生徒の呉れし年賀状 ハンカチのチョークに汚れ今日終る 生徒とのよき交流がみえて、いいセンセイだったんだなあって思う。特に好きな句は、「生徒らに話さん今日は子規忌なり」の句。子規への思い、俳句への思いが籠められた一句であり、この日の授業はとくべつに情熱をこめたものだっただろう。この一句、「子規忌」がいいと思う。「虚子忌」でもなく「青畝忌」でもなく、「子規忌」ということが胸にひびく。どうしてだろう。文芸の開拓者として新しい時代を切り拓いた子規であるということも遙かなる思いを呼び起こす。俳句をつくらなくてもつくっても知っておくべき一人の詩人である。その生き様も清冽だった。そんな子規への思いをいだきながらの授業だったのか。 負け鶏を蛇口に伏せて洗ひけり これは句集『逆瀬川』収録の一句。なんともすさまじい一句である。とくに「蛇口に伏せて」という描写。闘鶏に負けて無残な様態となった鶏をこう蛇口に押し伏せて洗うというのだ。苦しそうな半眼の鶏の目、鶏冠もちぎれ、息もたえだえか、その鶏を洗う人間の容赦ない気合いがこの「蛇口に伏せて」から伝わってくる。水道の水もつめたくほとばしる。血だらけとなっても必死で抗う負け鶏、それを押さえ込む人間、たたかいは未だ続いているかのようだ。 闘牛士飛燕を仰ぐことのなし 「マドリード三句」と前書きのあるうちの一句である。句集『雪紋』所収。スペイン・マドリードで闘牛をみたときの句である。「闘牛もサマータイムとなりにけり」「片かげり闘牛いまだ始まらず」につぐもの。闘牛がはじまって興奮状態のその闘牛場の空を燕が飛んでいるのがみえた。森田峠は、俳人であるので燕にきづいた。多分闘牛場の多くの人間は、燕が空をとんでいてもそれに着目することはないだろう。それより人間と牛の闘いに夢中だ。森田峠は燕の飛ぶ空をみている。大歓声が聞こえてくるが、心は燕の空にある。なぜなら燕は峠にとって特別な存在だ。俳人達がこぞって詠んできた燕でもある。闘牛士は牛との闘いの渦中である。燕の空など眼中にないし、ましてや金輪際燕が飛ぶ空を仰ぐことはないだろう。「仰ぐことのなし」という措辞に闘牛士の運命的な定めのようなものを思い、ふっと寂しさが心をよぎる。 やっと「かつらぎ」二代目主宰で私の父、森田峠の全句集が完成しました。 全句集の発行を相談するために、編集長の家内と調布市仙川の「ふらんす堂」に山岡さんを訪ねて行ったのは、観測史上最大規模と言われた台風十九号が去った昨年十月十四日でした。 峠が生前に上梓した八冊の句集、逝去翌年に平田冬か・村手圭子両副主宰が峠の句帳から選んでくれた句を含め発行した遺句集、平成三年に刊行した「森田峠作品集」の中からの補遺句、そして句集に収録されなかった「かつらぎ」近詠からの句、及び遺句集にも入れなかった句帳からの句を含め、合計四七三七句をこの全句集に収めました。生来寡黙であった峠は、私たちに対して一度も全句集を作ってほしいということは言いませんでした。しかし、昨年六月に開催した「かつらぎ創刊九〇周年記念大会」の少し前に運河主宰で俳人協会副会長の茨木和生先生から、峠の全句集を出すべきだということを言われました。茨木先生には、これまでもお会いする度に色々なアドバイスをいただき感謝しております。 森田峠という俳人を俳句史の中に位置付け、後世にその作品を資料として残すことが自分の責任だと実感しました。また、実父であるということだけでなく、自分の一生をかけて子規の唱えた写生という手法を愚直なまでに追求した市井の一俳人の人生の軌跡を残しておこうと思いました。 編者である森田純一郎氏の「あとがき」を抜粋して紹介した。 森田ご夫妻が、ふらんす堂を尋ねてくださった時のことはよく覚えている。 そして、とうとう刊行が実現した。 わたしも感無量である。 「あとがき」によれば、茨木和生氏の熱心なおすすめがあってのことということだ。茨木和生氏は刊行になるまで、ずいぶん心配をしてくださっているということを森田氏から伺っていた。いまは目をほそめて喜んでくださっているだろう。 しかし、全句集を編む、ということはたいへんなエネルギーが要することである。 金銭的にも結社の協力なしでは考えられないことだ。 純一郎氏は、会社勤務のかたわら「かつらぎ」の主宰者としての仕事をこなし、その上でのこの全句集の編集に尽力をされたのだった。幸いにも「かつらぎ」編集長の教子夫人がおられたので、いろいろなことをとりまとめてくださってずいぶん助けていただいた。 全句集の編集のときはいつもわたしは50年先、あるいは100年先の読者のことを思う。そういう読者にいかにして作品を届けるか、そのことに尽きるような気がする。そう思ってやる仕事は正直たのしいのだ。まだ見ぬ読者のことを思いながら全句集を編む。。。 装丁は君嶋真理子さん。 何枚ものラフの中から、この「きりん」の装画のものに決まった。それは嬉しかった。 森田峠という俳人が清新に読まれる、そんな思いがしたのだった。 布クロスも当初は濃紺を思っていたが、それよりも明るいブルーにしてもらった。 そこに黒メタル箔で題字を押す。 表にはキリンとタイトルを型押し。 「栞」にもキリン。 見返しは落ち着いた「里紙」 色紙はできるだけ大きく、というのが「かつらぎ」の方々からのご要望。 花布は紺と白のツートンカラー。 厚い書物には、効果的である。 栞紐も紺と白。 書肆情報として、それぞれの句集の書影を収録。 重くれず、爽快な全句集となった。 美しい仕上がり。 森田家の背高の墓を洗ひけり 第1句集『避暑散歩』に収録のものだ。 森田峠先生は、背の高い方だった。ご子息の純一郎氏も背が高い。ご生前の峠先生には何度かお目にかかったことがあるが、いつもどなたよりも背が高かったことを記憶している。 第2句集『三角屋根』は、わたしが出版社勤務のときに担当した思い出深い句集である。 その後ご縁がなかったが、こうして全句集を刊行するというご縁をいただいたことを一編集者として何よりも幸せなことと思っている。 峠君とは長い年月を俳句の道につきあってきているので、あまりにも親しすぎて、つつみかくさずいろんなことを言ってきた。 私の言ったことを峠君はよく記憶している。私は忘れているのに、いろんなことを思いださせてくれる。その点は実に忠実な人間であるから、まあ去来のような弟子と見なしたりする。 そういう忠実さを骨格とする峠君の作品を見て味わっていただきたい。 第1句集『避暑散歩』に寄せた阿波野青畝の序文を抜粋した。 この全句集すべてに言える序の言葉だとおもう。 2019年10月14日にご来社下さったときの森田純一郎・教子ご夫妻。 『森田峠全句集』が多くの人に読まれていきますように。。。
by fragie777
| 2021-03-08 19:45
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