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1月20日(水) 大寒 二十日正月 旧暦12月8日
水に立つ白鷺。 冬川の眩しい光のなかに佇む鷺はとりわけ美しい。 川はどこも澄んでいる。 今日は大寒。 一年で一番寒い日である。 で、 たいへん寒い。 新刊紹介をしたい。 四六判フランス装帯あり 236頁 二句組 著者の増井智子(ますい・ちえこ)さんは、昭和15年(1940)横浜生まれ、現在は神奈川県伊勢原市にお住まいである。平成(1998)俳誌「一葦」(島谷征良主宰)入会、平成20年「伊勢原連句会」入会、平成24年(2012)「短歌九月会」入会。俳人協会会員、日本連句協会会員。本句集は、1999年から2019年までのい22年間の作品を収録した第1句集である。序文を「一葦』編集長の中根美保氏が寄せている。抜粋して紹介したい。 「一葦」の同人仲間である増井智子さんから、八十歳の節目に句集を上梓したいというお話を伺ったのは昨年のことだった。ご療養中の島谷征良主宰の許を共に訪れ、上梓のおゆるしをいただいた。その時すでに智子さんは句集名を「太箸」にしようと思い定めていた。これは「あとがき」にご本人も書いているように、集中の〈癒えし夫太箸しかと使ひけり〉にちなむ。夫・芳雄さんに寄り添った日々を軸にこの句集を編もうとしていることはすぐに分かったが、作品を読むにつれ、益々その思いを深くすることとなる。 六月や夫にあらたな脈生まる (ペースメーカー装着) 病みをれば十年は長し心太 去年今年夫の癒ゆるを祈るのみ ぼうたんも桜も青葉夫逝けり 八十歳の遺影の夫へさくらんぼ 二〇一八年、芳雄さんは旅立った。いつの間にか青葉になった牡丹も桜も、夫婦で見た花であった。そして遺影を前に艶やかなさくらんぼを共に愛でている智子さんの姿には、悲しみの中にあってなお、何か生死の垣根を越えた大きな心が感じられる。 闘病のご夫君を見まもる傍ら、ご子息の急逝にあわれる。〈夏日濃し遺骨抱く夫ささへけり〉〈短夜や柩に入るる手紙書く〉2007年のこと「母である智子さんが、芳雄さんの悲痛をまず思い遣る心に胸を衝かれる。」と中根美保さんは記している。 靴底に古りし三和土の涼しさよ 句集後半におかれた作品。この靴は旅の靴であろう。もしかすると下山したばかりの登山靴かもしれない。訪れた古い民家の三和土の涼しさは、長い旅路を歩いて智子さんがようやく辿り着いた安寧を思わせる。(略) まだまだ多面的なポテンシャルを秘めている智子さん。この度の句集上梓をステップに、さらなる句境の深まりを見せてくれると信じている。 白萩の花の重さにみだれけり 落鮎の瀬音のうちに焼かれけり一枚の水をしぼりて下り簗 ポケットの底の深さよ春惜しむ 盗人萩活けてその名を問はれけり 夫の目に秋のひかりの戻りけり 梅干すや笊に去年の色ほのと 荒鋤の田やしみわたる春の雨 落蟬の鳴きつくしたる軽さかな 水かへて海鼠一日生きのびぬ 白障子風の形を映しけり 梅雨の蝶羽を大きく使ひけり あぢさゐの色をうばひて晴れにけり 担当の文己さんが好きな句をあげてくれた。そして出来上がった句集を増井智子さんへお届けしたところ、「真っ先に旦那さまの仏壇へお供えしたということ。 仕上がりに感激されていてこちらもとても嬉しかったです。」と文己さん。この句集は、昨年の暮に寄贈者のお手元に届くように発送されたのだった。 白萩の花の重さにみだれけり 文己さんの好きな一句だ。ここで詠まれているのは白萩である。萩はわたしの知るところによると紅萩、もしくは白萩の二種類くらいしかさっと思い浮かばないのだけれど、ずいぶん種類があるようだ。ただ、白萩は紅萩よりもにぎやかな感じで主張があるように思える。萩は好きな花であるが、わたしは白よりは紅色のほうが好きかな。引きがあるというか、わたしも招き入れてくれるような何かがある。花の重さは白の方があるように思える。なぜだろう、密集して咲いているのかしら。で、この句、白萩でこそ成り立つ一句とみた。乱れたさまが目にみえてくるようである。 あぢさゐの色をうばひて晴れにけり この句も、色が眼目である。紫陽花が色褪せてゆくことと空が晴れてゆくことは、なんの因果関係もないと思うのだけれど、面白い一句だし、この季節だからこそあるいはうなづける一句なのかもしれない。よくよく考えてみると、紫陽花の盛りの時季は梅雨の真っ只中であって、晴れてはいない、そんなとき紫陽花は瑞瑞しく美しい色をみせている。しかし、梅雨が終わる季節ともなり晴れる日がおおくなるころには、紫陽花も凋落をむかえることとなる。だから因果関係は十分にあるのだけれどこの句の手柄は、空が紫陽花のブルーの色をうばって晴れ渡ったというところである。そのことによって詩となった。紫陽花はちょっと情けなくなりつつあるが、晴れ渡った夏空が気持ちよくみえてくる。 白障子風の形を映しけり 文己さんのあげた一句をみて、あっと思った。というのは、今朝朝ご飯をすましてぼんやりとして居たところ、和室の障子に外の庭木の影がゆれている。ああ、いいなあって思った。見ていると心が落ち着いてくるのである。しばらく見ていて、手もとにあったiPhoneでそのさまを映してみたのだった。その一枚がこれ。木の影のみならず樫も植えてあるので木の葉の揺れもあるのかもしれないし、余計な影もあるけれど、障子っていいもんである。 猫にやぶられて何度も何度もはりかえ、桟などは爪研ぎとなって荒れてしまってがさがさになっているのだれど、写真じゃわからないところが救いね。障子を見ていると粛々とした気持ちにもなる、ってもの。 句にもどろう。ここに映ったのはまさに風のかたちでもあるんだ、って。 狭い家のわずかな障子に映った「風のかたち」であります。 そうおもってあらためて見る。 今日のブログにこの写真をアップするとはツユ思わなかったけれど。。。 行きあひて花の歩幅の会釈かな この句はわたしが好きな一句である。(美しい女性どうし)が桜の咲く樹下で、たがいに挨拶をかわしているという景色がみえてくるような一句だ。それこそ小説「細雪」の世界である。「花の歩幅」が抜群に素敵。たった5文字がいかに多くのことを語っているか。着物を召されているのかもしれない、あるいは桜の下ではだれもがはんなりとした淑女になるのかもしれない、サラリーマン同士が行き会ったとはどうしても詠めない一句である。 水楢の幹にふるれば春の声 この一句もすきな句である。ただひたすらに「水楢」がいい。最近樹木と親しくなりつつあるyamaokaであるので、大分木の名前やらその種類もすこしずつ頭に記憶するようにしている。ただ、この「水楢」という木をすぐにその様や形を思いだせるかというと、全然だめ。どこかで会ってはいるけれど、それよりもなによりも「ミズナラ」という響きが好き。春にふさわしい、やや緩んでいくような脱力感があって、冬の緊張から解き放たれていくようなそんな響き、そして「水」という語が入っていることによって、水が木に通っているような感覚をもたせてくれる。木が春となって生き生きと鼓動しはじめたそんな感触を「春の声」ととらえた。水楢の木、今年は春にこの木に会うことをわたしの課題としよう。そしてその声を聴きとめよう。 私が俳句を始めたきっかけは、菱科光順さんと出会ったことです。光順さんは私の旧知の菱科和枝さんのご主人で、たまたまご一緒した山歩きの時「俳句は楽しいよ」と、ご自宅で開いている句会に誘ってくださったのです。 一九九八年「一葦」に入会。主宰の島谷征良先生のご指導を受け、二十二年の月日が過ぎました。私にとって日記ともいうべき俳句です。年々の四季の感動に家族を重ねた句が多いです。 句集名の「太箸」は、〈癒えし夫太箸しかと使ひけり〉から取りました。夫は二〇〇三年十一月に大病を患い、回復は見込めないと言われましたが、奇跡的に復活いたしました。その後、六回の手術やリハビリを経て、一日一日を大切に生き、二〇一八年五月に旅立ちました。私は俳句と向き合うことで悔しさや淋しさもバネに出来たと思っております。 「あとがき」を抜粋して紹介。 本句集の装幀は君嶋真理子さん。 フランス装であるのでグラシンが巻かれているので、すこしぼやけてしまうのだが。。。 「太箸」は新年の季語。 句集名にふさわしい晴れやかな一冊となった。 扉。 竜宮の星あふれ来し夜光虫 観察や写生を超えて、命の本質に迫ろうとする智子さんのまなざしがそこにはある。 (序・中根美保) いまはご来社をいただけないので、著者の方になかなかお目にかかれない。 やはりお会いしておきたい、ということでお写真を送っていただいた。 増井智子さん 序文によると登山をよくされる「筋金入りの『山女』」とか。 若々しい方でびっくり。 俳句に向き合うようになってからは物事をゆっくり丁寧に見るようになりました。 むずかしいと思っていた句作りもいつの間にか楽しくなっていました。それは私なりの感動に出合った時、からみあった糸が解けるように句になっていくのです。 感動の湧きあがるまでの時間が長いほど、気持にぴったりの言葉を見つけた瞬間の嬉しさは言葉に出来ません。 『太箸』の一句一句を読み直す時、状況や気持が蘇ります。 句集上梓の感想のお手紙をくださった。 増井智子さま ますますのご健吟をお祈りもうしあげております。
by fragie777
| 2021-01-20 19:41
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