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ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko

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いま花の下より電話してゐます

2月15日(月) 二の午  旧暦1月4日

いま花の下より電話してゐます_f0071480_17571819.jpg

三鷹・丸池公園に咲いていた白梅。





いま花の下より電話してゐます_f0071480_17572253.jpg


いよいよ梅の季節となる。

国立・谷保天神の梅は咲き始めただろうか。
毎年かかさず行っていたので、梅の花というと谷保天神を思い浮かべる。
神鶏たちも元気にしてるだろうか。。。
昨年は、愛猫のヤマトが死んだ朝に谷保天神の梅を見上げたのだった。
ちょうど一年前の今日だった。


前の晩までふつうにしていて、翌朝起きてみたら死んでいた。
身体はまだあたたかく抱くとぐにゃりとした。
苦しむこともなく静かに息をひきとったのである。
20歳。
「長生きしてね」と言っていたわたしの気持ちに応えるべく長生きをしてくれたのだった。
立派な賢い猫だった。









新刊紹介をしたい。


梅岡貴美子句集『桜刻に』(さくらどきに)


いま花の下より電話してゐます_f0071480_17573798.jpg
四六判ハードカバー装帯有り 146頁 二句組


梅岡貴美子(うめおか・きみこ)さんの第1句集である。著者の梅岡さんは、昭和18年(1943)愛媛県生まれ、松山市在住である。平成16年(2004)「天為」入会、平成23年(2011)「天為」同人。俳人協会会員。昨年12月に急逝をされた有馬朗人氏がご序文を寄せている。その序文によると、

貴美子さんは愛媛県に生れそこで育ち、しかも松山市に住まわれ、河東碧梧桐にゆかりのある宿屋「うめ乃や」を長年経営しておられた。碧梧桐の書の額が飾られている瀟洒な宿屋である。現在は御嬢様に譲られたが、このような御仕事や雰囲気の中で生活され、俳句を作られたのである。

きっと知る人は知る「うめ乃や」なのであろう。そこの女将を長い間しておられたようである。
有馬朗人氏の序文は、梅岡貴美子さんへのあたたかな思いにみちたものである。抜粋して紹介したい。

貴美子さんはしっかりと風物を見て、写生して俳句を作っておられる。
 家並の影すこし濃く今朝の秋
 落ちし鮎夕焼のいろ身に染めて
 峡の村まだ明けきらず曼珠沙華
 山の端をふはりと離れ十三夜
 谺にも遅速のありて威銃
のようにどの句も適確にその光景を描いている。しかも作者の温厚な人柄が滲み出ている。(略)
人生百歳の時代、貴美子さんが第一句集『桜刻に』の出版を契機に、一層御元気に作句に励まれることを希望している。


梅岡さんの「あとがき」でも書かれているように、百二十歳まで生きるとおっしゃっておられた有馬朗人先生が、百歳をまたず急逝してしまわれたとは、わたしもいまだに信じられない思いである。

 いま花の下より電話してゐます
 如月や帯きつく締め海を見に
 簾てふ曖昧なもの路地住まひ
 田水張り室生の里は暮れ残る
 たをやかに天平の紙漉き継ぎて
 初釜や少年の声よくとほり
 弘法の手形の凹み冴返る
 春の陽を集めしパジャマたたみけり
 春障子閉めてとほのく子らの声

担当の文己さんの好きな句を紹介した。


 いま花の下より電話してゐます

旅館の女将でいらっしゃった海岡貴美子さんである。さぞ多忙な毎日だったことだろう。携帯電話を身体からはなすことなく、なにごとにも即時で対応し、自身のことよりお客さまのことを第一に考えて行動する。この一句、そういう状況下の一句として考えてもいいのかもしれない。お花見という長閑な時間をすごしているのではなく、女将さんにスタッフが電話をしてきたのだ。何か指示を貰うために、あるいは困ったことがおきて、急遽相談の電話かもしれない。女将さんはお客さまを桜の下へと案内している最中、この一句を支配しているちょっと前のめりな緊張感は、そんなことを思わせる。仕事の現場でできた一句か。背後の花の優美さが際立つ。

 春の陽を集めしパジャマたたみけり


春の日差しのなかに干されていたパジャマ。それを取り込んでたたんでいるのだ。「春の陽を集めし」という措辞、そのやわらかな春の陽を逃がさないように丁寧にパジャマをたたむ。春となって気持ちも緩んできてパジャマをたたむという労働にも、ひょっとしたら泊まり客のパジャマかしら、その労働に対してもどこかゆったりとしたゆとりをもってのぞむことができるのだ。こんなパジャマを着てねるとまさにあまやかな春の夢へと誘われるだろう。わたしも着てみたい。

 春愁や淡き汚れの足袋洗ひ

これはわたしが気になった一句。足袋の「淡き汚れ」が春愁を呼び起こすのだろう。足袋は白くなくてはならぬ。呉服業をいとなんでいたわたしの母の鉄則だった。日常着が着物だったので、足袋は毎日履き替える。母の場合は、洗濯機で洗わず、ぬるま湯につけておき、歯磨き用ブラシでごしごしと洗うのである。どんなにうっすらとした汚れも許されない。旅館の女将でいらっしゃる梅岡さんもきっと和服姿でご商売をしておられたことと思う。その足袋の汚れを洗う、うっすらとした汚れ、そんな毎日の繰り返しである。足袋を洗いながら自身の女将としての日常がその足袋の汚れを通してみえてくる、ふっと憂鬱な気持ちになる。春となって身体もゆるみだしたとき、緊張していたこころもふっと緩みだしたのだ。

 極寒の雨はむらさき母の逝く

お母さまが亡くなられたときの一句である。前後の句に「母様の大き掌ぬくきかな」「戒名に「瑞」の字賜ふ明の春」がある。ほかにも本句集にはお母さまを詠まれた句がいくつかある。お母さまへの思いが「雨はむらさき」に象徴されているのではないだろうか。雨が紫色にみえたということってどんな意味があるのだろうか。すでに夜の気配が濃厚で、そこに降る雨は夕暮れの紺のいろというよりもやや赤みをおびた典雅な色合いがある、きっとお母さまがむらさきがお好きだったのかもしれない、そんな母への思いが、いつもとちがう雨の色となって作者に迫ってくるのだ。この「むらさき」という色が、作者の母への思いをすべて語っているのだと思う。

 

『桜刻に』は私のはじめての句集です。
まだ、五七五の世界を知る前、いくつかの難しい病を得ることとなります。
歩くのもお皿を持つことさえもむつかしかった時、「だまされたと思って行ってみたら。」と言われ、必死で通った鍼治療の約十年。旅に出ることがかなった時の喜びは忘れることができません。
次におそってきた病のため、大学病院へ入院することとなります。生きるか死ぬかと家族の案じた日々。私の支えとなった、今は亡き教授の回診時の「大丈夫ですよ。」の温かくひびいた言葉。四ヶ月後に退院する事ができました。
その何年か後に俳句を知ることとなり、宿の仕事をし乍らぼちぼち作ってみることになります。
その後、あることを機に、有馬朗人主宰の「天為」に入れて頂く事になりました。平成十六年の事でした。
そして、次の私への試練は眼の病でした。何度かの入退院後、有馬主宰が松山句会にお見えになった折、何げない会話の中の「病気の時こそ俳句を忘れたらいけませんよ。」の言葉がずっと耳に残っておりました。
今回手術に際して、𠮟るように私に言われたある眼科医の「あなたね、自分で生きてるのじゃないのよ。生かされているんだから。前向きに考えないとね。」色々な言葉が今の私を支えてくれております。
どの山を越えた時も、いつも桜の季節であった様に思います。それで句集名を「桜刻に」としたいと思ったのです。

「あとがき」の前半の部分を紹介した。大病を乗り越えてこられた梅岡貴美子さんである。句集の命名の由来も書かれている。旅館業をいとなみながら、病を克服し、そうしてこの度の第1句集の上梓。
さぞや感慨深いことであろうとおもう。
この「あとがき」には、「追記」が付されている。句集編集過程で亡くなられた有馬朗人氏への追悼である。後半の部分を紹介したい。

愛媛県総合科学博物館初代館長をお務めになられ、その後も学芸員指導の為愛媛にはご縁があり、「次回は令和三年の三月に来ますからね」と帰京されたのに、まだ先生が逝かれたとは信じられない、信じたくない私達は、先生が黒い重そうなかばんをお持ちになって「やあー」とお姿を現して下さることを待っております。


ほんとうにわたしも信じられない思いである。ついこの間、お電話をくださったばかりなのに。
この句集をご覧いただけないことも残念である。


装丁は君嶋真理子さん。



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桜がテーマの装丁はなかなか難しい。
最初はこの装画はカラーだったのだが、特色印刷でいくことを君嶋さんに提案した。
カラー印刷では平凡になってしまうように思えたからだ。


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君嶋さんがそれを上手にデザイン化した。


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タイトルは金箔押し。


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表紙は横織の濃いローズ色。


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カラ押しにはタイトルと桜を配した。


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背は金箔。


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見返しは金銀の箔がある用紙。


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扉。


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いま花の下より電話してゐます_f0071480_17575791.jpg

花切れは金、栞紐は、ピンク。



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 甕覗(かめのぞき)てふ酒ありて良夜かな


貴美子さんの人柄は優しい。しかも身辺の風物をその優しい目でしっかりと見て作句に励んでおられるのである。(有馬朗人・序)


いま「うめ乃や」はご息女の今山美子さんによって女将が引き継がれている。
その今井美子さんが、梅岡貴美子さんのお写真を送ってくださった。


いま花の下より電話してゐます_f0071480_10281903.jpg

薩摩琵琶をかかえた梅岡貴美子さん。



今井美子さんからの文己さんあてのメールをご紹介したい。

はじめてお便りさせていただきます。

このたびは、句集「桜刻」出版にあたりましては母梅岡貴美子が大変お世話になりまして
ありがとうございました。娘の今山美子と申します。
母の背を追いかける日々でございます。
大好きな母の背景と歴史を思いながら拝読いたしましたら、大泣きをしておりました。
そして、思わずうっとりしてしまう優しい装丁でございました。
優しさの中にいつも強い信念をもつ女性を感じる句集に仕上げて下さり本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
旅が自由にできるころ、我家にお運び下さいませ。
母の心が言の葉となりました空間をぜひともご覧くださると幸せでございます。
当館で「薩摩琵琶の音色に酔いしれる観月会」のときの母の画像を送らせて頂きます。
たくさんのことに興味を持ち続ける母のあどけない一面を覗かせる一枚です。
お会いできる事を楽しみにいたしております。

ありがとうございました。




梅岡貴美子さんは、今年喜寿をむかえられる。本句集はその記念でもある。

梅岡貴美子さま。
句集のご上梓、そして喜寿、まことにおめでとうございます。

 春障子閉めてとほのく子らの声







いまこのブログを書きながら気づいたのであるが、梅岡貴美子さんのお名前とわたしの名前、漢字では二字ちがい、梅と貴(山と喜)音でよむと、梅(うめ)と山(やま)の違いのみ、すごく似ていると思った。(ちなみにわたしの名前は山岡喜美子)
だが、だが、
梅と山の違い、貴と喜の違い、このふたつだけでなんとも名前の雰囲気がちがう、
梅の方が圧倒的に山より優美、そして貴も喜よりはるかにかぐわしい感じ。
お会いしたことがないけれど、きっとお名前どおりの匂いたつような上品なお方のような気がする。


わたし?
知ってのとおりよ。
「山」がふさわしいたくましいがらっぱちな女で、「喜」が象徴するように「能天気」である。
まあ、いいじゃないっすか。。






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by fragie777 | 2021-02-15 19:52 | Comments(0)


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