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1月29日(金) 旧暦12月17日
仙川はいろいろな表情があるが、ここは冬青草にふちどられた一角。 この少し先に甲州街道がある。 左手には白百合女子大学がある。 よく見ると鴨たちが岸辺にいてのんびりとしている。 ヒドリガモたち。 水をじいっとみていた一羽が ダイビングして飛び込む。 気持ちよさそうに泳いで、ほかの鴨たちを誘っているかのよう。 このすぐ先に鶫がいたのだった。 「森田峠全句集」を校了とする。 俳人・森田峠(1924年- 2013年)の既刊句集を中心に補遺を加えて、全句集とした一冊である。 ご子息で「かつらぎ」主宰の森田純一郎氏が編者である。 栞は、深見けん二、宇多喜代子、片山由美子、三村純也、岸本尚毅の各氏が寄せている。 2月中には刊行の予定である。 冬空やキリンは青き草くはへ 森田 峠 君嶋真理子さんの装幀。 装画のキリンが、なんとも清新である。 1月23日(土)の東京新聞夕刊にの俳句月評「俳句のまなざし」に外山一機さんが、津川絵理子句集『夜の水平線』について評している。 抜粋して紹介したい。タイトルは「子どもが手を離す時」。 津川絵理子が第三句集『夜の水平線』(ふらんす堂)を上梓した。(略) 同書には、〈子を先に歩かせてゐる夕涼み」もある。子どもの手をふいに離す。この間まで繋がずにはいられなかったはずなのに-。でもこんなとき僕らは、それこそ「手を離れる」という言葉そのままに、子離れの安らぎを覚えもする。 けれども本当は、離れていく手を寂しく見つめるときだってある。そうして、ひそかに怯えている自分に気づくときだってある。(略) 津川には〈母の日や砂洲を消す波いちまいづづ〉もある。子どもが「壊さないように気をつけながら手を離」した世界は、やがて静かに消えていく。しかし、世界を消していくその波は、決して冷酷さを帯びてはいない。むしろ優しい愛撫のようにさえ見えるのは、その波がかつて母と手を繋いでいた子の手そのものだからではなかったか。この句が母の寂しさや怯えを描きつつ、しかし不思議と悲しくないのも、そのためではなかったか。 ほかに 「手にならぬ足に着目した松尾芭蕉論を紹介したい」とフランスの作家クリスチャン・ドゥメの『三つの庵 ソロー、パティニール、芭蕉』(小川美登里ら訳、幻戯書房)を紹介している。 俳句総合誌「俳句」(KADOKAWA)2月号では、西村麒麟さんが「現代俳句時評」で、南うみを句集『凡海(おおしあま)』をとりあげている。「豊かな暮らしを感じさせてくれる句集」と。ほかに九九歳になられた竹村翠苑さんの新句集『豊かな人生』(朔出版)をとりあげて、竹村さんの第一句集『摘果』についても触れている。 俳句総合誌「俳句四季」(四季出版)2月号の座談会(斎藤愼爾、津髙里永子、堀田季何、司会・筑紫磐井の各氏)による「最近の名句集を探る」では、篠崎央子句集『火の貌』がとりあげられている。「篠崎さんは私と同い年ですが、同世代できちんとした詠み方ができる方の句集が推薦出来て嬉しいですね。この一年で出た若手の句集のなかでもこの『火の貌』はとてもいい出来ではないかと思って推しました」と堀田季何さん。 おなじ「俳句四季」の二ノ宮一雄氏による「一望百里」では、木村裕一句集『柊』がとりあげられている。「作者のいのちの籠もった作品」と。 今日は歯の定期健診。 時間をまちがえてしまい、駐車場について仕事場に向かおうという時に電話をもらった。 「yamaokaさん、11時のお約束ですが。。。」 「あれえ、そうでしたっけ。3時だと思ってました。」 もう11時は過ぎている。 「どうしましょう」 「これから行きます。」 「どのくらいで来られます?」 「一分で!」 「お待ちしてます!」 ということで、駐車場から一分のところにあるA歯科へ向かったのだった。 葉の磨き方はたいへんよろしい、ということでハナマルをもらったyamaokaだった。 約束の時間を間違えたのはこれで三度目。しかし、いつも間に合うのが不思議。 わたしの人徳か。。。 いや みな親切なのである。 今日も言われた。 「どうしましょうか。これから一日前にお電話しましょうか」って。 なんと答えたとおもいます? 「いや、大丈夫!」 って。 この根拠のない自信どこから来るのだろうか。 自分でもよくわからん。
by fragie777
| 2021-01-29 18:19
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