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2月22日(月) 旧暦1月11日
今日は猫の日なんだそうである。2.22とつづくということで。 しかも、旧暦は1.11でこれもまたゾロ目。 あったかな春の一日だった。 ヒドリガモの雄。 こちらは雌。 この鴨はつがいでいることが多く、仲良しである。 夢見るように。 水温みつつある水であることがわかる感触。 絵になる鴨である。 仙川は鴨たちを容れて穏やかに流れている。 新刊紹介をしたい。 四六判ハードカバー装帯あり 146頁 二句組 石井恵(いしい・けい)さんの第1句集である。1934年生まれ、東京・杉並区在住。1988年「群島」を経て、2012年句歌詩帖「草蔵」入会。現在にいたる。「草蔵」主宰の佐々木六戈氏が序文を寄せている。石井恵さんは今年87歳をむかえられるが、作品は柔軟な弾力にとみ、自在である。佐々木六戈主宰は、こんな風に書く。タイトルは「矜持の色」。 石井恵はおもしろい。わたしが歴史的仮名遣いを用いるにたいして、石井恵は現代仮名遣いである。わたしが文語を衒(てら)うにたいして、石井恵は口語を主旋律としている。わたしと石井恵は対照的である。そこがおもしろいのである。対照的な者同士の句会はおもしろい。この関係の妙こそが俳句を学ぶということだろう。 佐々木六戈氏は、自身の行き方の文語表現を弟子に強要することなく、面白がっておられる。ゆえに石井恵さんも自由にたのしく俳句をつくっておられるのだろう、ということが本句集をよむとよくわかる。読者を飽きさせない面白さがあるのだ。 詫状の末筆ながら梅のこと 忘れ癖朧月夜のせいにせず 志すもの無し空中の蠅叩く 後の世を見ずして涼し遠眼鏡 寒風に真向かいて愛されている 私どもの句会の、およそ八年間の句群からの抜粋である。これらを見て納得させられるのではないか。何を。初めから、そして、今も石井恵は石井恵であることを。矜持の色とは至言ではあるまいか。 序文を抜粋して紹介した。佐々木主宰は、石井恵さんの魅力を余すところなく伝えているのだが、ここでは抜粋にとどめおく。 海風に袂ふくらむ星祭 雀来ている日溜りの福寿草六月の男が朝の花を剪る 苺可愛いや手にかざし皿に置く 秋の野の蝶高からず低からず 秋風や逢わねば遠くなるばかり 雪便り短し雪のポストまで 人通る寒林少し色めきて 名もなき日名もなき人とあたたけし 後の世を見ずして涼し遠眼鏡 秋風と空の青さと長寿眉 秋どつと暮れたやすくは老いるまい 冬あたたか人に疲れて人が好き 担当の文己さんの好きな句である。 苺可愛いや手にかざし皿に置く この句を選ぶとはさすが苺好きの文己さんだ。わたしも今日苺を食べてきた。食べる時に「かわいいな」って思える果物は、苺、あるいはサクランボか。この句、「苺可愛いや」という措辞が胸にぐっとくる。苺の愛らしさがよく見えるのだ。さくらんぼだとつきすぎだ。かわいいのは当たり前だけど、苺はもうすこし存在感のある可愛らしさだ。可愛いとみて、ぱくりとたべるのではなく、「手にかざし」とあり、つくづくと苺を愛で、そして食べるのかとおもうと、「皿に置く」のである。なんということ、苺という果物そのものの愛らしさを愛でているのである。この苺にむきあっている時間、苺という存在そのものを楽しんでいるのである。わたしは苺をこんな風に愛でたことは金輪際ない。ぱくっとすぐに食べてしまう。次回食べる時にこのようにしてみようかしら。 冬あたたか人に疲れて人が好き いい句である。「冬あたたか」の季語がきいている。この句「あたたかし」の春の季語だったらどうだろう。っていま思った。ううむ。。やはり、「冬」がいい。この一語が入ることによって寒さのなかのあたたかさのそのぬくみ、そして人に疲れても人が好きというそのやや複雑な心境と人の心の奥深さのようなものが、「冬」という一語を配することによってそのあたたかさにも奥行きがでる。「冬」の一語によって詩になったのだと思う。 マスクして全身消しているつもり これっていまの状況と心境そのものだっておもった一句。マスクって不思議だ。やや自意識過剰な人間から自意識を取り払ってくれる。というのは、たとえば、信号待ちをしているとき、相手の顔がよく見える距離にいるときって、わたしはすごく居心地が悪かったのだ。向き合っている人間はわたしの顔など見ていないのに、なんだか見られているような思いがして目をどこにやったらいいかわからなかった。ところがマスクをしていると自身のそういう自意識もなくなり、信号待ちがラクになったのである。この句のようにマスクによって自分の存在が相手に対して稀薄になる、ひいてはちょっとしたらわたし透明人間になったかしらなんて思いこませる、そんな魔力(?)があるかも。マスク鬱陶しいって思うこともあるけれど、なにか守られている、人の視線や意識から、そういうラクチンさがあるって思っている。けれど、わたしが自意識過剰なのかなあっておもっていたら、この句に出合った。わたしだけじゃなかったんだって。。。 志すもの無し空中の蠅叩く この一句も笑った。「志すもの無し」という言い方は、きっと大志というすこし気張った心構えについてのことだろう。ささやかな希望や夢はきっとあるのだけれど、それはさておき、大志などいだかずに日々を生きているわが身である、それでいいじゃんとまあ自足しているのであるが、向こうから蠅が飛んできた、ようし、叩いてしとめようと思いっきりたたく、仕留めた!よし。上出来だ。大志いだかずとも蠅はしとめられるわよって、にんまりとする。こう鑑賞してみたが、ややニュアンスはちがうかもしれない。この作者はそれほど自己満足的人間ではないのだ。「志すもの無し」という措辞にそうやって今日まで生きてきてしまった自分に一抹の寂しさを覚えているのかもしれない。そんなかすかな思いをいだきながら目の前の蠅をたたき落とす、見事に仕留めであられると思った。 「句歌詩帖『草藏』」に入会して八年。 句会での佐々木六戈代表は厳しくも的確に又、良い所は著者より深く熱っぽく誉めて下さる。その強弱が八年となる証かもしれない。 思えば四十代、人に誘われて訳もなく句会を経験し、情けないことに真剣に取り組む姿勢に欠けていた。今更嘆いてもしかたがない。 今できること……。高齢になり仕事は世代交代できたが、句作りはそうはいかない。 心まで老いず、精神力を失わず、自分なりに少しでも前に歩けたらそれでいい。 「あとがき」を抜粋して紹介した。 前向きなガッツある「あとがき」である。 この心意気。。。素敵だ。 本句集の装丁は君嶋真理子さん。 光沢のある用紙を用いているが、上品な仕上がりである。 表紙はつむぎ風の淡いピンク。 石井恵さんが実際にご覧になってお決めになられた。 紅と白のツートンの花布が可愛らしい。 栞紐も紅色に。 名もなき日名もなき人とあたたけし 石井恵の句集『句鏡』とは句が映し出す、その時々の、ひとりひとりの、一句一句の石井恵その人である。(佐々木六戈・序文より) 寒風に真向かいて愛されている 本句集、好きな句はおおかったけれど、巻末におかれたこの一句は特に好きである。歳を重ねて生きてこられてこんな風に言えるということは素晴らしいと思う。カッコいいなあとも。こんな風に言える晩年でありたい。 わたしのお腹の上に乗っている。 しかもわたしはバランスボールの上。。。。 あやういわたしたち。
by fragie777
| 2021-02-22 18:37
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