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2月24日(水) 旧暦1月13日
今日は最近の雀たちから。 雀は写真に撮るのがむずかしい。 人間の気配に対して敏感だ。 雀らも海かけて飛べ吹き流し 石田波郷 波郷のこの句は雀を詠んだ句のなかでも好きな句である。 あはっ、このブログのサイトがいつのまにか鳥たちサイトになってしまっている。 昨日のマミチャジナイについては、何人かの方に「マミチャジナイ」でいいですよってOKを貰った。 そんな反応をいただくと、yamaokaはますます張り切って鳥を撮ることになる。 マミチャジナイについては、旅の途中にたちよった時に出遭った鳥かもしれない。 そう思うとまさに一期一会であると、感じ入ってしまう。 内田百閒は、鳥好きでエッセイによるといろんな鳥を飼ったらしい。 野鳥をたくさん飼って、それこそ梟まで、そして飽きてしまって餌をやるのをわすれてずいぶん死なせたらしい。 鳥も外国の鳥は好きじゃなく、日本の野鳥が好きなようす。外国の鸚鵡やインコなど色が派手なのはこのまず、日本の鶯や目白などが渋い色の美しい声でなく鳥が好きだったようだ。好きが頂点に達したときは40数羽をを飼っていたらしいからなかなか尋常じゃない。外国の鳥であるカナリアなどはまあいい方かもしれないが、声に飽きるとも書いている。 百閒先生は、ちょっと変わったお方なので鳥を死なせたこともけっこう平然と悪びれずに書いていて、苦笑してしまうけど。 わたしは世話好きではないので、鳥を飼うということには思い到らない。 飛んでいる鳥をながめるのみである。 鳥好きの俳人っていたかしら。 いまふっと思ったのだけれど、ちょっと思い浮かばないな。 内田百閒ほど変人ぶりでなくてもいいけどものすごく鳥に入れ込んだという俳人・歌人・詩人などきっといると思う。 ああ、そうか、津川絵理子さんは、十姉妹をそれはそれは大事に飼っていた。 富安風生も小さな動物を愛したと聞いている。 お二人の句集から。 寵愛のおかめいんこも羽抜鳥 富安風生 人われを椋鳥と呼ぶ諾はん 〃 慈悲心鳥おのれ愉しむ声淋し 〃 春浅し日にひと匙の鳥の餌 津川絵理子 止り木に鳥の一日ヒヤシンス 〃 鳥籠に青菜絶やさず文化の日 〃 津川絵理子さんの句は、鳥を飼っていたときのことを句にしている。どんなに鳥のことを心にとめていたかその思いが、さりげなく詠まれた一句から伝わってくる。 富安風生の句は、なかなか味がある。オカメインコを寵愛したこと、そしてなにゆえ「椋鳥」と呼ばれたか、知りたいところである。で、いま広辞苑で調べたところ、「椋鳥」の二番目の意味に、「田舎から江戸の町に出て来る者をあざけっていう語」とあって、あらら、風生先生、そんな風に言われたのかしらと、わたしの知る限りではとてもスマートなお方、というイメージがあったので、驚いている。それでも「諾わん」とカッコイイ余裕をみせて一句にするのだから、なかなか素敵である。 水浴びをしてずぶ濡れになった椋鳥。
by fragie777
| 2021-02-24 19:11
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